誰もが寝静まる深夜の中、密やかにエリスたちは行動を起こした。

エリスが持ってきた牢の鍵を用いて、異端者たちが捕らわれていたケージの封を解く。


はじめ、異端者たちはフードを被った修道士が何をしたのか全く理解できなかった。


「……? おい、今、修道士が牢獄の鍵を開けたぞ……」

「どういう事だ? 処刑は朝だって聞いていたが、時間が早まったのか……?」

「こんな時間に? けっ、どうでもいいさ……どうせ俺たちは殺される運命にあるんだ」


諦めたような声が聞かれる中、その華奢ななりの修道士は白いフードで顔を隠したまま、静かに囁きかける。


「皆さん、こちらに。眠っている方も起こして頂きます。」




蝋燭の僅かな明かりを手に、修道士が先導する中、異端者たちは鎖に繋がれたまま、黙って重い足取りを進めた。

暗い石造りの道を進む途中には、聖花騎士隊の騎士が数人、剣を手に見張りについている。

逃げる隙は無い。異端者たちは皆俯き表情を沈めて、己の未来に絶望しかけていた。




やがて、一本道の先に扉が現れる。

その先にあるのは、処刑台が待つ処刑場だ……異端者たちの誰もが、そう思っていた。

静かに、フードの修道士が古い木製の朽ちかけた扉を開くと、そこには誰もが予想していなかった光景があった。




星が瞬く夜空の下、垣根も何もない広い草原が、夜風に吹かれてどこまでも広がっていた。




顔を上げた異端者たちは、互いに顔を見合わせてざわめく。


「どういうことだ……? ここはどこだ?」

「処刑場に連れていかれるんじゃなかったのか……?」

「殺される前に、俺たちは何かさせられるのか?」


フードを被った修道士が、列の殿から現れると、一緒に聖花騎士隊の騎士のひとりがついてきた。

異端者たちは武装した騎士の姿、その手に剣が握られているのを見ると、全身が強張り額には冷汗が流れる。


何をするのか皆が警戒する中、異端者のひとりの腕を無言で掴みかかる。


「な、何をするんだ……?!」


青ざめる異端者を前に、騎士がおもむろに懐から取り出したのは、古びた鍵だった。

するとその鍵を、異端者が腕につけられている重い鉄製の錠に差し込むと、その枷を解き放ったのだった。


戸惑う異端者に、騎士はこう言ったのだった。


「もう、貴方は自由だ。ここから遠くへ逃げるといい。」




一瞬、何が起こったのか分からず、唖然とする異端者たち。

そして、次の瞬間、異端者たちは我を忘れて、わっと歓声を上げる。



「俺たちは自由なんだ!! 逃げられるぞ!!」



思ってもみなかった自由を手に入れ、歓声を上げている異端者たちに、その騎士は告げた。


「貴方たちは、残念だがもうフロレアール国内に留まる事は出来ない。

 この荒野を抜け、厳しい山岳地帯を抜けると国境だ。山の向こうには隣国との国境があるが、

 あまりの過酷な道故に、峠を越えるものはここ数年はいない。

 騎士隊も、今は国境警備を任されている筈の修道士たちも、そこは見張っていないだろう。

 諸君らの幸運を祈る。」


すると、喜んでいる異端者の中のうちの1人が、喜びつつもおそるおそる騎士に問いかけた。


「しかし、いいのか……? あんたら騎士や修道士さんは、国王の命令で俺たちを捕まえなくてはいけないんだろ?

