フロレアールの王都の中に建っている、とある産科院。

ここでは、臨月を間近に控えた何人もの妊婦たちが、身体を休め静かに過ごしていた。


そこに、この場に似つかわしくないような騒がしい声が聞こえてきたのだ。


「何事かしら?」


妊婦たちが声を潜め、互いに顔を見合わせていると、入り口の木戸を開けて、何人もの人々がなだれ込んできた。


「ここの院長はいるか! 緊急の事態だ!」


金色の髪の若い修道士が叫ぶ。その傍らには、大勢の男たちに連れられた、ボロボロの身なりの身重の女性が居た。

あちこち打ち据えられたのか青い痣が出来ており、何より、彼女の下半身からは血のようなものが滲んでいたのだ。

苦しそうに顔を青ざめて呻いていたが、掴まれた方の反対の手で、子供が宿る必死に腹を庇っていたのだった。


そんな様子を見た妊婦たちは悲鳴を上げる。場は騒然となった。



「何だい! 騒がしいねぇ!!」


ここの院長が出てくる前に、建物の奥から出てきたのは、やや恰幅の良いひとりの年配の女性だった。

修道士を始めとした大勢の前に立ち、威勢の良い声で何事が起きたのか彼らに尋ねる。


「一体何の騒ぎだい! ここは身重の女性たちが、出産を控えて静養する療養所なんだ!

 物々しい事はやめとくれ!!」


出てきた女性の姿に見覚えがあるのか、金髪の修道士は目を見張る。


「これは……レザン様。まさかこんな所にあなたがいらっしゃるとは……」


「こりゃまた、ナルキソスじゃないか。驚いたね。

 教会をやめてから、今はここで手伝いをしているんだよ。こんな所に、何の用だい?」


その恰幅の良い女性は、かつてプランタン教会の司祭を務めていた、レザンという人物だった。

己の紹介もそこそこに、目の前で呻いている身重の女性を見るなり、顔色を変えて叫ぶ。


「!! そこの方は重傷じゃないか……急いで治療しなければ! 先生、来とくれ!!」


レザンが医師を呼ぼうとすると、その前にナルキソスが激しく制止をかける。


「待て!! そこの女は異端者だ!! 異端者である以上、その身柄は審議にかける為、教会が預かっている!!

 血が流れ続けてしまうから今は仕方なくここに運んだが、処置が済み次第、その者は異端審問にかける身である事を忘れるな!!」


すると、その言葉を聞いたレザンはきっとナルキソスを睨みつける。


「この子は……この子に宿る命は、一刻を争うんだ!! こんな状態に異端審問も何もあったもんかい!!

 母親が異端者であろうが何だろうが、生まれてくる命に罪はないよ!!」


そして、鍬や鋤を持った男たちから、打ち据えられてボロボロになった身重の女性を引き離し、その腕に抱く。


「しっかりするんだよ。 大丈夫、ここに来たからには安心だ。その子もあんたも、私らが護るよ」


優しく包み込むようなレザンの言葉に、その女性は虚ろだった眼差しをようやく上げて、縋るようにレザンの手を握る。

その手も、何回も打ち据えられたのだろうか。痛々しい青痣や切り傷がいくつも出来ていた。


「お願いです……!! 私は、異端者の私はどうなってもいい、この子だけは……お願い、この子だけは、助けてください……!!」

「勿論だ。さぁ、これからが勝負だよ。あんたも気をしっかり持つんだ。」


女性を励ましていると、奥から医師がようやく駆けつける。


「下腹部から大量の出血が見られているね。これはいけない……急いで分娩の支度を」

「ここからは私らのテリトリーだ。治療が終わるまであんたたちは外で待ってな!

 診療所の他の療養者たちにも影響しちまうから、野蛮なものを抱えてるあんたたちゃ、さっさと出ていくんだよ!!」


武器こそ抱えていなかったが、レザンの剣幕にナルキソスたち修道士は一歩下がり、睨みつつも産科院から出ていった。




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身体が弱っていたためか。分娩にはかなりの時間を要した。

すっかり夜が更けてしまった中、ようやく産科院に弱々しくも、はっきりとした赤子の鳴き声が響いた。


「元気な男の子です!」

「あんた、よく頑張ったね……! 偉いよ。子供も元気に生まれてきてくれたよ!」


分娩に立ち会っていたレザンが、やわらかい布で包んだ赤子を母親に見せる。

母親はすっかり消耗し、息も絶え絶えだったが、我が子の顔を見るとその目にいっぱいの涙を浮かべる。


「あぁ、良かった! 良かった……! 私の……赤ちゃん……!!

