刀鍛冶と、剣技の修行の合間を縫って、ユキヒコは銀景京にあるという蔵書院に出かけてみる事とした。
ここにやってきてから、ワダツミの歴史や文化については人伝いに色々聴いていたが
もっと詳しく知りたいようならば、ワダツミの大社殿が管轄している、書物が多く保管されている蔵書院に
出掛けてみると良い、と師匠のツトムが助言したのだった。
殆ど師匠の家に篭って修行をして、あまり外に出る機会は多くなかったユキヒコにとって、
銀景京に出かけるというのは、いささか少し緊張するものであった。
道も殆ど分からないが、ツトムから地図を渡され、蔵書院の場所を教えて貰う。
「なに、あそこは外国人でも気軽に入れるよ。私も、よく鍛冶や鉄なんかについて書いてある本を読みに行くもんだ。
分からなかったら施設員の者に尋ねれば、必要な本の所まで案内してくれる。
今日は私は用事があるため一緒にはいけないが、大丈夫だな?」
「はい。銀景京へとは確か、山沿いの道を下ってまっすぐ行けば良いのですよね。行って参ります」
笠と外套を被り、ワダツミの伝統服である着物に袖を通し、雪が降りやんだ青空の下、ユキヒコは銀景京に向かい歩き始めた。
里へ下りるにつれて、街並みは賑やかになってくる。通りを歩く人も増えていく。
行き交う人々は皆、背に荷物を抱えている。釣った魚を売りに行く者、見事な反物を抱えた者。
大社殿から戻る人々は紙袋を手に下げ、買い込んだお土産を抱えていた。温かそうなお饅頭を頬張っている者もいる。
参道街へと続く大門を通り過ぎると、道を通る者に声をかける商人たちの威勢の良い声が響く。
「今日は冷えるよ! あったかい甘酒でもどうかねー!」
「饅頭ふかしたてだよ! うちのはこだわりの豆を使ったこしあん! こしあん!」
「お母ちゃん、ちょいと小腹が空いたから、饅頭ひとつ食っていかんかね?」
「全くあんたは、すーぐ腹が減るんだから! ……まぁでも、いい匂いだし、ちょいと食べていこうか」
隣に歩いていた行商と思しき夫婦は笑いながら、道すがら吸い込まれるように饅頭屋にふらりと立ち寄っていく。
すると、白銀色の長い髪を靡かせ、赤い袴の巫女兵と思しき少女が、風のように軽やかに参道街を駆け抜けていくのが見える。
参道街の商人たちは、にこやかに彼女に手を振った。
「おう! テルコちゃん、おはよう!」
「おはようおじさん! 今日のお饅頭は何餡ー?」
「こしあんさ。滑らかでうんまいよ! お勤めが終わる辺りにおいで。テルコちゃんの分、ちゃんと取っておくから」
「わ、ありがと! 楽しみにしてるね〜!」
参道街は色々な人が行き交うが、こうして大社殿の武装神職者たちが見廻りをしているおかげで、治安は良好に保たれていた。
ほかほかのお饅頭に少し興味をそそられたが、用事を済ませてからとユキヒコは地図を見返して、蔵書院のある方向へと足を進める。
角を曲がり暫く進むと、古い木造の建物が見えてくる。
参道街にある長屋とはまた違い、しっかりした堅い材木で造られた、頑丈な建物だ。
ここが、ワダツミのあらゆる書物を集めているという、蔵書院だ。
なるほど、誰にでも門扉を開いているというだけあり、特別中に入るのに手形やら許可が必要な様子もなく
道行く人は気軽に中に足を運び入れている。
扉を開けて中に入ると、外より少し暗く、ランプの明かりがほんのりと建物内を照らしている。
日光で書物が傷まないようにするための配慮だ。古い和紙の何とも言えない香りが、静かな院内を漂う。
ちらほらと院内に居る人々は、各々が探す本の元に足を運んでいた。
入り口付近に、茄子紺の髪を束ねた青年が、机に座り何か書き留めている。恐らく、施設員だろう。
きょろきょろと辺りを見回すユキヒコの様子に気が付いて、その青年は声をかけてきた。
「こんにちは。蔵書院へいらっしゃるのは初めてですか?」
「あ……あぁ。はい。少し調べものに……」
「中はどうぞ、ご自由にご覧下さい。机と椅子もございます。
もし借りたい本があればこちらにお持ちください。1回につき、5冊まで貸し出しを許可しております。