 俺たちが逃げたら、あんたらがお咎めを受けるんじゃないか……?」


その質問に、白いフードの修道士が、星降る夜空の下ようやく素顔を露わにした。

夜風にその長い純白の髪を靡かせ、優しい微笑みを浮かべて、こう言ったのだった。


「人の命より重いものなど、ある筈はないのです。

 ただ生まれてきただけで、罪があるだなんて。そんな教えは、妄信すべきではありません。

 何も罪を犯していない貴方たちの命を奪う権限など、誰も持っていないのです。

 たくさんの尊い命を助けられるならば、喜んでその罪を受け入れましょう」


とても穏やかな笑顔を湛えた修道士は、異端者たちにはまるで神聖な女神のように映った。



「エーデルワイス<高貴なる白>だ…… あんたはまるでエーデルワイスの花のようだよ」


異端者の中の1人がつぶやくと、異端者たちは白い髪の修道士を前にして、両手を合わせて感謝の意を示したのだった。



「とはいえ、この事は我々の独断の行動だ。可能ならば、内密にして頂ければ、私たちも有難い。」


「当たり前だよ! そりゃ、勿論黙っておくさ……みんなもそうだろ?」

「命を助けて貰ったんだ……そりゃそうさ」


ひとりの呼びかけに、異端者たちはうんうんと何度も頷く。






幾重の星が瞬く夜空の下、枷を外された異端者たちは2人に何度も頭を下げ、

1人、また1人と、草原の向こうへと、国境に続く道を小走りで去っていく。



その光景を眺めながら、ルドベキアは1人、えも言われぬ感情に包まれていた。


王命を護る事は、騎士として当然の事であった。

異端者を捕らえ、処刑所まで送り届けていた頃にずっと心のどこかに抱き続けていたわだかまりが、

今この瞬間、王命に背いてはいるものの、澄んだ夜空の下草原に吹く風のように、心持ちはとても穏やかだった。




「……今まで、私は、王命に従う事が騎士としての務めだと思っていた。

 しかし、異端審問にかけられ異端者宣告を受けた人々を処刑場へ連れていく中、

 どこか心の中で、これは正しい事なのか、ずっと悩んでいた……

 罪のない者たちをただ命じられるまま、反論せずに連れていく事、その事こそが私の罪ではないのかと。

 貴方に出会い、異端審問で裁かれるあの者たちを解放した、あの者たちの心からの笑顔を見た時、

 心の底から穏やかな気持ちになれたのだ。 貴方に、感謝しなくては。」


エリスの隣に立ってそう呟くルドベキアに、彼女は穏やかに笑って静かに答えた。


「聖花騎士隊の皆さまのご協力なくしては、私も何もできませんでした。

 感謝を述べなくてはならないのは、寧ろ私の方です。

 ……間違いを犯さない人なんていないんです。ほんとうに正しい事なんて、誰にも分かりません。

 だけど、何かおかしいなって思った時、それを確かめなくてはいけない、私はそう思うんです。

 この国には、きっと異端審問をどこかおかしいと感じている人が少なからず居る筈。

 そういう人たちの気持ちに、訴えかけていけたら……」


「勇気ある行動だ…… きっとそう思っている人々は、このフロレアールに大勢居るだろう。

 貴方の行動が、私を始め、そういった大勢の人々の心を動かすきっかけになる。そう信じているよ」





2人が佇んでいると、異端者のうちの1人が息を切らせて走り寄ってきた。


「あの……解放した人たちの中に、小さな子供はいませんでしたか?

