それまで当たり前のように生きてきた、そしてこれから治めるはずだった、

花が咲き乱れ、草原や木々がどこまでもあおあおと広がる、私の祖国。

それが、突然追放を言い渡される日が来ようとは。

帰るべき故郷を、自らの民によって追われた……私の行くあてなど、この世界のどこにも無かった。



この呪われた身の上ならば、仕方ない……

冬を、死と眠りをもたらす、この氷の力を持って生まれた身からすれば……





本当に、仕方ないの?





うとうとと、甲板にもたれて眠っていたスノウは、誰かの呼び声で目を覚ます。


もう、かれこれ数日間は船の上で揺れて過ごしていた。

かつての故郷であるフロレアール王国を後にして、どれ位の月日が流れたであろうか。

荒野をひたすら歩き、湿地を渡り川を越え、岩山を登り続け、

ようやく辿り着いたみずぼらしい小さな港から、リトス連邦に向かう貨物運搬船に運よく巡り会う事が出来た。



「よう嬢ちゃん! 何日も船の上で過ごしているっちゅうのに、船酔いひとつしないとは、たいしたもんだ!」

甲板から青くうねる海を眺めていると、後ろから、よく日に焼けたたくましい船乗りが話しかけてきた。

「どうも。身体だけは丈夫なのでね……」

少し苦笑いして答えると、白い外套から腕を出して、もう一度海の向こうをじっと見据えた。

潮の香りのする風に、ウミネコがみゃあみゃあ鳴いて風に乗って気持ちよさそうに滑空している。

きっと、今日これから行く先は晴れるであろう。

スノウは何故か分かっていた。



風の声が聞こえる。




瞳を閉じ、じっと耳を澄ませる。

それは、誰にでも聞こえるものではなかった。

雲を運ぶ風の流れ、波が逆巻く海の高鳴り、全てに何かの意思を感じる。



スノウは、この世界に僅かにしか存在しない、<精霊使い>であったのだ。




「しっかしよ、お前さんも変わった奴だな。

 普通、何日も何にも無い船の上で過ごしてりゃ、退屈になるだろうに。

 お前さんときたら、雨の日も風の日も嵐の日も、ずっと海と空を見ているときたもんだ。

 俺たち船乗りだって、そりゃあ天気や波の機嫌を見る為に、海や空を眺めるがね。

 そんなに四六時中眺めても、代わり映えのない景色見てて退屈にならんものかね?」


「そうですね。確かに、海も空も、何にも変わらないように見えるでしょう。

 だけど私は、こうして甲板から見る世界が、新鮮で好きなんだ……

 貴方たちの船の操り方を眺めてても、勉強になりますし」


「へへ、褒めても何もでねぇぜ!」


マストを広げながらつくづく不思議そうに首を傾げ、それでも船乗りはスノウの素直な賛辞を受けて、嬉しそうに答えた。

彼らは、絶え間なく変化し続ける海や空の様子を敏感に感じ取り、船の帆を広げ舵を取り

この海を巧みに進んでいく。

精霊の声に全く気付かないものの、こうして無事に航海できる事をスノウは心底驚いていた。



国を出たのは、かえって良かったのかも知れない。

まだ知らない世界を、生まれて初めて自分の足で旅し、知る事が出来る。

旅を始めた時の不安な気持ちから比べ、少しだけ、前向きな気持ちになることが出来た。




「船乗りさん。この船は確か、リトス連邦に向かっていると言っていましたね。

 私は向かうのは初めてで、どのような国なのか知りません。教えて頂けますか?」


「はーん、お前さん、旅は初めてか? にしちゃ、随分貫禄があるじゃねえか。

 ここいらの者じゃねぇな? ……いや、済まねぇ。人の事は詮索するタチじゃねえんだが。

 おーし、教えてやろう。

 リトス連邦、正式名はリトス海洋貿易都市連邦っちゅう名前なのよ!