但し、中には持ち出しが禁止されている書物もありますので、ご注意ください。
今回は、どのような本をお探しに?」
説明する青年の落ち着いた声のトーンに、ユキヒコは慌てて目的を答える。
「その、ワダツミの国の歴史や、気候について、書いてある本があれば……」
「承知致しました。こちらへどうぞ」
ユキヒコが探したい本を告げると、司書の青年は本棚が立ち並ぶ中、迷路を進むように彼を引率していった。
「凄い数の本だな……」
「ここにはワダツミ中の本を集めております。
色んな知識を、幅広く国民へ提供し、国を発展して頂くようにと、この蔵書院は建てられました。
知識とは、宝のようなものです。 もし不要な本などがあれば、こちらに寄贈して頂くよう、国民の皆様にはお願いしております。」
「外国の本なんかもあるのか?」
本棚の中に、異国の本らしきものも混じっている様子を見て、ユキヒコは尋ねた。
「はい。諸外国の本は数も少ないですが、写本をしたり、外国へ行かれた方からの寄贈などにより、いくつかございます」
「禁書のようなものがあったり、閲覧制限はないのか?」
「基本的にはございません。知識を得る権利は、皆平等ですから」
フロレアールでは、このように自由に本を読む事も許されなかった。
閲覧制限が設けられ、特に外国の本を読もうとする場合、目的と内容を教会に厳しく制限されていた。
ワダツミとフロレアールが、本に対する姿勢でもこれだけ異なっているという事実から
ユキヒコはフロレアールが教会ぐるみで情報を制限している事を、ますます不審に思わざるを得なかった。
そういえば、聖花騎士隊の先輩であるルドベキアが、よく本を読んでいた事を思い出す。
ルドベキアは常々言っていた。知識は力だと。
知らなければ、相手に言われるがまま踊らされるままだと。
王宮も国民も、教会の言うがままの、今のフロレアールのように。
それまでは当たり前だと思っていた自国の習慣や考え方が、外国においてはそうでないという事に
8年間各地を渡り歩いてきたユキヒコは感じていた。
そしてそれは、国の気候や歴史、文化、そして国の舵を切る者たちによって大きく影響されるという事も。
その習慣や考え方はその国に即したものであり、他国では通用するとは限らない。
但し、それが本当に正しいと言えるのかどうかは、その国の者でもはっきりと答えられるようなものではなかった。
ワダツミに至る旅路で、ユキヒコが辿り着いたのは。
恐らく、フロレアールでは教会が国全体を巻き込んだ情報操作をしているという可能性だった。
鍵は、恐らく異端審問。
異端者排除の考えが正しいならば、このワダツミの国での生活は決して成立しないはずだ。
しかし、長い冬により、雪と氷に閉ざされるこの国では、それでも多くの人が活気に満ちた生活している。
その矛盾を打ち砕くような、逞しい人々の生活を、自分はこの目でしっかりと見てきた。
冬が飢餓を呼び込み、人々を死に追いやっている。
冬や火の災厄を呼び込む異端者たちは処刑されるべき。
その考えが、果たして正しいのか。
「こちらです」
司書の青年の言葉にはっと我に返り、探していた本がある棚に、ユキヒコは案内された。
しかし……
「……? おかしいですね、ここに何冊かあった筈なのですが……」
目的の本棚は、すっかり空っぽになってしまっていたのだった。
訝しむ青年に、何冊もの本を抱えた巫女が、隣を通りかかった際に声をかけた。
「ヒオウギさん、そこの棚の本は、数日前にリリサちゃんたちが、訪れたフロレアールの子たちと一緒に借りていきましたよ。」
ここでもまた、フロレアールの単語を耳にする。
この国を訪れた若者たちも、ワダツミの雪の暮らしから、異端審問の矛盾を感じ取ったのだろうか。
この事実を、フロレアールの人々に伝えなければ。
彼らもきっと、そう思ったのだろうか。
「……聞いた通りです。申し訳ありませんが、お探しになっている書物は、今どれも貸し出し中のようです」
「いえ、お忙しい中、わざわざ手間取らせてしまい、すみません。
