しばらく谷を探索した一行は、夕暮れ時を過ぎても、目的地へ続く旧道への入り口を未だ見つけられずにいた。

黄昏が谷全体を照らし出し、オレンジ色の斜陽の光で岩陰がくっきりとしたコントラストを形作っていた。

日暮れまでに見つけられなければ、谷の底故に、暗がりの中見つけるのは更に困難になるだろう。



「サロード、まだ見つからないのー?」


しびれを切らしたルーシーが、岩に腰かけて足をぶらつかせながら呼び掛ける。


「おかしいなぁ、確か旧道への入り口はこの辺りだった筈なんだけど……」


古地図と谷の底の岩壁を交互に見やりながら、サロードは頭を抱えた。

かつて通った筈の旧道への入り口が、全く見つからないのだ。


「アンタの記憶違いだったんじゃないの?」

「いやいや、数年前とはいえ、何回も通った道だよ。間違う筈は無いんだけどなぁ……」



疑うように問いかけるラーレに、サロードは珍しくハッキリと反論する。

しかし岩壁を前にして、道の入り口のような形跡は全く見当たらない。




ふと、ルーシーの隣に立っていたソニアが、何かに気が付く。


「……ねぇ、何か聴こえない?」


彼女の問いかけに、その場に居た全員が耳を澄ます。



すると、ソニアの他に、スノウとマトヴェイが、何か囁くような声が、岩壁から聴こえてくるのに気が付いた。


「何か、誰かの囁き声が聴こえる……こっち、だって……」

「……この岩の中からか?」


一見すると、ただの岩山にしか見えないその壁。

日没を過ぎてすっかり暗くなった壁を、ソニアが手のひらから紅い焔を灯し、その光で周囲を照らし出してみる。



するとその岩山は、よく見ると崖崩れのように崩れた岩で埋まっているような状態だ、ということが判った。




「旧道への入り口が、風化して崩れた岩壁で塞がっていたんだね。これじゃ分からない訳だ」

「でも、よく分かったわね、アンタたち」


サロードとラーレは、3人が捉えた僅かな手がかりに目を丸くして驚いた。



「声、が聴こえたんだ……」

「声?」


その答えに、サロードとラーレはきょとんとして首を傾げる。

どうやらスノウとマトヴェイ、そしてソニアが聴いた“声”は、3人にしか聴こえないようだった。



「もしかしてそれって、精霊使いにしか聴こえない“精霊の声”なんじゃない?」



強大な精霊魔法を扱えるという能力ばかりが取り沙汰されてきた精霊使いだったが、彼らにはもう一つ、普通の人間にはない能力があった。

それが、声を聴く事や、姿を見る事により、精霊の意思を理解できる、というものであった。


マトヴェイやソニアの守護精霊の、セリコやポルヴォーレのように、はっきりと認識できるような力の強い精霊も居れば

外観を形作る程にもならない、僅かな光のような微小な精霊も、この世界には至る所に無数に存在しており、

精霊使いは彼らの姿を認識し、声を感じとる事が出来た。



しかし普通の人間には聴こえないものが聴こえ、見えないものが見えるという精霊使いのその能力は、

彼らが迫害される理由の一つになってしまっていた。


自分たちから言い出さなければ気付かれない為、精霊の姿が見え、声が聴こえるという事を

精霊使いは表沙汰にすることは殆ど無かった。




精霊使いであるという事を打ち明けたばかりのスノウは、そんな仲間たちの驚きに引け目を感じてしまう。


「気味が悪いよな…… 誰にも聴こえない声が聴こえるって」


スノウは、故郷のフロレアールでも、自分が精霊使いである事を誰にも明かしたことが無かった。

それは、昔かつて話をした楡の精霊の老人から受けた、精霊が見える事を誰にも明かしてはならないという忠告を

今までずっと忠実に守っていたからでもあった。

それでなくとも、普通に考えて、目に見えないものと会話するなんて、気がふれたとでも思われてしまうだろう。


暗い表情を浮かべるスノウ。




しかし、そんな彼女に、ルーシーはとびきり目をきらきらさせて、感嘆の声を上げた。


「凄い凄い!! 精霊の声を聴く事が出来るなんて、凄いわ!!」


彼女の声に、3人は思わず驚く。

ルーシーの表情には、畏怖も、侮蔑も、奇異の色も感じられず、ただ純粋に3人を称賛していたのだった。



「え……? 気持ち悪くないかな……? 人に聴こえないものが聴こえるって」


帝国に捕まり、それまで実験体として人ならざる者のような扱いを受けてきたソニアは、ルーシーに対して怖々尋ねた。

守護精霊であるポルヴォーレと話をしている際にも、何もない虚空に話しかける彼女を見た研究者たちに

奇異の視線を投げつけられた事を思い出しながら。


だが、ルーシーは興奮しながら、ソニアに改めてきらきらとした眼差しを向ける。


「精霊の声が聴けるという事は、凄く幸運なことなのよ! 誰だって聴きたくて聴けるものじゃないんだから!

