初めは、ぼんやりとした暗闇の中を漂っているような心地だった。


眠りから覚めたばかりの頭の片隅にあったのは、酷く生々しい、 しかしそれがほんとうに己のものなのか、まるで夢のようにはっきりとしない、とある記憶。


暗雲の空の下、まるで一面に咲き誇る彼岸花の、花畑の中に佇んでいるような、その光景。
しかも恐ろしい事に、その鮮烈な赤は、全て良く見知った者の返り血なのだ。
かつての己の主は、止める間もなく次々と首を刎ね、終には36もの命を摘み取った。


それはあまりにも、重過ぎる業。
その業を以てして付けられた、この名。


思い出した。

摘み取った命の数と同じ、三十六歌仙にちなんで、自分の名は『歌仙兼定』と名付けられたのだと。






付喪神。

それは、人の手で作られ、長い時間をかけて使われ続けた『モノ』の中に宿る魂。
どんな『モノ』にも必ず物語は存在し、その思い出や逸話が、彼らの存在を確かなものとする。

逸話は、時には誉として人々の称賛を浴びるものもあれば、時には呪いとして縛り付けられてしまうものにもなり得る。


彼……歌仙兼定の場合も、今まさにその境界を彷徨っていた。





家臣の命を36人も奪ったとは、なんと恐ろしい業よ……人々から囁かれ続ける、不穏な噂。
やがてその恐れは積もりに積もって、彼の心を蝕んでいく。

その付喪神の心も、人の心と随分近かった。
いや、人の造りしモノ故に、人の心に近くなったのか。

栄誉ある逸話ならば、その逸話を以てして人々を守護する守り神となるが、恐怖や不審はやがて、呪いや祟り神へと発展していく。
現にそうした神々の祠が、この現代日本にはいくつも建っていた。


いつまでも広がる暗闇の中、彼の心は、今まさに呪いに染められてしまおうとしていた。






その時。


暗闇の先から差し込む、一条の光。


誰かが、呼ぶ声が聴こえた。

助けを求める声を。



その呼び声と光を頼りに、咄嗟に手を伸ばす。




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