どうもありがとうございました。また来ます。」
申し訳なさそうに謝る司書の青年に、礼を述べてユキヒコは蔵書院を後にした。
帰路に就く途中で、歩きながらユキヒコはひとつの事を思い出した。
祖国の国境を超えた日も確か、この空のように、吹雪の間からくっきりとした青空が見えただろうか。
国を去る際に、託された任務。
異端審問が是か非かを、世界を回り、知識を集め、この目で見てくる事。
急に、ユキヒコは焦燥と自責の念に駆られた。
今この瞬間にも、異端者の烙印を押された者が鎖に繋がれ、命を絶たれようとしている。
今、祖国から離れ、遠く異国のこの地にいる自分が出来る事とは、一体何か。
見習いの若い騎士たちがわざわざ国を出るという危険まで冒しているのに、自分は一体、今まで何をしてきたのか。
埃を被っていた熱い思いが、心の奥底で再び芽吹き、湧き上がるのを感じる。
銀景京を後にし、山の麓の家へ向かう足取りは、次第に早くなっていった。
住まいである一軒家に辿り着く夕暮れ頃には、歩いてきた道の足跡を覆い隠す程の雪になっていた。
引き戸を開け、家に入ると、土間の作業場で師匠のツトムが1本の刀を研いでいた。
「……戻ったか。どうだ、探し物は見つかったか」
刀を砥石で整えるツトムの口調は落ち着いたものだったが、いつもとどこか勝手が違う。
「いえ……探していた書物は、残念ながら見つかりませんでした」
ユキヒコが答えると、ツトムは砥石から刀を離し、冷水に浸して乾いた手ぬぐいで拭う。
研ぎ上がった刀は、白銀色の雪のように、冴えた光を鋭く放つ。
「師匠……?」
彼の問いに黙ったまま、ツトムは磨いた刀をひゅっと振り下ろした。
「……このワダツミでは、龍神様と精霊たちの護りにより、滅多に敵は侵入してこない。
が、たまに荒波を超えて、国に辿り着く者たちがいる。
それは、龍神様や精霊の導きとされ、邪な輩はその邪心を見透かされ、ここには来れない。
しかし、ここ最近は外の国も様々な技術が進歩している。噂では、海を越えて他国を侵略する輩も居るという。
ヨロズミタマの守護を受けたワダツミでも、その恩恵だけでは防げない……
そういった場合の為に、我ら武装神職者たちは、ワダツミの各地に配置され、監視を続けている。
ユキヒコ、お前が来た日から、私はずっとお前を見定めていた……それを黙っていた事を、まず詫びねばならんな」
真っ直ぐ見据えるツトムの眼差しを受け止め、ユキヒコは暫く黙っていたが、やがてゆっくり口を開く。
「いえ……本来ならば、素性の知れない、どこの間者かも分からないような私を、
何もお咎めなしに置き続けて頂いた事に、感謝の言葉もありません。
ずっと素性を隠し続けていた事こそ、私は師匠に謝らなければいけないでしょう……」
助けて貰いながら、自らの素性をずっと隠し続けていた事に後ろめたさを感じ、ユキヒコはツトムに懺悔した。
しかし、それを咎めることなく、ツトムは優しく言ったのだった。
「本来ならば、お前がどこの国の所属で、何の目的があってこの国にやってきたのか、私は暴かねばならなかった。
しかしな…… 1年の間共に過ごすうちに、お前の心根の優しさに、私は気付いたのだよ。
一生懸命に修行に励む様。困った者へは躊躇せずに手を差し伸べ、己が辛い状況でも愚痴の一つも言わん。
邪な思いを抱くような人物には、到底見えまい。
そんなお前に、私はこれまで培ってきた技を、お前に伝えたいと思うて、修行をつけたのだ。
御国守りとは、長い年月を平和と共に過ごしてきたワダツミノ国を護る崇高な役目。
腕が立てば誰でも頼むという事はない。
この国を、この国に住む民たちを好いて、命に代えても護ろうという気概のある者にしか頼まん。
お前はワダツミで生まれた訳ではないが、その心はもはやワダツミの国民だと思うておるよ。」
ツトムの言葉に、ユキヒコは目頭が熱くなる。
「勿体ないお言葉を……」
暫く俯いていたユキヒコだったが、やがて顔をゆっくり上げると、ひとつ息を大きく吸い込んで、己の身の上を話す。
「……私は、フロレアール出身の騎士でした。本来の名は、ジェノと申します。