 その名の通り、あちこちから貿易船が集って、ありとあらゆる珍しいもの、良いものが手に入る場所さ。

 人は多いし食い物はうめぇ。商売人が集まり、ここに品を運べば、それこそ高く売れるってもんよ。

 だからな、船乗りはこぞって荷物をリトスに運びたがる。そういう町よ。」


「出た出た、ベルナルドおいちゃんの知ったかぶり」

「うるせぇ! こちとら30年はリトスと辺境の港町を行き来してんだ! 知ったかぶりとは言わせんぞ!」

「もー親分また酔っ払ってる!! ラム酒は1日1/3樽までって言ったでしょうが!!」

「やばい! 親分に火がついた!! 逃げろぉー!!」

野次を飛ばす若い船乗りたちに、それまで説明していた屈強そうな船乗りは、真っ赤になって拳を振り上げた。

船乗りたちはそれぞれ散り散りに逃げ、追いかけられたりして去ってしまった。


あっという間の事に、甲板に取り残され唖然とするスノウ。

しかしその自由奔放さがとても面白かったのか、くすくす笑いながら聞いた情報をもう一度頭の中で繰り返した。


(貿易の町か…… 少しは情報が手に入りそうだな……)





海洋貿易都市連邦リトスは、とても色鮮やかで、人と物が溢れ返った、賑やかな場所だった。

いわば、海上のオアシスのようなものだ。

港にはいくつもの貿易船が錨を沈め、積荷をせわしなく降ろしたり運んだりしている。

隣接する市場は所狭しと軒を連ね、店先には見たことも無い果物、野菜、香辛料、染物や細工品が一同に並べてある。

目を皿のようにして眺めても、見飽きる事は無いだろう。

その通りを、様々な姿の売り子や店員が、賑やかな声を張り上げて客引きに躍起になっていた。

耳を塞いでも、その声が次から次へと耳へ入ってくる。


貨物船を降りたスノウは、危うくベルナルドの声を聞きそびれるところだった。


「嬢ちゃん! ここは賑やかで物も人も溢れかえってるところだが、荷物よりもまず自分の命に気をつけろよ!」

「ありがとう、ベルナルドさん! 他の船員の皆さんにも宜しく!」


大声でやりとりするが、次々に港に着く船から下りてきた旅人に押し返され、

あっという間に船乗りの姿は人ごみに紛れて見えなくなってしまった。

人柄のいい船乗りたちの船に乗れた事、それだけでも感謝しなければ、とスノウは別れ際につくづく思った。





喧騒な市場を練り歩いて、様々な品物が並ぶ店先を通り過ぎる。

進み続けると、迷路のように入り組んだ道のせいか、スノウは大通りから離れた路地裏に差し掛かってしまった。


華やかな表通りとは異なり、急に陽が翳ったように薄暗い路地裏は、出店も殆ど無い。

用水路には泥水が流れ、鼠が走り、カビと埃と汚水の混じった臭いがうっすら鼻を突く。

道端には職を失ったであろう人々が、その日のパンを求めて来訪者を暗がりから見つめていた。


あんなに人と物が溢れかえっているのに、いや、だからこそ富める者と貧しい者の格差は広がるのか。

スノウは思わず外套で顔を隠し、踵を返して表通りへ戻ろうとする。


すると、物陰から風に乗って囁き声が聞こえてきた。


「……公爵家の幼い令嬢が、商業地区の市場で、お忍びで飼い猫と一緒に歩いていたそうだ……」

「いいご身分な事だ。こちらは日の元をまともに歩けないというのに……」

「攫って身代金でも要求すれば、あの子煩悩な父親の事だ。きっと大枚はたいて躍起になるだろうよ……」


不気味な声に思わず振り返るが、路地裏の暗がりからは、誰が居るのか全く見当もつかず、人影すら見えなかった。

結局目を凝らしても誰も見つけることが出来ず、スノウは賑やかな大通りに戻ることにした。




眩い陽の光差す大通りは、人の話し声こそ絶えず聞こえるが、先程のような声は再び聞こえてはこなかった。




1日中リトスの市場を見て歩き回り、気付けば夕暮れが金色の光を海に投げかける、日が沈もうとする時刻になっていた。

水平線から空に向かって、橙色、蜜柑色、茜、紅、藤色、竜胆色、紺碧と、美しいしじまが広がっている。