 ありがとうございます……ほんとうに、ありがとうございます……」


すると、女性の意識が薄らいでいく。顔からは血の気が引いていく。

それを見たレザンたちは思わず彼女を揺り起こそうと叫んだ。


「あんた!! しっかりおし!!」

「いけない!! 脈が遅くなっている……!! 強心剤!!」




彼らの必死の介抱も空しく、我が子を産み落とした女性は、その夜のうちに息を引き取ったのだ。






産科院の前で待っていた修道士たちに、レザンが暗い表情を浮かべて赴く。


「あの妊婦は……亡くなったよ」


ざわざわと修道士たちがざわめく。


「そうでしたか……」

「まぁ、処刑する手間が省けたな」


役目は終わったとばかりに、冷たく言う修道士たちが引き上げようとすると、ナルキソスが言う。


「あの女の子供も異端者か、確認しなければいけない。 何て言ったって、異端者が生んだ子供だ。異端者とも限らない……」


それを聞くや否や、レザンが激昂する。


「馬鹿いうんじゃないよ!! 生まれてすぐに、そんな烙印押されるなんてたまったもんじゃない!!

 あんな状態で、やっと生まれてきた命に、あんたたちはそんな非情な審判を下すのかい!?」


彼女の剣幕にやや押されながらも、ナルキソスも負けじと言い返す。


「お言葉ですが! 異端者は教会の手で裁くのが、国のきまりです!

 例え生まれたばかりの赤子だとしても、暗い冬を呼び、花を燃やす危険のある異端者を、そのままにしておくことは

 この国の他の大勢の民たちを、飢餓の苦しみに巻き込むおそれがあります!!

 教会は、それを暴くのが仕事なんです!! 国王も、それを承認しています!!」


「あんたたち、それでいいのかい……!!

 そんな酷い決断、よく下せるもんだね……!!」


悲しいやら、情けないやら、非情すぎる彼らの主張に、レザンは両手で顔を覆って涙する。



一見筋が通っているように聞こえる彼の主張だが、生まれたばかりの赤子ですら、生きる権利を天秤にかけられる。

しかも、己の主張すらままならない、生まれ持った守護属性というものだけで。


フロレアールで定められている異端審問というものは、それだけ厳しい鉄の掟だったのだ。



レザンが涙していると、建物の中から処置を終えたばかりの院長が、ゆっくりと彼らの前に歩み寄る。



「……今は、生まれたばかりの赤子は慎重なケアが必要な状態です。異端審問など出来る状態ではありません。

 仮にこの子が異端者でなければ、貴方たちの行動は、護られるべき尊い人の命に関わるものなのですよ。

 申し訳ありませんが、どうぞお引き取りください」


淡々と彼らに述べ、院長はぺこりと一礼した。

それだけ冷静に言われると、流石にナルキソスたちはそれ以上何も言えなくなる。


「……分かりました。では、生まれた子供が異端者かどうかを裁くのは後日とし、教会の上部の者に確認してきます。

 異端者の処置、そして遺体の処理を引き受けて頂き、感謝致します」


荒げた声の調子を少し落として、改まった調子で、院長とレザンにナルキソスは釘を刺し、その場を後にした。






建物の中に戻ると、レザンは院長に礼を述べる。


「ありがとうございました、シクータ院長。

 院長があの子らに落ち着いて説明してくれなかったら、生まれたばかりのこの子もきっと……」


「いえ、私はただ今の状況を彼らに説明しただけです。 私の出来る事など、とるに足らぬものですよ」


白髪混じりの、穏やかな風貌の老人・シクータ院長は、静かにそう言った。


「仮に、生まれたばかりの子供たちまですぐ異端者審問にかけるような風潮が出来てしまったら、

 女性たちは安心して子供を産むことすら出来なくなってしまうでしょう……


 出産とは、尊い新しい命を授かる、本来は喜ばしいものです。

 それが、異端の子供が生まれるかもしれないという恐れが先立ち、出産に迷いが生じてしまうなど

 そんな悲しい事はありませんからね……」


「本当に。それでなくても、妊婦たちは、出産という経験したことのない事で皆不安が大きいというのに。

 異端審問は、こんな所にまで影響を及ぼしてしまっているのね……」



レザンは、母親を亡くした赤子を抱き上げると、悲しそうにそう呟くのだった。