再び瞬き始めた星の下、さわさわと木の葉を揺らす風が、静かに吹いていた。
街並みは夜更けに沈み込み、エムロードの中心にある図書館もひっそりと佇んでいる。
明るいうちは本や資料を探しに来た街の人、学者、旅の者など様々な人が自由に賑わっていたが
夕暮れを過ぎその門戸を閉ざすと、本棚だけが重なり聳え立ち、図書館内は深閑としつつも
えも言われぬ重々しい空気を醸し出す。
暗闇の中大急ぎで駆けてきたメリィとリノは、図書館内部にある、とある古ぼけた扉の前にやってくる。
「これはあまり他の人には話さないでくださいね」
メリィはそう言うと、懐から錆び付いた真鍮の鍵を取り出し、扉の鍵穴に差し込む。
そしてひねりながら何か合言葉を唱えると、扉は開いた。
「鍵は私たち自警隊の隊員が持っているけれど、鍵を奪われてしまった時の為に、扉を護る言葉があるの。
気を悪くされないでください……リノさんは留学にやってきた外部の学者さんだから、
理事たちがいる図書館の奥に行くには、合言葉を知る自警団と共に行かなければならないんです」
「へぇぇ、結構警戒が強いんだね」
リノが感心して言うと、メリィは表情を暗くする。
「昔、知識を求めて攻めてきた敵国から、エムロードを護る為に考案されたんです。
ここは、膨大な知識が集まる場所。知識は使い方を誤れば、恐ろしい力を生み出します。
私たちエムロードに住まう者は、小さい頃からそれを徹底的に教え込まれて育ったんです」
専用の扉から図書館内に入ると、普段蔵書が保管されている各図書室に繋がっている廊下ではなく
真っ直ぐ、あるいは少し曲がり、いくつもの分岐点が交差する、迷路のような通路に続いていた。
メリィはその道をすいすいと右に曲がり、左を選択し、階段を下りたかと思えばまた上って、奥へと進んでいく。
「ここは……?」
「一般利用者が入れない、図書館深部に続く道です。はぐれたら大抵の人は戻れませんので、ご注意を」
道順を覚えさせないようにか、速足でメリィは進み続ける。
通路の壁は、精巧な模様が施された古い石組みで作られており、それは街中にある遺跡と似たような紋様をしていた。
「確か、エムロードは遺跡の中に建てられた都市だったね。
図書館にも、過去の遺跡を利用した場所があるって聞いたことがある。
この通路も、古代の技術を使った遺跡のうちのひとつ……?」
「おそらく、そうだと思います。この通路から図書館深部は、遺跡を利用したものだと聞いてます。
私は、この複雑すぎる通路を覚えている訳ではありません。私とリノさんの意志と、私の所属を
この通路が読み取り、テレパシーで私に案内してくれているのです」
「なるほど。意志を持った通路という訳だね……邪な思いを持つ者を弾く、自然の防壁か。
ほんとうに、エムロードは不思議な街だね」
しばらく進むと、エムロードの図書館のシンボルである、木と巻物、羽ペンを象った紋様が彫られた
重厚な扉の前にやって来た。
メリィはくるりとリノの方に向き直ると、あらたまって問いかけた。
「アルテル博士を攫ったという事は、他の学者たちにも危険が迫っているって、リノさんは話しましたよね?
