その夜、スノウたち一行は、ラーレが身を寄せていた流浪の楽団の宿舎に、一晩の宿を借り受けたのだった。


日が沈み、群青から漆黒に染まっていく夜空の下、東の空からゆっくりと瞬く星が現れる。

昼間の燃え盛るような炎天下の暑さとは一変し、夜は身体の芯から底冷えする程の寒さが街を包み込む。


なんとか宿を見つけられたのは、一行にとってはとても有難かった。



宿舎は、古い煉瓦を積み重ね、木組みの柱にボロボロの布をあちこちに張り巡らせた簡素な造りだったが、

何もない寒空の下よりかは何倍もマシだった。


砂の上にこしらえた簡素な焚き火が、パチパチと火の粉を散らす。

そこに即席のかまどをこしらえ、そのかまどでラーレは夕飯のスープを作っていた。

スープが吹きこぼれる手前で鍋を引き上げ、砂の上に置き、1人1人木彫りの皿に盛り分けていく。

その手際の何と良いことだろう。スノウは感心して眺めていた。


「はい。ごめんね、本当になんにもなくて、これぐらいしかもてなせないけれど」


「十分有難いよ。そういえば私たち、朝から何も食べていないんだった。助かるよ」


謙遜しながらラーレが出した羊のスープを、スノウは礼を述べて受け取る。


「う〜〜ん。これこれ。このちょっと物足りないくらいの味が、ラーレちゃんの味なんだよなぁ」

「アンタねぇ! 出して貰っといて、もっと褒め方ってもんがあんでしょうが!」


かつても味わったスープの味を懐かしむような、サロードのちゃっかりとした感想に、ラーレは失礼なと言わんばかりに突っ込む。

そんな2人の横で、きちんと座ってスープを味わうルーシーとミケランジェロは、育ちの良さを感じさせる。

特にミケランジェロは羊の骨を上品にぺろぺろ舐め、決してがっつく事はなかった。


「シンプルだけど、よく煮込んであって、とても美味しいよ! お姉さん、料理上手だね!」

「ふふ、ありがと♪ 少しでも美味しくなるように、腕は磨いているわ」


ルーシーの素直な感想を、嬉しそうに受け取るラーレ。




「カーディレットとサラーブとの戦乱の後でしょう。めっきり物が少なくなって、私たちも苦労しているのよね」


「貴重な食糧を、見ず知らずの私たちの為に、済まない……」


申し訳なさそうにスープを飲む手を止めたスノウに、慌ててラーレは手を振った。


「違う違う!そういう意味で言ったんじゃないわ! 貴方たちはあたしを助けてくれたんだもの。遠慮しないで食べて。

 こうなったのはカーディレットの連中が攻め込んできたせいよ。

 もともとこの街は交易の中心地だったのに、それが皆、カーディレットの連中がやってきたせいで、めちゃくちゃよ。

 美味しいもの、珍しいもの、綺麗なものは皆あいつらがぶんどっていっちゃうのよ。おかげで、今日明日のごはんさえもままならないわ。

 おまけに、あいつら我が物顔で道の真ん中を歩くし、邪魔になりそうなものなら剣で脅すし。

 若い子を脅して攫って行っちゃうし。危なくて街すら自由に歩けないわ!!」


ラーレは憤慨しながら、カーディレット帝国軍による横暴を並べ立てた。


「それだけじゃないのよ。物が少なくなってしまったせいで、商店には時折、物を奪う野蛮な連中が殴り込みをかけるの。

 しかも、それを全然取り締まってくれないから、街には犯罪が溢れるばかりだわ……」


彼女の説明に、スノウは驚き呆れる。侵攻して手に入れた国を、カーディレット帝国は全くもって管理していない。


「街の治安が全然保たれていないじゃないか……

 カーディレット帝国が侵攻した国は皆、ここのようになってしまうのかい?」


「他の所はあんまりよく知らないけれど、大体ここと同じようなものなんじゃないかしら。

 奪うだけ奪っといて、後は放置だなんて、横暴もいいとこよね」



カーディレット帝国軍は、軍内の規律が厳しく、占領地での統治や治安維持も仕事のうちの一つではあるが

