次第に東から空が白み始め、星々は夜明けの到来と共に、その光を少しずつ消していく。

地平線上の荒野は群青からコバルトブルー、勿忘草色で染め上げられ、次第に白から明るいオレンジ色へと変化していく。


見上げると、まだ涼しさの残る早朝の空を、1匹の黒鷲が大きく羽根を広げ滑空していた。

澄み渡った空の青が眩しい。スノウは黒鷲の影から差す朝日に、思わず目を閉じた。

大地はまだほんのり肌寒さを残していたが、これから日が照り付け、きっとあっという間に暑くなってしまうのだろう。



ラーレの宿舎に泊めて貰った一行は、翌日の行動を考えあぐねていた。

故郷であるサラーブに戻り仲間たちの安否を確認したサロードは、一泊の礼の代わりに、今日はラーレたちと共に楽団の手伝いをするという。

驚くべきことに、彼はサラーブでもその美声とリュートの腕前で、かなり人気を博していたと、やや不満げにラーレが説明した。

「腕は、まあ、悪くはないのよね……」

サロードの帰還を喜ぶサラーブ民もいるだろう、との事だ。

ラーレも、彼の音楽に合わせて踊るのが、決して嫌いではないのだろう。




スノウとルーシーは、今日1日何をしようか頭を捻らせる。

野蛮な帝国兵がうろつく中で女子2人だけ、おまけに少女を連れた状態で、治安の保たれない街中を探索するのはあまり賢いとは言えない。

というか、その案はラーレに猛反対されたのだ。


「護衛も居ない中で、子供連れて女の子2人が戒厳令のサラーブの街中を探索するなんて、冗談じゃないわ!!

 あの変態詩人でさえ今日は付き添わないんだから、危ないに決まってるでしょ!!」

「ラーレちゃ〜ん、変態詩人って酷いよぉ……」

「私がルーシーの護衛を務めるが……」


そうスノウが進言するが、その提案はラーレの怒鳴り声にかき消された。

ずびしぃっと音がしそうな勢いでスノウらを指し示し、ラーレは彼女らに釘を刺す。


「駄目よ、ダメダメ!! 大体、昨日騒動を起こしたばっかりなんだから、きっと目を付けられてるわよ!!

 せめてあたしたちが戻ってくるまで待ちなさい!! いいこと、今日はこの宿舎で待機!!

