フロレアールの周囲は標高の高い山々で囲まれている。

異端審問による異端属性排除の効果か、国内には闇と氷の影響力が及ばない為温暖だが

国境に近づくにつれて標高が高くなり人家もまばらになり、ある一定の標高の山々からは

永久に溶けない氷河が顔を見せ始める。


寒さと雪と氷河、そして陽の光を覆いつくす暗い雲は、フロレアールの民が忌避すべきもの。

特に北のノアプテに近しい、国境に近い北西部は、殆どの民が寄り付かない場所でもあった。


しかし、人があまり寄り付かないような静かな場所だからこそ、意義のあるものもあった。



民たちの眠る、墓地である。






この日も墓地の一角では、大往生を遂げた農家の曽祖父を、家族の皆が送り出す弔いの儀を行っていた。


「……いっぱい、美味しい野菜を作ってくれて、家族の皆を護ってくれて、ありがとうね……おじいちゃん……」

「若い頃は大分苦労したっていうからねぇ。頑張って働いてくれたんだ。きっと天国へ行けるさ」


葬列に並ぶ者たちは皆、落ち着いた色合いの青いスカーフを首元につけ、その胸には皆お揃いの花で飾っている。

ホタルブクロやリンドウと言った、釣鐘のような形をした蒼い花々だ。

独特な釣鐘の形から、旅立つ魂にその音色で安らぎを与え、迷わず天へ昇れるように導いてくれると言われ

これらの花は、フロレアールでは弔いの儀の時に必ず用いられていた。




家族の目の前に立っていた1人の女性が、静かにその右手を振るうと、棺に眠る故人の胸元やその周囲に

清らかな色合いの釣鐘の花々が、湧き出る泉の水のように次々とその躰を覆い尽くしていく。


「おぉ、これは美しい……!」


葬列者たちは、決して派手ではないが、手に余るほどのブーケを持つように咲いた、その釣鐘の花々に息をのむ。



「先行く方は皆、何も持たずに彼岸へと旅立ちます。せめて、その身の周りを花で彩ることぐらいしか、私には出来ませんから」


落ち着いた声色の女性……司祭の1人であるベルは、弔いの花を贈り、そう遺族たちに告げる。

故人の家族たちは、頭を垂れて哀悼の意を示すベルに、精一杯の感謝の言葉を述べた。


「ありがとうございます、ベル様。貴方のお力で、うちのじいちゃんは、綺麗に往く事が出来ますよ。

 美しい花々は、生きている私たちを楽しませるだけでなく、その命を終えた者の心の慰みにもなります。

 綺麗な花を、どうもありがとうございました」












葬儀を終え、ベルは墓地を後にする。

戻って来たのは、辺境の村にある寂れた教会だった。


王宮のある首都から離れたこの村は、かつてプランタン教会を興した修道士たちが、その活動の拠点にしていた所だ。

彼らはこの教会を建て、陽の光の力を使い、花の息吹を助け、緑を少しずつ増やしていったという。


だが今は、教会はその活動拠点を首都に移し、荘厳な教会を作り上げ、そこで大々的に活動している。

国民の大半を信者とし、修道士もその数を増やした今、辺境の国境沿いにあるこんな小さな教会など、誰も見向きはしなかった。