比較的新しい時期に攻め落としたサラーブでは、統括する筈の士官たちも各地の戦乱に次々と召集され

士官が居ない故に軍の統制が取れておらず、その為に分別の無い愚かな下士官・下級兵たちが、己の意のままに好き放題やっているのであった。



「それに、カーディレットだけじゃないわ。サラーブのお偉いさんたちだって、酷いものなんだから!」


「? どういうことなんだい?」


今現在、酷い扱いを受けているカーディレット帝国軍にだけでなく、不満をかつてのサラーブ王国にもぶつけるラーレに

スノウは疑問を投げかけた。


「最初、カーディレット帝国軍がこのサラーブに攻め込んできた時もね。

 王国軍が国の防衛線で一生懸命戦っているのに、王族たちは我が身恋しさに高い塀の中に閉じこもり

 前線で戦っている兵士たちや、あまつさえ住民たちを囮にして、自分たちは安全な王宮の中に逃げ込んだのよ。

 逃げ場を失った住民たちは多くが戦火に巻き込まれ、犠牲になっていったわ……罪のない、大勢の女性や年寄り、子供たちがね。」


「なんだって……!?」


ラーレから王族の怠慢を聞いた瞬間、スノウは込み上げる怒りを隠せなかった。


「住民たちを、ましてやか弱い女性や子供、お年寄りを護るのは、国の義務だろう……!!

 何のための軍隊なんだ……!!」


「ホント、何のための軍隊よね。近頃は王族が権威を振りかざすだけのお飾りになっちゃってる、って話よ。

 王族も自分たちの私腹を肥やす事ばかりしか考えてない。跡目争いの醜い抗争ばっかり。

 そんな事ばかりしてたから、バチが当たったのよ。

 カーディレット帝国が攻め込んでこなくても、いずれこの国は滅んだかもね……」



サラーブ王国のサンドドラゴンによる砂地の騎竜部隊は、かつてその勇猛果敢さで世界中にその名を知らしめていた。

同じく、東洋の宝石とまで謳われた、サラーブの王都の美しさも。


しかしそんなサラーブも、王族の覇権争いなどという抗争の果てに、己の国を護る事すら出来ず、他国の侵攻に滅んでいったのだ。



国も民を護らず、民もそんな国の為になど働かない。そんな国など、いずれ滅んでいくのも、それはきっと仕方のない事なのだろう。



「それでもね。サラーブの王族の方々は殆ど処刑されちゃったんだけど、まだ遺体の見つかっていないタマラ王女様は

 正当な後継者の血筋を持っているし、穏やかで聡明な人柄で人望があったから、捕虜として捕まった兵士たちも

 王国の復興をまだ諦めてはいないって噂よ。これはまぁ、噂なんだけどね。」



「でも、そんな住民の事を考えない王様たちならば、国の為には戻ってこない方がいいんじゃないかしら」


スープを飲む手を止めて、ぽつりとルーシーが言う。

その台詞に驚いて、スノウはルーシーを見返した。

すると、ルーシーの顔には、サラーブの王族を許せないとでも言わんばかりの、釈然としない表情が浮かんでいたのだ。


彼女もれっきとした、リトス海洋貿易都市連邦を束ねる公爵家の令嬢。

民の事を考えない為政者など、恐らくきっと彼女は許しがたかったのだろう。


険しい表情で思い詰めるルーシーの頭を、サロードがぽん、と優しくなでる。


「ルーシーちゃんは、優しいね。この国の人の事を思って、怒ってくれているんだよね?」


「……っ、ち、違うわ! 王さまがあまりにも頼りなくて怒っているだけよ!」


優しいサロードの言葉に、真っ赤になって慌てて否定するルーシー。


そんなルーシーを見て、ラーレとスノウは互いにくすっと笑う。





「それにしても、昼間の君はとても勇敢だったね。あのカーディレット帝国兵に大勢で囲まれても、全く動じなかったじゃないか」


昼間の一件を思い出して、スノウは帝国兵に一歩も怯まなかったラーレの勇敢さを称賛する。


「ありがと。だって癪じゃない。あんな横暴な連中に従ってたまるものですか!

