白い雲の峰をいくつも越えて、抜けるような青空の下、風を切って飛ぶ竜の翼。
その背に乗っているのは、くたびれた白衣の無精ひげをたくわえた、学者の男だった。
風の流れに身を任せ、竜は空を切るようにして滑空する。
ヒュオオと風の音が耳元でうなる。風は身を切るほどに強かったが、それがどこか心地よくもあった。
眼前の下には、素朴なつくりの村や、高い山々、広大な平原がいくつも通り過ぎては現れていく。
輪舞曲のように何度もその景色を繰り返していくうちに、山の作りや、生えている草や木々、
風の匂いが、空の色が、少しずつ変わっていった。
空を突き抜け聳え立つ、タワーカルストの絶壁たち。
険しい岩山がいくつも林立するそこは、テワラン天帝国に入った事を示していた。
青空を駆ける竜は騎手の握る手綱のサインに従い、次第にその高度を落としていく。
「よしよし、そろそろ到着だ」
ハートンは相棒の竜の背を撫でながら、着陸に備えた姿勢を取る。
蒼天の彼方から飛んできた、いつも見慣れたのとは異なる種類の竜の気配に気付き、
木造りの素朴な祠の中でお茶を飲んでいた、とある老子が顔をのぞかせる。
「……あれは西方から飛んできた竜じゃの。この天帝国に何をもたらしにきたのかのう……?」
竜が通り過ぎた、夕暮れ前の明るい空を眺めながら、その老子は手元のまだ温もりの残る茉莉花茶をゆっくりと啜った。
また、とある草原では、いつもより強く吹く風の中、空を駆ける見知らぬ竜を見上げる人物が居た。
その肩には小さな1匹の燕が乗っており、1人と1匹は竜が飛んできた方向を見つめていた。
彼らの視線の延長線上、時をも遡り、見据えていたものとは ――――――
テワランを束ねる天帝が住まう、天帝の首都。山岳地帯のテワラン故、その都も標高のかなり高い所に位置していた。
そんな標高の高い山々の中、雲の海から突き出すある小高い峰に、1人の少女が立っていた。
遠くから近づいてくるその竜の声と羽根の音に、随分前から気付いていたようである。
竜とその乗り手が近づいてくると、大声で手を振り上げて叫んだ。
「お〜〜〜い、ハートンさぁ〜〜〜〜ん!!」
山々にこだましてよく通るその大声に、竜と乗り手の男が気付くと、声の主の近くに進路を少し変える。
そして、その竜が目指した山の峰に飛んでくると、大きな羽根をバサッと何回か震わしホバリングした後、
山野草がまばらに生える岩場に、まるで一瞬重力を感じさせないようにふわりと着地した。
竜が地面に降り立ちその羽根をたたむと、少女は竜に歩み寄って、その大きな鼻先にぼふっと抱きついた。
長い髪が風を受けてさらさらと流れ、野の花の髪飾りが可憐に揺れる。
「ティフォンちゃん、いらっしゃい!」
彼女が抱きつくと、竜もまんざらではないようで、嬉しそうに目を細めてのどを鳴らす。
竜の背からハートンが降り立つと、眼鏡を直しながらグラス越しに、その様子を楽しそうに眺める。
「ビージャオ、お前さんは、本当に竜が好きなんだなぁ」
その声に気付くと竜から手を放して、ビージャオと呼ばれた少女はハートンの方に向き直り、満面の笑みで挨拶を返した。
「はい! こんにちは、ハートンさん! 半年ぶりぐらいですね!」
「おう。久しぶりだな。どうだ、元気にしていたか?」
明るいビージャオの笑みにつられて、ハートンも楽しそうに笑う。
竜が多く住まうテワラン天帝国は、人が生活しているすぐ傍にいつも竜がいる為、人々は竜が馴染みとなっている。
竜を隣人として素朴に暮らす、自然に囲まれたテワランを、ハートンは竜の調査で度々訪れていた。
その間に、テワランに住む竜好きの彼女とハートンは顔見知りになり、調査の度に声をかけ、まるで娘のように可愛がっていたのだった。
「居ない間、ここに変わりはなかったか?」
留守にしていた間の近況をビージャオに尋ねると、彼女の表情に、少し影が差しこんだのだった。
「はい、あの……えぇと……元気、でした……」
なるたけ笑顔を崩さないようには努めたが、ビージャオの言葉は戸惑いがちだった。