しかしベルは、司祭たちが定期的に集まる定例会以外は、王都にある教会へは殆ど出向かず、専らこの小さな教会に身を寄せていた。

フロレアールの国において旅立つ者を飾る釣鐘の花を芽吹かせる能力を持ち、その仕事の大半を葬送にかけていたのとは別に、

教会の最初の志を常にその身に思い出させるべく、彼女はこの教会で過ごす事を己に課していたのだった。



寂れた教会の祭壇の前には、少し埃だらけになってしまってはいるものの、緑の鮮やかなガラスで彩られたバラ窓がある。

太陽と緑を象徴する双葉を模したそのステンドグラスから、美しい虹色の光が、薄暗い教会内を静かに照らし出していた。



その美しい光を眺めていると、教会の扉がギイと開く。



「やっぱり、これくらいの素朴なステンドグラスの方が、僕は好きだな」


向日葵色のローブはすっかり土に汚れてしまったが、満面の笑みを浮かべて、ヒュウガがやってくる。

その後ろには、同じく土汚れにまみれてしまってはいるが、充実した表情のソーヴィも居た。


「ヒュウガったら、頑張り過ぎだよ…… あれくらいの広さを開墾するのは、普通3日だってかかるんだから……

 実はこっそり、力を使ったでしょ……?」

「あ、バレた?」

「あちこちに向日葵の芽が出てたよ。もう。 確かに、向日葵は君みたいに、どんな土壌でも芽を出し根を伸ばす逞しい植物だけどねぇ。

 あそこ一帯、本来目指していた葡萄畑じゃなくって、向日葵畑になっちゃうよ……まぁ、僕はいいけど」


泥だらけの上着や靴を脱ぎながら、にぎやかな調子で2人はやりとりをしていた。


「向日葵ならば、葡萄と同じく、役に立つじゃない。油だって採れるし、種は食料にもなるわ」


少し笑いながら、ベルは2人にタオルを渡した。


「ほら、泥だらけよ2人共。隣の洗面所で着替えて、顔と手をしっかり洗ってきなさいな」

「はーい」


少年っ気の抜けない2人に、ベルはまた笑った。



辺境のこの教会は、周囲の開墾の拠点ともなっていた。

フロレアールの北西部にあるこの場所は、王都より陽が翳る日も多く、標高も少し高めで山も近く、やや冷涼な場所でもある。

故に、中央よりかは植物が育ちにくい。そんな場所に、教会の有志が開墾に来ていたのだった。


今日は珍しく長く晴れ間が見えた為、ヒュウガとソーヴィは畑で開墾作業に勤しんでいた。




2人が洗面所で汚れを落とし、ベルがお茶の支度をしていると、教会の扉が静かに開く音が聞こえる。



「誰だろう……? こんな辺境の所に、お客さんがやってくるなんて珍しいな……?」


ぴょこんとヒュウガが顔を出すと、扉の前にやってきた人物が、よく見知っている人物であるのに驚く。

と同時に、嬉しさの溢れた声を思わず上げたのだった。



「ロピオン!」



緑色の一般的な修道服を身に着けた、少し気弱そうな少年が1人、あちこちきょろきょろと不安そうに眺めながら、

扉の前に佇んでいたのだった。

友人の姿を見かけると、ロピオンは思わず小走りで駆け寄る。


「ヒュウガ! あぁよかった、知らない人ばかりだったらどうしようと思った……」

「いらっしゃい! よく来たね!