訳あって祖国を追われる身となり、各地を放浪の末、船が難破して海を漂っていた所、このワダツミの国に流れ着きました。」
「そうか、お前もフロレアールの出身だったのだな。だから、チアキやメグミらが彼の国の話題を出した時に動揺した訳か。
で、まさかこの国に使節としてやってくるとは夢にも思わなかったのだろう」
ユキヒコ……もとい、ジェノの言葉に、ツトムはここ数日の彼の様子を思い出し、妙に納得する。
「仰る通りです。我が国はワダツミとは国交もない筈。なので、今回の使節たちの訪問も、正式な使節団ではない筈……
何か急を要する事が祖国で起こったのではないかと、危惧しておりました」
「正式な使節団ではない……とは?」
「私が国を追われた理由と重なります。
今、フロレアールでは、プランタン教会という組織がその影響力を強め、国政にまで大きく関わってきているのです。
その教えの軸が、“異端者排除”と呼ばれるものです。
フロレアールは常春の国として知られますが、それをもたらしているのが、異端者排除の考えです。
異端と呼ばれる氷・火・闇の3属性を悪として捉え、徹底的に糾弾し、国から排除する事により
冬をなくし、恒久的に緑をもたらそうという教えを、教会が普及しております」
「馬鹿な……それはヨロズミタマの教えに反するものだ。人が魔法を持って、自然を操るなど!
何より、人が人を貶めるなど、そんな国など安心して住めるはずもない!」
異国での非道の業に、ツトムは声を荒げた。
「ワダツミでは、そのように自然を操る事を禁忌としているのですね。
フロレアールの恵みが、異端者排除によってもたらされていると教会は人々に教え、国は確かに緑の豊穣で繁栄しています。
一方で異端者として振り分けられた人々は、生きる権利をも奪われる……
私も氷の守護を受けている事が発覚し、故にその身を追われたのです。
しかし、本当にそれが正しいのか。
国と王宮を守護する役目を担う聖花騎士隊は、教会に密かに反旗を翻し、独自に調査を続けています。
私もその役目を担い、処刑から免れ、国を出て各国を放浪し、見聞を重ねている途中なのです」
「そうだったのか……故に、今日蔵書院を訪ねてみた訳だな?」
「そういう事です」
すると、ツトムは今しがた磨き上げた刀を、紺碧に塗られた刀鞘に納め、ジェノの前に差し出す。
「私の持てる全てを、精魂込めて打ち、磨き上げた刀だ。きっと、お前の助けになるだろう。
こんなところで、刀鍛冶や剣技の修行だけに明け暮れている場合ではないぞ……!
フロレアールの為に、そしてワダツミの為に、お前にしか出来ない事がきっとある。
これを持ち、大社殿へ行くと良い。事情を話して、巫女姫様たちのお力になってくれ。」
ツトムの磨き上げた、眩いばかりに光る美しい和刀。
ワダツミの心が込められた和刀を、ジェノは両手でしっかり握りしめた。
「ありがとうございます、師匠。 ここでの教えを、決して無下には致しません」
新しい刀を脇に差し、ジェノは決意を新たにするのだった。
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書けたー!! 結構長丁場になってしもうた……
今までの色々なお話と絡めて、あちこちちりばめてみたのが楽しかったよ!
テルコちゃんも参道街でちょこちょこお見かけしそうね(笑)
蔵書院とかも結構内部空想して好き勝手書いてしもうたが、こんな感じで良かったかしら?
騎士っ子らが来た時に、色々調べたのではないかなぁと。
時間差でそれを見つけたりして、フロレアールの異端審問のことじゃないかって、勘づくかなと!
ツトムおじいちゃんも、実はそんな役目を持っていたとか。
もう引退しているだろうけど、外からの侵入者を見つける目は、いくつもあってもよいかなと!
ワダツミの皆さまは、外から流れてくる人たちを善意で助けたりしてそうだけど
国を護る大社殿としては、そういう存在にも注意していかないといけないかなと思って、ちょっとシリアス路線にしてみました。