活発で元気さが取り得の彼女のそんな様子に、ハートンは違和感を抱く。
最初から、今日はどことなくおかしいとは感じていた。
いつもなら、ティフォンが降り立つとぴょんぴょん跳ねて、鼻先だけでなく首に抱きつく程、全身で喜びを表現するのだが。
なにより目がいったのは、彼女の足元に何重にも巻かれていた、白い包帯。どことなくぎこちない彼女の足取り。
「おい……これ、どーしたんだ?」
ハートンはビージャオの足元に屈みこみ、白い包帯を指し示す。
「あの……えぇと……」
戸惑い答えあぐねているビージャオに、別の方向から彼女の代わりに答える存在があった。
「それについては、私から説明しますね」
びゅう、と風が吹く。
ハートンが後ろを振り返ると、そこに佇んでいたのは、山を登ってきたひとりのテワラン人の女性だった。
「リーディエ隊長……!」
「ビージャオ、見廻りお疲れさま。その足じゃ疲れるでしょうから、後は私に任せて頂戴」
返答に困るビージャオに代わって現れたのは、テワランの女性武官のリーディエだった。
テワランに珍しい来訪者の姿を見つけ、この絶壁を難なく上ってきたようだ。
「ほほう、お前さんの姿を見かけるのは久しいな、リーディエ。
と同時に、武官を束ねる立場にあるお前さんが、こんな哨戒任務をこなすなんて、珍しいな。
……単刀直入に聞くが、今テワランは穏やかにない状況にある、だからお前さんはここにいる。違うか?」
ハートンの問いかけに、リーディエは少し困った表情で微笑む。
「……貴方に隠し事は難しいようですね。まぁ、隠す必要もないですし……寧ろ協力して頂きたいのです」
「協力、だって?」
訝しがるハートンに、表情を曇らせリーディエは続ける。
「貴方もご存じとは思いますが、ここ最近、テワランに住む竜への密猟が増えてきているのです。
竜は大切な隣人であり、護るべき存在。私たち宮廷武官も見廻りを強化して、密猟から竜たちを護ってきました。
……ところが、密猟者は最近ますます過激な手法を取るようになってきました。
テワランの山川、森林、泉や洞窟、あちこちに罠をしかけるようになったのです。
しかもそれらは、見た事もない仕掛けを使った、複雑な機械。
実は、ビージャオのあの足の傷……あれも、機械仕掛けの罠によるものなのです……」
「な、何だと……?! あの子はその罠で傷つけられちまったってのか!!」
テワランの現状に、ましてビージャオが罠によって傷ついてしまったと聞くや否や、ハートンは怒りをむき出しにする。
「ビージャオのように罠で傷ついてしまう国民は増え、傷つくどころか命を落とす竜も増えてきてしまっています……
しかし、罠は数多く無差別に設置されてしまい、取り締まってもますます増えるばかり……
その密猟に、どうやらカーディレット帝国軍も協力しているようなのです」
「だから、機械仕掛けの罠って訳か……あそこは最近、厄介な機械技術を使うって聞くからな」
ビージャオの負った傷は、その包帯の巻き方の大きさから、治るまで暫く時間がかかりそうなものだ。
ハートンは彼女を痛々しげに見守る。
「更には、あの国の有するワイバーン部隊の目撃報告が、近頃国境付近で多数報告されています。
強大な帝国の前では、もう竜を保護する国際条約も意味を成さず……もう、どうしていいのやら……」
リーディエはそう話すと、頭を抱えてしまう。
テワランでの現状は、ハートンが思った以上に深刻なようだった。
「実は俺も、エムロードで嫌な噂を聞いてな。最近こっちでドラゴンハンターの暗躍が増えてきていやがるんだよ。
んで、その背景に、密猟された竜の材料が闇市場で高く売られてるって状況を仲間から聞いた。
だからきっと、ここやセレスティアでも違法密猟が増えてるんじゃないかって思って、ここにやって来たんだがな……」
険しい顔つきを浮かべ、ハートンはリーディエから聞いたテワランの現状に頭を悩まる。
「ドラゴンハンターごときならば、俺たちで結束すればなんとかなるって思ったが、まさかカーディレット帝国までしゃしゃり出てくるとはな……