 ……君がここに来たという事は、僕らの開墾作業を手伝いに来たのかい? 嬉しいなぁ」


ロピオンを嬉しそうに迎え、ヒュウガは彼を教会の奥へと案内する。

丁度ベルが淹れたてのお茶を運んでくる。


「王都で働いている修道士の方?」

「そう。僕の友達で、ロピオンって言うんだ。穏やかで、とても頭がいいんだよ。

 植物の種類にとても詳しくて、お茶を淹れるのがとても上手なんだ。」


初見のベルにそう紹介するヒュウガ。するとベルは笑って謙遜する。


「じゃあ、私のお茶はあんまり美味しくないかも知れないわね……ふふ」


「まー確かに、若干時間をかけ過ぎて香ばしい時もあるけど……あだっ」

「もうヒュウガったら、そういうのは言わない方がいいんだよ……全く」


馬鹿正直に答えようとするヒュウガを、ソーヴィが軽く小突く。

そんな様子を少し笑って眺め、ロピオンはベルとヒュウガ、ソーヴィの前に立ち、姿勢を正して改めて自己紹介した。


「えっと、初めまして。僕、中央の教会で働いていたロピオンって言います。

 こちらの教会で、北西部緑化事業を行っているって聞き、やってきました。

 農作業はあまり慣れませんが……頑張らせて頂きます」


ロピオンはそう言い、ぺこりと頭を下げる。



「いらっしゃい。私はベル。一応司祭の1人よ。よろしくね。

 そっちのヒュウガは知っているみたいね? あと後ろにいるのは、同じく司祭のソーヴィよ。」

「よろしく。僕はソーヴィ。僕も司祭になったばかりでよく分かんない事だらけだけど、一緒に頑張ろうね。」


ベルとソーヴィはロピオンにそれぞれ笑顔で握手する。


「でも、今こっちは人手不足だから、来てくれて正直助かったよ。

 皆、別の仕事で忙しくて、なかなかこっちの方には来てくれないんだものね」


ヒュウガは北西部の開墾地になかなか人が集まらない現状を憂いた。


「別の仕事……って……」


ロピオンが言い淀むと、その言葉の行き先をベルが引き受けて答える。


「……異端審問ね。」


その言葉を聞くと、ロピオンは表情を暗くする。そしてぽつりと呟いた。



「教会執行部は、異端審問を今まで以上に激化させています……

 まるで、国に居る全ての異端属性者をあぶりだすかのように……

 このままあそこにいると、僕もいずれ駆り出される…… そんな気がして、怖くなったんです。

 でも、周りの修道士や司祭たちは、皆異端審問に積極的で……

 国の繁栄を妨げる異端者たちを狩り出す事をためらう僕は、臆病者なんでしょうか……?

 教会の修道士として、失格なんでしょうか……?」


中央の教会にいた時からずっと抱いていた思いを、ロピオンは吐露する。

下を向いて気弱に俯くロピオンに、3人は首を振って否定する。


「そんな事ないよ。人を裁く時に心の痛まない者なんていない。

 ただ、彼らは正義感が強すぎるだけなんじゃないかな。

 自分の国を護る為に、こうしなきゃいけない、そういう気持ちが強いだけなんだと思うよ。」


ヒュウガはやんわりと言った。

異端審問を肯定こそしないが、忠実に従っているナルキソスやコスモを完全に悪くは思えないのだった。

いや、彼らだけでなく、今や殆どの修道士たちがそのように、教会の教義に盲目的なのだろう。


「教えに忠実なのは、模範的な修道士と言えるもの。貴方のように葛藤してしまう者も、きっと少なくない筈よ」


「だから、異端審問に躊躇してしまうような修道士たちに、ここの仕事を手伝って貰っているんだよ。

 そういう意図を含めて、僕は君に声をかけたんだ。やってきてくれて、ありがとう」


ヒュウガはにっこりと笑い、ロピオンの肩を掴み顔を上げさせた。彼の笑顔に、ロピオンはほっとする。



「でも、確かに最近、教会は異端審問を推進し過ぎているような気がします。

 それだけじゃない……国のすべてを、まるでコントロールしているような感じさえするんです……」


ソーヴィも、自身の思いを口にする。ここには他の修道士たちと違い、志が近しい人物ばかりだ。

胸の内に秘めていた、己のジレンマを打ち明けた。


「皆さんもご存じの通り、僕の前任に司祭として就いていたのは、叔母のレザンです。

 彼女の方が僕なんかより、ずっと古株だし、恵みをもたらす力は強い筈……

 だけど、叔母は退いて、代わりに全然実績なんかない僕が司祭の立場に立たされた……

 その指名にも、僕は疑問を持っているんです。

 叔母は力はありましたが、マグノリア様の考えに近しく、異端審問も良く思っていませんでした。

 だから執行部と対立し、追い出されたのではないかと……

 僕は気弱だし力も弱いから、いいように動かしやすいだなんて皆は言ってます……

 より傀儡になりやすい人物を司祭というポストにつけて、好きに動かす心算なのでしょう……」


ソーヴィの告白を聞き、ベルとヒュウガは黙り込んでしまう。

確かに彼の言う通り、前の代のレザンを退任させたのは、ファレノプシスらだ。

その意図に、甥のソーヴィを傀儡としてその地位につけたのは、否定できないだろう。



「……貴方は、それでいいと思っているの?」


やんわりと、しかし鋭く、ベルはソーヴィに問いかけた。するとソーヴィは、瞳に光をしっかりと宿らせ否定する。



「いいえ! 僕は叔母の代わりだなんて思われたくないですし、傀儡になる心算なんてありません!