 今日の興行が終わったら、一緒に街中を案内するから!! 分かったわね!!」


「君たち楽団自体も、帝国兵たちに目をつけられていそうだが……」


「あはは、スノウちゃん、ラーレちゃんは怒らせると怖いから、ここは彼女の言う事を聞いていた方が良いよ」


こっそり隣から忠告するサロードに、彼女の剣幕の凄さに思わずスノウは無言で頷いたのだった。





「あ〜、暇だよぅ〜……」

「見ず知らずの土地に来たら、その土地の民の忠告は聞くのが得策というものだぞ」


ラーレとサロードが出かけて静かになった宿舎で、窓に突っ伏してルーシーがぼやく。

それを嗜めるようにミケランジェロが彼女にしか聞こえない声で、にゃあ、と鳴いた。


「まぁ、暑い中やみくもに歩き回るより、たまにはこうして休息をとるのもいいんじゃないかな。

 思えば、リトスを出てからずっと歩き続けたり、帝国兵と戦ったり、何かしら突発的な事ばかりだったからね」


12枚の花弁が煌めく剣を磨きながら、スノウはのんびりとルーシーを宥めた。



「でも、ラーレたちと出会えたのは良かったかもしれないな。

 この国で何が起きているのかを知るには、住人たちの話を聞くのが一番だ。

 ここに住む彼女たちの話は、支配している帝国に脚色された情報でもなく、正真正銘サラーブの生きた情報だ。

 サラーブで何が起こっているのかを、まず君の御父上に教えてあげる事が出来るね。」


「うん! パパに教えなきゃ。帝国が酷いことしているのは勿論だけど、サラーブの王様たちも、あんまりよくなかったって……」


「昨日のラーレの話かい?」


「そう。だって、酷いじゃない。何にも武器の持たない住民の人たちを見捨てて、軍隊の人たちを盾にして、自分たちは奥に引っ込んじゃうって。

 そんなの、卑怯だわ! 戦っている人たちも何のために戦っているのか、可哀想よ!」


真剣に話すルーシーの面影は、一瞬父親であるトーマス公の聡明さを感じさせた。

どの国にも、兵士たちを人とも思わず駒のように使い潰す、愚かな為政者はいるものである。

しかし、決して利己的にならずに、自分たちを護る為に戦う兵士たちにも思いを傾ける……

そのような指導者に、人はついていこうという気持ちになるのではないか。


ルーシーは将来、リトス海洋貿易都市連盟を統べる身。

幼くして彼女は、人の上に立つべき資質を、少しずつ身につけている様子が伺えたのだった。



スノウは思い返す。

自分の故郷であるフロレアールはどうだろうか。


護るべき国民を国の名のもとに捕え、処刑場へと引き摺って行く、異端審問の光景を。

異端審問は、国に飢餓と冬をもたらす呪われた者たちを断罪する為に行われているが

自分たちが護るべき国民自身を、死に追いやっているのは、そもそも本末転倒なのではないか。

それに異を唱えない自分もきっと同罪だ。


自分に、サラーブを非難する資格はない。そうスノウは思ったのだった。





ルーシーは暫く考え込んだかと思うと、おもむろに1つの提案をスノウに投げかける。


「あのね、スノウ。 私、サラーブの王宮に行ってみたいの。」

「王宮に?」

「うん。」


もじもじしながら、ルーシーは自分の気持ちを素直に伝える。


「どうしてかは上手く言えないんだけど…… 行ってみて、今王宮がどうなっているのか

 実際にこの目で見なきゃダメな気がするの」


上手く自分の気持ちを伝えきれずにもどかしがるルーシーの頭に、ぽんと手を乗せる。

ルーシーの中に芽生えたその思いを汲み取り、スノウは頷いてにこりと微笑んだ。


「……そうだな。私も、見なくてはいけない気がする。」



民を犠牲にして、それでも国を護り切れず滅んだ国、サラーブ。

かつての栄華を失った王宮が、どのような末路を辿り、今どのような有り様になっているのか。

国を統べる者としては、その目に焼き付けなければならないだろう。




「でも、ラーレに言ったら怒られるかなぁ……」


サラーブの王宮といえば、今は帝国軍の駐屯兵たちが占拠し、軍の拠点として使っている場所だ。

勿論、見張りとして大勢の兵士たちが警備しているだろう。

そんな場所に行ってみたいと言おうものならば、ラーレから雷を落とされるであろう事は明白だ。



「ラーレたちが帰ってくる間に、見に行ってみるというのはどうだろう。

 今日1日、彼女らは夕方まで興行で出かけているから、行って帰ってくるだけの時間はあると思うよ。」


スノウの提案に、ルーシーは目を丸くする。


「うわぁ、スノウったら、言いつけを護らないで内緒で行こうだなんて、随分大胆な悪い子なのね!」


悪い子と呼ばれ、スノウは苦笑する。

思えば、フロレアールで過ごしていた時も、畑や野山、騎士隊の所へ、心の赴くまま出かけたりして

聞き分けのいい大人しい子では決してなかった。

しかしその分、言われた事だけを頑なに守っているだけでは、決して見えない景色、辿り着けない場所がある事を

スノウは知っていた。



「だけど、サラーブの王宮はきっと今じゃなければ行けない……そう思わないかい?