昼間忙しく働きまわっていた水夫たちは姿を消し、船のシルエットだけが影絵のように空を切り取り

船着場はその日1日の仕事を終え、ひっそりとしていた。

静寂の中、波の音だけが響き、空の色の移り変わりにスノウが目を奪われていた、その時の事であった。





目の前の灯台の下を、白と茶色と黒の毛の混じった、三毛猫が通り過ぎた。

その猫が歩みを進めたその先には、1人の年若き少女が、軽やかな足取りで海辺の道を歩いていた。



飼い猫を連れた少女、という組み合わせに、スノウが何かを思い出す前に

背後から突然、一陣の風が吹く。

殺伐とした空気、黒い影が突如として現れ、目の前を歩いていた少女と飼い猫に迫った。


思わず、スノウは風よりも早く動き出していた。



襲いくる手が少女に届く前に、高らかな刃のぶつかる音が、深く青く染まりだした岸壁に響いた。


「……お前、何者だ?!」

「紳士たるもの、自ら名乗るのが先だろう……!! 貴様が紳士と言えるのならばな!!」


白銀の剣を手に、スノウが睨み返した。相手は黒い衣服を身に纏い、暗がりで顔も見えない。

拮抗する刃と刃がもう一度高い音を立てて弾け、刺客との距離を作る。


「悪いが紳士ではないのでね。そこをどいて貰おうか。」

「断る。身を守る術のない幼い娘を狙うとは、卑劣極まりない事。恥を知れ!」


威嚇して毛を逆立てる猫を抱きかかえ、震えて青ざめる少女を背に守りながら、スノウは叫んだ。


「くくく……威勢だけはいいな。だったら、これでどうだ。手を打たないか」


そう黒の刺客が卑しく笑うと、懐から、おそらくは相当な額が入っているであろう

金貨の袋を取り出し、スノウの目の前にちらつかせた。


「お前の身なりは大分くたびれているな。どうせ公爵に雇われた用心棒なのだろう?

 ここに200万ある。半分くれてやろう。どうだ、その娘をよこせ。」

刺客の後ろに、もう2人加勢がいつの間にか加わっていた。

いつでも襲いかかれる姿勢で、少女と猫とスノウと取り囲む。


「馬鹿にされたものだな……」


静かにスノウが呟くと、剣を地面に突き刺した。

抵抗の意が無いと思い込み、加勢の刺客たちは2人と1匹に飛び掛った。


群青の空に、六花の結晶が舞う。

次の瞬間、刺客たちは一瞬で氷の牢獄に閉じ込められた。


「……! くっ、魔法の使い手か……!!」

黒の刺客は苦々しくそう吐き捨てると、後ずさりして、街灯が点く前の暗い道の向こうへ走り去っていった。





少女がおそるおそる瞼を開けると、剣を鞘に収めたスノウの姿があった。

「大丈夫かい……?」

スノウが手を差し伸べようとすると、刺客が走り去った別の方向から、今度は大勢駆けつける音が聞こえた。


「ルーシー様!! ご無事でしたか!!」


皆同じ制服を着た、憲兵のような格好の者たちが各々武器を片手に、2人の周りにやってきた。

そして、ルーシーと呼ばれた少女の無事を確認した後に、

今度はスノウに向けて、銃剣を突きつけた。


「貴様!! 何処の流浪の者だか知らないが、公爵令嬢と知って手を出すとは!! この罪は重いぞ!!」

「待って! この方は……」


少女が兵士たちに何か言う前に、兵士たちは銃剣やら槍を突きつけられたスノウを瞬く間に捕らえ、

公爵が住む官邸へ連れて行ったのであった。


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はい! 昨晩のよしちゃんの商業国家、祝樹立!!を記念しまして
お話がうっかり書けました!!
いや、どこから動かしていこうかーと思ったら、ルーシーちゃん登場でひらめいちゃって。
ざざざっと書いてみたんだけれども、どですかごはん?!

旅に出ているルーシーちゃんと出会わせてみても良かったんだけど、
書き進めていくうちに、旅に出る前になってしもた。

んで、ルーシーちゃんのお父さまお母さまに出会う予定なんだけど、
勝手に書いちゃって良かったかなぁ…?(滝汗)(どきどきどき)