今回のことは、このエムロード全体に関わってくる問題です。理事たちに直接お話する必要があります。
アルテル博士と私を助けてくれたリノさんの事、私は信じています。
ただ……学者の中には、リノさんをよく思っていない人も多くいます。辛い事も言われるかもしれませんが……」
すると、にこりと笑ってリノは言う。
「大丈夫。僕は何を言われても平気だよ。
僕に対する言葉は厳しくても、その人たちは、ほんとうにエムロードの事を大切に思っているって知ってるから。
そして僕も、この素晴らしい知識の都を、そこに集う純粋に知識を探求する人たちを、
戦争に傾いていく僕の祖国から護りたいって思っているよ」
「その言葉、嘘偽りはないと誓えるか?」
扉の向こうから、声が響く。
驚いたリノが扉の方を向くと、再び重々しい声が聞こえてくる。
「メリィ、自警隊としての任務を果たしてくれたようだな。
そこに立っている者を、エムロードを護る一員として迎え入れよう」
重い扉が音を立て、ゆっくりと開いていく。
開き切った扉の向こう側に立っていたのは、エムロードの理事たちだった。
「秘密を守るには、鍵穴ひとつでは心許ない。人の心とは解明し切れない不可思議なものだ。
エムロードはそんな人の心こそ、盤石なる護りの要。
その人となりを見て、信頼出来ると皆に認められた者のみ、このエムロードの最深部へ辿り着くことが出来る。」
理事たちの中央にいる人物、橄欖石色の瞳を持つ長いローブを纏った女性が、2人の前に一歩進み出た。
「私の名はミランダ。このエムロードの図書館の理事の1人だ。」
明朗な笑みを浮かべるその女性の後ろで、気難しい顔をした者、分析するような眼差しを向ける者、
様々な理事たちがこちらに睨みをきかせていた。
「彼らの代わりに非礼を詫びよう。理事たちは君の素性を信頼しあぐねていたのだ。」
ローブの女性はそう言うと、頭を傾げて軽く礼をする。
「初めまして、ミランダ理事。僕はここに留学させて頂いている、リノと言います。
図書館と言うだけあり、知恵を使った流石の防壁ですね。感服致しました。」
リノは全く気にも留めず、厳重で複雑なエムロードの防壁を素直に称賛した。
「さて、メリィよ。お前がここにやってきた理由は大体分かっている……ソルシエールの事だろう」
ミランダや他の理事たちが、目を光らせる。
彼らの圧する雰囲気に少し怖気づきながらも、メリィはここにやってきた経歴をはっきりと述べた。
「はい。残念な事ですが…… エムロードに在籍する学者、アルテル博士がソルシエールの手の者に攫われました」
「ふむ。そうか……
我が都市は学問による中立を目指すため、世界中のどこの勢力にも傾倒せずにその門戸を開いてきた。
しかし、ここ最近は世界情勢も危ういと聞く。そうだな、クラウディオ?」
「その通りじゃ。カーディレット帝国がその領土を拡大する為に、テワランやコリンドーネはじめ、
各国に侵攻を進めている現状じゃ。かつての砂漠の王国、サラーブも既に陥落したと聞く。
それだけでも厄介じゃというのに、更に不穏な動きがある国々があるのじゃよ」
「そのひとつが、ソルシエールという訳だな?」
「左様じゃ。」
クラウディオと呼ばれた理事の答えに、ミランダは鋭く切り込みを入れる。
「そのソルシエールの動きとやらは、当事者である君から説明して貰った方が早そうだな?」
ミランダの言葉を受け、理事たちの視線は広間の中央に居る、紺色のローブを纏った青年に集まる。
皆の視線を受けたリノは、穏やかな表情を崩さずに、静かに話し出した。
「我が国・ソルシエールでは、古くから複合魔法を研究し、魔法に秀でた国としてその威信を築き上げてきました。
個人の地位でさえ、魔法の能力の優劣によって定められます」
「魔法の力だけで優劣など、なんと愚かしい事よ……」
理事の1人が顔をしかめる。
「ソルシエールはより強い魔法を生み出すべく、自国内で研究を重ねてきました。
より研究を深める為に、この学びの都・エムロードに学者を派遣しました。
しかし、エムロードに人員を派遣したのは学びを深める為だけではなく、他にも目的があったのです。