 あ〜、私も聴いてみたいなぁ!!」


すると、ルーシーだけでなく、後ろに控えていたサロードやラーレも、3人に対して

決して蔑むような視線を送ってはいないという事に、彼らは気付いたのだった。



「精霊の話は昔から民話やおとぎ話であちこち聞いていたけれど、精霊使いがこうして精霊たちと

 やりとりしているのを直に見るのは初めてだよ。

 へぇぇ、精霊の声が聴こえるなんて、凄いね……おかげで、こうして助けてもらう事も出来る。ありがたい能力だね」


「精霊って、自然の中に宿る命そのものなんでしょう? いわば、自然の意思を感じる事が出来るってことよね。

 すごいじゃない。あ、だから、自然を味方にした、強い魔法が使えるのかしら?」


サロードやラーレが口にしたのは、肯定的な言葉ばかりだ。

そんな彼らに、スノウは遠慮がちに、それまで聞くに聞けなかった事を、そっと問いかけた。



「君たちは、私たちが怖くないのかい? 精霊使いという存在が、気味悪くないのか……?」



そう話しかけるスノウの語尾は、気丈に振る舞おうとするものの、微かに震えていた。

彼女の質問に、マトヴェイとソニアも、仲間たちからの回答を静かに待っていた。



精霊使いだという事実は、彼らにとって、酷な立場を強いる事が多かった。

恐れる者、気味悪がる者、あるいはその能力を利用しようとする者、蔑む者……いずれも、肯定的な扱いではない。

故にこれまで、自身の事を周囲の人間に打ち明ける精霊使いは、皆無に等しかったし、3人もそうだった。




しかし、事実を自然に受け止めた上で、不審がったり過剰に恐れたりする事無く、サロードは静かにこう答えてくれたのだ。



「スノウちゃん。 俺が見たスノウちゃんは、氷の精霊使いという存在じゃない。

 ちょっと天然で、でも真っ直ぐな正義感と優しい思いやりの心を持った、頑張り屋さんな素敵な女の子。それが君さ。」



茶目っ気たっぷりにウインクをしてサロードは朗らかな笑みを見せてくれた。

そんな彼の台詞に、スノウは思わず赤面してしまう。


すると彼を押しのけて、ラーレがずずいっと身を乗り出す。



「はいはい恥ずかしくってクサい台詞で口説き落とすの禁止!!