 確かにまだ力は弱いです……ですが、このフロレアールに緑の繁栄をもたらす為に、努力はしたいと思っています。

 ただそれは、異端審問とは違う形で、かつてマグノリア様や叔母たちが行っていたように、地道な活動で植物たちを助けたい……

 そう思っているんです。」



意気込んでソーヴィがそう胸の内を打ち明けると、ベルは口元を緩め、やんわりと微笑んだ。



「えぇ。その意気よ。 ここに集った者たちは、そういう志を持っている者ばかりですもの。

 今の異端審問の教えが広まった故に表沙汰には出来ないけれど、密やかにこうして同志たちに、私たちは声をかけているの。

 ソーヴィ、貴方の考えはヒュウガが知らせてくれたわ。」


「あ! あの言葉は、そういう事だったんだ……」


日照りの中の作業中に、他の修道士たちに聞こえないようにして、ヒュウガからこっそり話しかけられた言葉を思い出す。



「そういうことだったんですね……」


彼らのやり取りを見て、ロピオンも感心する。



「そう。今の教会では、異端審問を否定する動きさえ、反乱と受け取られかねないわ。

 かつての白の反乱の再来を、執行部は一番恐れているのでしょうね……」



ベルは、8年前に起こった異端者たちととある修道士が起こした、白の反乱を思い出していた。

あの時は司祭になったばかりでまだ力もなく、教会の大きな流れに逆らうことも出来ず、尊敬していた師・マグノリアが

ファレノプシスらの計略によってその地位を奪われるのを、ただ黙って見ているしか出来なかった。


同時に、教会を去る前に、マグノリアから司祭になったばかりの彼らは、ある言葉を受け取っていたのだ。



時が満ち、人が集まり、機が熟するのを、ゆっくり待ちなさい、と。


そう。ベルは、異端審問そのものに、疑問を持っていたのだ。



しかし事を早め過ぎた修道士は、聖花騎士隊の若者や異端者と共に教会執行部に粛清され、マグノリアは立場を追われる事になった。

マグノリアは教会を去る前に、志を同じくする、限られ残された仲間たちにメッセージを送っていたのだった。


それは、いつか芽吹く時を密やかに待つ、反乱の種。

彼女の志を継ぐ者たちは、教会の中で身を隠し、その時を待つ。




「異端審問は、今の執行部が捻じ曲げて作り出した偽りの教義。

 本来のプランタン教会は、緑の芽吹きを、ほんのささやかな力で助ける筈のものだった。

 しかし、今や国中の稔りをその手中に収めるまでに至ってしまった……

 その事を利用して、執行部は国政にまで手を出し始めているわ。

 私たちは、表沙汰には行動出来ないけれど、異端審問が肯定されるようなものではない事を探らなくてはいけないわ。

 今、丁度その探りを入れて貰っている最中なのだけれど……」


「あっ! もしかして……」


ベルの話を聞き、ロピオンはピンときた。

同期の修道士の少女。ベルを師匠とし、ここ数日里帰りと言ってその姿を見ていない。


「パンセに、その役目を担わせているのですか?」


「あら、貴方たちは顔見知りだったのね?

 そう。彼女は異端審問そのものに酷く疑問を持っていてね。謎を解き明かす為に、自ら危険な任務を志願してくれたの。

 なかなか調査から戻ってこないから、心配なの……無事だといいのだけれど」


「里帰りだなんてまたうまい事言いましたね……」


自ら依頼したとはいえ、危険な任務から戻らないパンセを、ベルは酷く心配していた。

しかし司祭自ら大きく動く訳にはいかない為、今は彼女をただ待つ事しか出来なかった。



「異端審問をこのまま黙って見過ごすわけにはいかないわ。

 ただ見ているだけしか出来ないのは、非常に辛い事は、よく分かるの……私だってそう。本当は、今すぐにでもやめさせたい。

 でも今動けば、エリスの時のように、自分だけでなく、大事な人たちも犠牲になってしまう……

 それでもあの時、異端審問は終わらなかった。あれだけ犠牲を出したのにも関わらずよ。

 それが私は、許せないの。


 だから今度こそ、彼女のような犠牲を出さずに、異端審問が肯定されるべきものではない事を、白日の下に曝け出すのよ。」



ベルは、意志の籠った瞳で、氷河が立ち並ぶ山々の峰から都の方角を、鋭く見つめるのだった。





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