 連れてこられた異端者の中に、まだ10歳そこいらの小さな男の子がいたんです。

 かわいそうで、一緒に逃げられたらいいなって思っていたんですけれど……」


そういえば、異端者たちを護送した時、1人小さな男の子が混じっていたことを思い出す。

逃がした者たちの中には、言われてみれば、確かにいなかった。


「もしかして、もう処刑されてしまったんじゃ……」


「いえ、まだこんな夜更けに処刑は執行されません。

 もしかしたら、まだ牢獄につながれているのかもしれません」



再び教会の牢獄へ戻る事は、監視する修道士たちに気付かれる恐れがおおいにあったが、

子供をそのまま取り残しておくことはとても出来ず、ルドベキアとエリスは一度牢獄へ引き返す事とした。




この教会は、過去に建物を作るのに、煉瓦の材料となる土を発掘する為につくられた坑道の上に建てられ

その地下室のうちのひとつを牢獄として使用していた。

古い坑道は幾重にも張り巡らされている事や、どこにつながっているかは教会の修道士たちは把握していない。

エリスは過去にこの坑道を使用していた年老いた工夫から話を聞き、修道士たちに見つからずに地上に出る道を

密かに探っていたのだった。


2人が牢獄へと続く抜け穴の坑道を引き返していると、途中で監視をしていた筈のエスカーダが2人を見つけて

慌ててやってくるのが見えた。


「あぁ、丁度良かった、先輩。実は異端者のうちの1人の子供が、一向にその場から動こうとしなくて困っていたんです。」

「先程の者が言っていたのは、おそらくその子供だな。案ずるな。我々も情報提供を受けて戻っていたところだったのだ」



3人が牢に辿り着くと、牢獄の片隅で1人の子供が膝を抱えて蹲っているのが見えた。

その隣では、ジェノが頭を抱えながらも、しきりに小声でその子供に話しかけていた。


「おい、お前。いいから早く俺たちについて来るんだよ」


その手を取ろうとしても、子供は頑なに彼の手をはねのける。

大きな声や物音を立てると気付かれるおそれがある為、無理に連れていく事は出来ない。


騎士たちが何度呼び掛けても、その子供は全く動かない。膝を抱えて顔を見せず、ぽつりと言う。


「……騎士は嫌い……ぼくたちを怖い所に連れていくんだ……」


異端者を捕らえ、処刑場へ連れていくのは、聖花騎士隊の騎士たちの仕事だった。

その鎧の物々しい姿、冷たい金属が擦れ合う音。その少年とっては、騎士たちは怖い存在だと、すっかり警戒されてしまっていた。


「困ったな……」


その場を動かない子供に、騎士たちはすっかりお手上げ状態だった。




「私に、任せてください」


蹲ったその子供の目の前に、エリスが彼と視線を合わせてしゃがみこんだ。



何も言わないで、エリスは彼の前にただ座り続ける。

すると、少し顔を上げた子供がエリスを一目見て、また顔を引っ込めてつぶやいた。


「教会のひとも嫌い……ぼくのこと、花を枯らしちゃうって言って、怖い目で見るんだ……」



「……お願い、もう1回、私の方を見て下さる?」


エリスがそういうと、子供はゆっくりと顔をあげ、そっとエリスの方を見た。


「私、貴方の事、そういう風に見ているように見えますか?」


微笑みながらエリスが問いかけると、その子供は黙ったまま、じっとエリスの瞳を見つめる。

全く悪意の感じられない、優しい色を湛えた、緑の丸い瞳。 まるで子供を慈しむ母親のような、やわらかな光を浮かべていた。


その眼差しの暖かさを感じ取ったのか、子供はゆっくりと首を横に振る。



「私はエリス。貴方は?」


「……ケント。ケントって言うの。」


はじめてその子供は、自分の名前を口にしてくれた。



「名前を教えてくれてありがとう。

 私たち、貴方にひどい目に合わせようとは考えていません。貴方を助けたいんです」


「……ほんとうなの? みんな、ぼくのこと悪いって見てるよ……

 花を枯らしちゃうから、お前は生きていちゃいけないんだって……」


ケントの目には、いっぱい溢れんばかりの涙が浮かんでいた。

突然、異端者宣告をされた事は、大人にはもちろん、幼い子供にとっては更に酷な事だ。

母親からも引き離され、牢獄に捕らえられたこの子供についた心の傷は、想像を遥かに超えて深いものだろう。

誰の事も信じられなくなっても、無理はない。



「ぼくは、生きていちゃいけないんだ……死んじゃえばいいんだ……」



泣きじゃくるケントを目の前にして、エリスは、落ち着いた口調でしっかりと言う。




「貴方は、なんにも悪い事はしていないわ」



ふと、泣いていたケントがぱちくりと瞬いた。

その涙を、エリスは白いハンカチで優しく拭いとる。そしてその手を取ってはっきり言った。



「貴方をはじめ、ここに捕らえられていた人たちは、何も悪い事をしていないって、私たちは信じていますよ。

 死んでいい人間なんて決していないんですよ。だから、私は貴方を助けたいんです。 ……信じてくれますか?」



「…………うん」


ぽろぽろと涙をこぼして、ケントはエリスの手をぎゅっと握りしめた。






「あんなに怖がっていた子を、あっという間に安心させるとは……」


「流石だな。あのような優しい微笑みを向けられれば、誰だって安心するだろう。

 そういえば、エーデルワイス <高貴なる白> と異端者たちに呼ばれていたな。

 凍てつく過酷な山の頂に咲く花、エーデルワイスか…… よくピッタリの二つ名を考えたものだ」


一連の様子を見守っていた騎士たちは、あっという間にケントの警戒を解いたエリスに、しきりに感心する。




「……にしても。ジェノ。そりゃあの剣幕で寄られたら、子供も怖がるだろう」

「や、全くだ」

「強面で厳しい雰囲気を醸し出しすぎると、相手から寄り付かれなくなるぞ」

「ほ、放っておいてください!! 子供なんかに懐かれなくたって、別に困りませんし……」


ルドベキアとエスカーダにからかわれて、ジェノはふてくされてそっぽを向いたのだった。





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