 アタシも精霊使いと接するのは初めてだけど、だって、こうして話してみても、全然普通の人と何ら変わりないじゃない。

 大丈夫、アンタたちはアンタたちよ。

 そんなに警戒しなくても、あたしたちはアンタたちを必要以上に怖がったりなんかしないわ。ね?」



ラーレはそう言うと、一歩引いて自分を警戒した目で見つめていたソニアを手招くと、優しく撫でた。

彼女の言葉は、穏やかさと、暖かさと、包み込むような優しさに満ちていた。

頭を撫でる柔らかく優しい手の感触に、ソニアは初めて、心から安心したように微笑んだのだ。




目の前にいる仲間たちは、精霊使いであるという事実を受け止めた上で、恐れたり蔑んだりするような事はしなかった。


彼らは、精霊使いというくくりで自分たちを見ている訳ではない。

自分という個人を見据えて接してきてくれている。そんな気がしたのだ。




マトヴェイの隣では守護精霊のセリコが、そしてソニアの隣にはポルヴォーレが、それぞれとても嬉しそうな表情で

2人に寄り添っていた。こんな嬉しそうな精霊たちの姿を、2人は今まで見た事が無かった。



『いい仲間に巡り合えて、良かったね、マト』

「……けっ。 まだ俺はこいつらの事、信用しちゃいねぇからな」


セリコに対して素直になれず悪態をつくマトヴェイに、サロードはすかさず突っ込みを入れた。


「あれ? マトヴェイ、今誰と喋ってたの? もしかして、精霊さん?」

「うっせぇ、何でもかんでも首突っ込んでくんな!」

「やだぁ〜野蛮〜♪ ねぇねぇ、もし精霊さんと喋っていたら、俺の事いい奴だって紹介しておいてよ。なんか御利益ありそうだし♪」

「あのな! どっかの道祖神じゃあるまいに、勝手なこと言うな!! それにお前のどこがいい奴だ!? え?!」

『あはははは、面白いお仲間さんねぇ』


セリコの声が聞こえているのか聞こえていないのか、やたら騒々しい応酬を繰り広げるマトヴェイとサロードを

他の仲間たちも笑って眺めていた。



「ソニアちゃんにも、精霊がついているの?」

「うん。私の精霊はね、火の精霊で、ポルヴォーレっていう男の子なんだよ」

「へぇ!! 精霊にも、ちゃんと名前があるんだ!!」

「ちょっと話し方が乱暴なんだけどね。私をいつも守ってくれているの」


ソニアも、自分についている精霊の事をルーシーに紹介する。

それまでひた隠しにしていた精霊の話を、自分から出来るようになったのは、これが初めてだ。

興味深く話を聞いてくれるルーシーに、ソニアは次々と精霊の話を嬉しそうに話して聞かせた。

そんな彼女の後ろで、ソニアが話して聞かせる自分の話に、耳を赤くしながらポルヴォーレはそっぽを向いていた。




スノウ、マトヴェイ、ソニア、それぞれにとって、己が精霊使いである事を肯定的に受け止められるようになる

きっかけの第一歩に、彼らはなってくれたのだ。





賑やかなやりとりの中、サロードは静かにラーレに話しかける。


「……あんな思いを、ずっと彼らは抱えていたんだね……」


「精霊使いが帝国に追われているって話は有名だし、うちのサラーブでも、兵士としてこき使っていたみたいね。

 国や地域によっては、迫害されているって聞いた事があるわ。」


「強い魔法の力から、一見敵なし、のようにも見えるけど、彼らこそ、誰より傷ついている。

 俺たちが、護らなきゃ。

 帝国から、もそうだけど、精霊使いを知らない人々の心無い扱いからも、ね。」


「そうね……」


その会話は、谷に吹く風に吹き消され、精霊使いの3人には聞こえなかった。










「……で。精霊さんたちは、入り口がここだって言ってくれているのね? でも、どうやって入り口を見つけるの?

 入り口は岩に阻まれているみたいよ?」


ルーシーの質問に、精霊使い3人は腕を組んで頭を捻る。

崩れた岩壁で塞がれたその場所は、容易には入り口を見つけられなさそうだ。



『こんな時こそ、アタシの出番なんじゃない?』


ふと、セリコがマトヴェイに話しかける。同時にスノウも頷いた。


「岩か…… マトヴェイ、君の力を今こそ借りたい」



2人の呼びかけに、マトヴェイは黙って静かに右腕を目の前に差し出す。


「危ねぇから皆下がってろ……上手くコントロール出来るか分からねぇ」


皆にそう言うと、神経を集中させるために、マトヴェイは目を閉じた。





今まで力を使う時は、大勢の敵を葬る為に、見境なく大地に裂け目を走らせ、地面を砕いてきた故、

コントロールの仕方など考えてこなかった。

だが今回は、目の前にある特定の岩を動かす事が、己に課された使命だ。

しかも、その目的は破壊や殺戮ではなく、仲間たちを先に進ませるという、彼が担った初めての前向きな使命だ。

その責任感が、静かにマトヴェイの肩にかかる。



サラーブの城壁に追い詰められ、敵に囲まれた時に力を使った時と同じような感覚が、マトヴェイの掌に熱く迸る。

殺す為ではない。この力は、仲間を生かす為に。あの時の感覚を、マトヴェイは反芻する。




暫くの静寂の後、かっと目を見開き、右腕に魔力を注ぎ込む。

次の瞬間、崩れて積み重なった岩山がゴトゴトと震え、ひとつひとつの岩がゆっくりと浮き上がっていく。

巨大な岩を思うように動かすのには相当の集中力が必要で、魔力を込めるマトヴェイの額には脂汗がうっすらと浮かんでくる。


「頑張れ、マトお兄ちゃん!!」


そんな彼を、ソニアは後ろから励ます。


人の背丈よりも大きな岩が、ひとつ、またひとつと、空中に浮かび上がる。

やがて、浮き上がった岩の間から、崖から岩山の内部へと続く道が見えた。

この道こそ、サロードがかつて通った旧道だった。



「やった!! 道が現れたよ!!」

「すごいすごい!! あんな大きな岩が動くなんて!!」


皆の歓声が上がる。

道を塞いでいた岩を全てどかし終えると、マトヴェイは一気に力が抜け、ふーと長い溜息をつく。

皆が喜んでいる中、マトヴェイは全身汗だくになりながらも、黙って己の掌を見返していた。




すると、後ろからスノウがそっと話しかけた。


「……君の力は決して、人を傷つけるばかりのものではない。 そうだろう?」

「はんっ、こんなちゃちな仕事で、んな事が分かるかよ」


彼女の問いかけに、マトヴェイは未だ素直になれず、ぷいとそっぽを向く。

しかし彼の耳は、その言葉に反して、随分と真っ赤になっていたのだった。



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