 こういうのは行動力が大事だ。」


「う〜〜…… 確かにそうだけど……」


「お前だって、言いつけをしっかり守るようないい子ではないだろう。

 常に好奇心の方が上回っている……そんなのは俺が十分承知している。 大人しく認めるんだな。」


考えあぐねていると、ルーシーの横からミケランジェロがしれっと言う。


「そ、そんな事ないもん! でも……」


ミケランジェロに反論しつつも、好奇心と罪悪感の狭間で悩むルーシー。


「行くのか? 行かないのか? 時は待ってくれないぞ」


「大丈夫、もし後でラーレに何か問い詰められても、私が謝るよ。

 それにこれは、リトスの公女として、君の御父上から託された務めだと、私は思うんだ」


悩みに悩んでいたルーシーは、スノウが言った最後の言葉に動かされた。


「パパからのお願い……! そうよ、これはリトス公女としての役目なのよ! うん!」


ルーシーはそう言って大きく頷いた。決心の固まった彼女に、スノウとミケランジェロは顔を見合わせ笑った。









煉瓦造りの家の隙間を縫うように、大判のボロ布で身体を覆ったスノウとルーシーは、王宮のある街の中心部を目指す。

街の外れからでも、王宮の大きなドーム状の屋根は目立つので、それを目標として2人は道を進んだ。

大きな道には物々しく武装した帝国兵が監視をしているが、細すぎる小路はガラの悪そうな人物に絡まれる恐れがある為

適度に細くて幾人かの住民が歩く、それなりの道を選んで、目立たないようにして歩いていく。


その際、ミケランジェロが大いに役に立ってくれた。

道に先回りし、見張りの兵士たちや怪しい人物がいそうな場所を前もって教えてくれ、それを避けて進むことが出来た。


「凄いじゃないか。ミケランジェロは賢いな」


スノウが褒めると、それほどでもないとでもいうようにミケランジェロは涼しい顔を浮かべ、澄まして目の前を優雅に歩く。


「あんまり褒め過ぎちゃダメよ。きっといい夕食を褒美に貰えるとでも考えているんだから」

「失敬な奴だな。俺の特技を少しでもお前たちの旅の役に立ててやろうとしているんだぞ」


ルーシーがからかうと、ミケランジェロは折角の技をけなされたとばかりに、不服そうにふいと顔を背ける。

それでもミケランジェロは紳士らしく、2人の為に律儀に自分の役目を全うしてくれた。






やがて2人と1匹は、広い王宮が見渡せる程開けた場所に辿り着く。


かつてサラーブ王族が住んでいた宮殿は、今やカーディレット帝国軍が占拠していたが、そのあまりの豪奢さに2人は息をのんだ。

ラピスラズリがふんだんに使われたタイルで彩られたドーム屋根。縁取りに惜しげもなく使われているのは、眩い金だ。

中央の門に続く道に沿ってシンメトリーに配置された鷲の像の目にはめ込まれているのは、卵ほどもあるトパーズだろうか。

いくらかは戦乱で壊れたり、あるいは欲深な者によって抜き取られたりしているが、十分見栄えのするものだった。



市街と王宮を隔てるように建った高い壁は、まるで王族と一般市民を分けるような壁だ。

戦乱でいくつもの銃弾や傷跡で傷つけられていたその城壁でさえ、かつては美しく彩られていたのだろうが、今は見る影もなかった。

場所によっては、血糊が生々しくついている。それだけ戦闘が激しかったのだろう。

物々しい雰囲気を感じ取ったのか、ルーシーはスノウの腕をぎゅっと掴む。

それは、帝国兵と対峙した時の震えとは違う、人の死を間近に感じ取った時に湧き上がる恐怖の思いだ。




更によく見ると、宮殿の前に、磔にされ野ざらしになり、禿鷹につつかれている何かが見えた。


「……! ルーシー、あれは見てはいけない…!」


それが何であるか感づいたスノウは、ルーシーの前に立ち、目を逸らさせる。



豪奢な宮殿で何一つ不自由なく生活していた王族たちの哀れな末路。

しかしそれも、自分たちの命を惜しむあまり、人々を盾に高い壁の外に追いやった代償とも言えるだろう。

2人は彼らの末路を、しっかりとその目に焼き付ける。



「国を護れなければ、皆殺されてしまうのね……」


スノウの隣で青ざめながら、ルーシーはぽつりと呟いた。


「どうして、戦争が起こるの? 皆仲良く暮らす事は出来ないの……?」


泣きそうな眼差しで、ルーシーはスノウに問いかけた。

しかし、その純粋な問いに、スノウ自身もはっきりとした答えを返すことは出来なかった。






「戦争ってのは、お互いの意地のぶつけ合いみたいなものよ。

 どちらが正しいなんて決められない。どっちも自分たちが正しいと思って戦っているんだもの。」



不意に女性の声がした。


スノウが振り返ると、少し離れた場所に、一部崩れた王宮を眺めながら佇む、1人の女性の姿があった。


風にふわりと舞う白いヴェール、身体を包む長い絹のシンプルなワンピース、さらさらと揺れる少しくせのかかった白い髪。

長い睫毛の瞼をそっと開けると、両の眼が魔訶不可思議な輝きを放つ。


明らかにこの地に住まう住人ではなさそうな風貌の女性の出現に、スノウは驚く。

ルーシーはその女性の出現に全く気付いていない様子だ。

突然の事に何も言えずに固まっているスノウに一向に構わずに、女性は涼やかに微笑み、語り掛けた。



「貴方も分かっているんでしょう。本当の正しさなんて、簡単に決められるものじゃないって。

 ……でも、貴方はそれを明らかにする為に、この旅に赴いたのよ。

 どうか、しっかりしなさいな。隣のお嬢さんを、泣かせるような事にならないようにね。」


お嬢さんとはルーシーの事だろうか。 スノウが何か言おうとする前に、その女性はウインクをして答えた。


「ついでに、これからやってくる子たちを、しっかりと護ってあげてね。

 貴方の問いに、一緒に答えを探してくれる存在になるだろうから」



それだけ告げると、白い女性はふっと雪が溶けるように、大気中にその姿を消していった。



唖然として立ち尽くすスノウの前に、突然大きな爆発音がした。

意表を突く程の大きな爆発音に驚き、音がした方向を振り返ると、何やら宮殿の方から煙が上がっている。

宮殿の柱の一本が大きく崩れ、大きく燃える火の手も見える。



「な、何が起こったんだ……?!」



音のした方向を怖々眺めると、その周囲に帝国兵たちが次々と集まり、叫びながら何かを追いかけている。

よく目を凝らしてみると、帝国兵たちの先に、2人の人物が、必死に大地を駆け抜けている様子が見えたのだった。




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