 あたしはね、どんな辛い境遇にいる人でも、そんな人たちを1人でも多く勇気づける為に、ここで踊りを踊っているの。

 あたしの踊りで皆を元気づけ、皆の喝采があたしの原動力になるの。

 あんな連中になんか言い寄られたって、負けやしないわ!」


はつらつとした笑顔を浮かべ、いきいきとラーレは語る。


「それを言うなら、他の皆が怖がってる中、助けに名乗り出てくれた貴方もなかなかだけど?」


そう言い、ラーレはスノウにウィンクした。


「あれはサロードの機転の良さのおかげだよ」

「そうそう、もっと褒めて褒めて〜♪」


ずずいっと出てくるサロードを両手で押しのけながら、ラーレは興味津々でスノウに尋ねた。


「ううん! カーディレット帝国の連中は、大陸あちこちに手を伸ばして我が物顔にしてるわ。

 あいつらが出張っている中、みんな怖がって萎縮しちゃうのよ。

 でも貴方は、全然怖がってない。寧ろ、あいつらのやり方がいけないって思っている、数少ない人だわ。貴重よ、そういう人。」


そう褒めるラーレに、スノウは慌てて謙遜して気後れする。


「私は、まだ世間知らずなだけだよ。何が正しい事なのかも、はっきり分からないんだ。

 ただ、ここに来る間にも幾人かの帝国兵たちを見たけれど、彼らの行いは、人々を恐怖で無理やり支配している。

 それは、よくない事だと感じるんだ……」


ラーレに答えるうちに、スノウはすっかり考え込んでしまう。


一体何が正しくて、何がよくない事なのか。


フロレアールを出てから様々な人に出会い、色々な出来事を実際に、自分自身の目で見て感じてきたが、

自分の中での正しさの在り方の『かたち』が、少しずつ作られているような気が、スノウにはしていた。



「スノウちゃんは、純粋なんだよね。いつでもちゃんと、自分のハートで、物事を考えている。

 ただ、世の中には正しい事を正しいというだけじゃ、渡っていけない事がある。

 帝国に支配されている今のサラーブだって、きっと正しい事を正しいと言える事が出来ない状況なんだろうね。


 そんな中、スノウちゃんやラーレちゃんのような考え方や行動は、まるで暗闇の海の中を、一筋の灯台の光が差し込むように

 人々の心を明るく照らし出す……俺はそんな気がしているよ」


そう、穏やかにサロードは言ったのだ。



すると、その言葉を聞いたスノウは、思わず顔を真っ赤にさせる。

隣にいたラーレも真っ赤な顔で、サロードを叱り飛ばす。



「あんたねぇ……! よくそんなクサイ台詞言えるもんだよ……!! 流石詩人だわ……!!」



盛大に突っ込みを入れるラーレに、サロードも、スノウも、ルーシーも、そしてミケランジェロも、皆おかしそうに笑うのだった。










皆が寝静まった夜、スノウは皆を起こさないようにして、そっと宿舎を抜け出した。


広い荒野と砂漠の下、晴れ渡った夜空には満天の星と、その中央には剣のような三日月が銀色の光を放ち、静かに輝いている。

身を刺すような寒さではあったが、その澄んだ空気のおかげで一層、夜空を彩る月と、幾千もの星と、砂の荒野は、ひときわ美しかった。


しかし、そんな美しさの中、スノウには、他の誰にも聞こえない声が、聞こえていたのだった。



それは、このサラーブの地が、ほんの数日前まで戦乱の地であったこと。



大勢の人間が、この地で争いに巻き込まれ、倒れていった。街は戦火で焼き尽くされ、壊されていった。

人々が倒れる時、そして大地が燃えて崩れ去る時、精霊たちも悲鳴をあげるのだ。



その悲鳴の残響が、いつまでもスノウの耳について離れない。

目を閉じると、その時の惨劇がありありと目に浮かぶようだ。



思わぬところから不意に最後の一撃を受け、黒い剣に貫かれて果てた兵士。

両親を亡くして泣き叫ぶところを、容赦なく斬られて倒れた幼子。



「やめてくれ……やめてくれ!! もうこんなのはたくさんだ!!」




スノウが叫び、手を振り払って目を開けると、そこには三日月が変わらず浮かんでいた。



薄く涙の滲んだ目をこすると、その三日月の下に、リュートを持った青年が佇んでいるのを見つける。

すると、先程のような叫び声ではなく、リュートの奏でる優しい音色と、柔らかな歌声がスノウの耳に届いた。






星が生き抜いた末に昇る 人の命の形なら

天を流れる川はどれ程に 尊いのだろう


愛を信じて生きる人々が 嘆きの向こうへ辿りつくまで

見えない明日は続いて行く 千を超える無限の物語 …………





スノウの気配を感じ取り、リュートの音色がぴたりと止まる。

細い月明りが、リュートの奏者を照らし出した。



「……眠れないの?

 どう、綺麗でしょ? この月明りに映える荒野。 君たちに見せたかった景色なんだ。」


サロードは、優しくスノウに問いかけた。

その足元には、小さな花束が供えられていた。


スノウの視線の先にあるものに気付いたサロードは、ゆっくりと微笑む。


「……ラーレちゃんと一緒に働いた時の仲間たちがね……この土の下に眠ってるんだ……」


その言葉に、スノウは何も言えなかった。


「サラーブがカーディレットに襲われた、って聞いた時にね。 本当は、戻るの凄く怖かったんだ。

 戻ったら、きっと危ない目に逢うって。

 だけど、あのまま放っておけなかったんだ。 かつて過ごした僕が生まれた国、仲間たち…… 少し、間に合わなかったけれど。


 でも、ここに戻って来れて、本当に良かったよ。連れてきてくれて、ありがとう。

 俺たち、精一杯、彼らの分も生きなきゃだね。」



サロードのその言葉に、胸がいっぱいになる。



大切な物を失う前に。取り返しがつかなくなる前に。

自分の出来る事を、精一杯やらなければ。



銀色の三日月の下、サロードの奏でる優しい調べの中、スノウはそう固く心に誓うのだった。




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