影でコソコソどころか、条約無視して軍を動かして国ごと表舞台に出てきやがるたぁ、帝国って奴は性根も腐ってやがる。
こりゃ、思った以上に事は深刻なようだ。密猟を取りしまるだけの話じゃない。
ビージャオみたいな酷い目にあう奴は増えていくだろうし、うかうかしてるとテワランごと国を乗っ取られちまうぜ……!」
「カーディレット帝国に陥落されたサラーブ王国はじめ、帝国領となった場所に住む人々は、ひどい扱いを受けていると聞いています。
美しい山や河、森、そしてそこに住まう動物たちも、帝国に燃やし尽くされ、根こそぎもぎ取られ始めています……
このテワランも、もしかしたら時間の問題なのかもしれません……」
帝国領となった属国の惨状を聞くや否や、ビージャオの表情が青ざめる。
「そんな……この美しい風景や、竜たちも……皆なくなってしまうの?」
「んな事させねぇ!! 私利私欲に走るカーディレットやソルシエールの連中なんかに、大事なこの国や、竜たちを奪われてたまっかよ!!」
「ただ、カーディレット帝国やソルシエール王国は大きな国。
近代化した機械技術や魔法技術で、私たちよりも格段に強い軍事力を持っています。
テワランは昔から武芸には力を入れてきましたが、これらの軍事力に対抗するのはなかなか……」
最近頭角を現してきたカーディレット帝国やソルシエール王国の軍事力には、
国民の多くが武芸に秀でたテワランといえども、その差による不安を隠しきれなかった。
軍事力の圧倒的な力の差に悩むリーディエに、ハートンは毅然として答えた。
「……ならば、俺たちも志を同じくする仲間で集まればいいんだよ。俺がここにやってきたのは、その為でもあるしな。
帝国やソルシエール、ノアプテに反旗を翻す意志を、皆が示せばいいんだ」
その言葉に、リーディエも少し考え込んでから、顔を上げて繰り返し呟いた。
「そうです……そうですよね! 竜や、祖国を護りたい気持ちは、きっと皆同じ。
ハートンさんのように、侵略に立ち向かおうとされている方は、他にもいらっしゃる筈ですよね!」
「そうだとも。ただ、カーディレットやソルシエールの軍事力の強力さは、どの国にも周知の事実だからなぁ……
そんな中、奴らのやり方に反旗を翻す国があるかどうか……」
頭を悩ませるハートンに、リーディエはすぐさま反応した。
「それならば、ルトガー様と直接お話すれば、話は早いと思います」
「天帝様の第一皇子殿か?」
「えぇ。実質国には殆どおらず、あちこち飛び回っていらっしゃいますが、その分他国の事情にも詳しいと思いますよ」
「なるほどな。諸外国に詳しい、国のお偉いさんと直接話が出来るなら、願ってもない話だ」
テワラン天帝国の第一子であるルトガーは、放蕩息子と呼ばれる程あちこちに出かけている事が多く、臣下でさえその行方を知る者は少なかった。
見聞を広める為に、諸外国を出歩いている彼ならば、きっとこの話を聞いてくれるに違いない。ハートンはそう確信した。
「良ければ、案内して貰えると有難いな」
「勿論です。では、一緒に参りましょうか」
そう言うとリーディエは、何のためらいもなく、岩場から降りようとした。
「ちょ、ちょっと待て!! このまま素手で、ここから降りるのか?!」
「? そうですよ?」
下は断崖絶壁である。ヒュオオと風が容赦なく、谷底から山の峰に向かって吹き上げられていた。
そんな絶壁を前にして首を傾げるリーディエに、ビージャオが助言する。
「リーディエ隊長……ハートンさんはフィールドワークはしていても、山登りはあまりお得意じゃないですよ」
「あら、ごめんなさい……つい、うっかり……」
ビージャオの指摘に、リーディエは慌てて謝った。
「はは……流石にお前さんたちみたいに、絶壁をよじ登る腕力は無いなぁ……」
ごく自然に絶壁を降りようとしたリーディエの逞しさに、ハートンは苦笑する。
今回は3人共、相棒の竜のティフォンの背に乗せて貰い、山を下る事にしたのだった。
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