エムロードは学びの都。各国から様々な情報、世界情勢が知識として集います。それを狙ったのです。」
「あまり情報に開放的なのも、問題があるようですね……」
「学問の自由を謳い、門戸を誰にでも開いていたからな」
理事たちは互いに顔を見合わせる。
「ソルシエールの人々はより強い魔力を求めて、古くから魔力を増幅させるとされた色々なものを
アミュレットとして使用してきました。そのうちの一つが竜です。
エムロードでは、竜についての情報が得られたので、特にソルシエールはそれを狙っていたのです。
竜についての研究は、ここでは特に有名でしたからね。
ただ、その研究者は我が国を好意的に思っていない為、情報収集に手を焼いていたようでした。」
「竜については、国際的に取り決められた条約があるだろう? そう簡単には手は出せない筈だぞ」
理事の1人が再び質問する。
「仰る通り。竜は希少で、その存在・生態ですら謎に包まれています。
メリィ、竜についての世界条約は知っているかな?」
「えぇと、ひとつ。竜を捕獲する事・屠殺する事を禁じる。ふたつ、生きた竜の、あらゆる部位を採取する事を禁じる。
……でしたよね?」
指を折って思い出しながら、メリィは竜についての条約をそらんじた。
「その通り。角や鱗、牙、心臓の琴線など、竜の身体の部位はどこでも貴重な魔法材料として珍重されています。
その高い知能と、生息数がとても限られている事から、乱獲が制限されているのは、皆知っていますよね。
だけどソルシエールは、事故や病気で死んでしまった竜から採取する事だけは許されるという
条約の抜け穴を狡猾に利用したんです。他の協力者たちの力を得て、ね。」
「……ドラゴンハンターか」
ミランダが静かに言った。
「そうです。彼らは、竜を事故と見せかけて乱獲しています。
その手口は実に巧妙で、竜狩りを防ごうとする人たちの手を焼いているんです。
そして、ドラゴンハンターは直接ソルシエールとは取引する事はありません。だからこそ、厄介なのです。
……多分、ハートン博士はもう目星をつけているんじゃないかな?」
リノの話を聞き、メリィははっとする。
「その取引先って、リトスの錬金区……!?」
「その通り。
錬金区では珍しく高価な品物が取り扱われているみたいだけど、最近竜にまつわるものが増えてきているそうだよ。
比例して、ドラゴンハンターによる違法な乱獲も増えてきているんだ。」
「だからハートン博士はエムロードを出たのですね。 ドラゴンハンターたちから竜を護る為に……」
メリィが表情を曇らせて呟いた。
「ソルシエール王国は、魔力を増幅させ国力を強める為に、だんだん手段を選ばなくなってきています。
竜に関する事は国際条約に抵触するため、反対を唱える者もいるのですが、
国王と周辺の一派によって、竜狩りを推進する動きが加速的になり、ついにはカーディレット帝国と同盟を締結するに至ったのです。
話によると、カーディレット帝国と協力して、竜が古くから多く住み着いているテワランを侵攻する為だと。
竜に関する国際条約も、大国が侵略を深めるせいで、ほぼその力を失いつつあります。
アルテル博士を攫ったのも、その一環でしょう。
そうなれば、今後エムロードにも、大々的に手を伸ばして来る可能性が高いのです。
知識は力です。その膨大な知識が悪用されれば、大変な事になるのは、言うまでもありません。」
「君はソルシエール側の人間なのに、何故国に背くのだ? 祖国に追われる可能性もあるのに、何故我々に協力するのだ?」
理事の1人が問いかけた。
それは、この場に居合わせる者全員の疑問だった。理事たちの厳しい視線が集まる。
彼の問いかけに、少し表情を翳らせて、リノはぽつりと言う。
「生まれ育ったソルシエールの事は、僕も勿論大切に思っています。魔法に秀でた我が国に、誇りも持っています。
しかし、魔法の力の優劣で勢力争いをする事は、空しい事だと思うのです……
素晴らしい魔法の力を、戦争や身分争いの為だけにしか使わないなんて。昔から、そういう争いは嫌でした。
ソルシエールからは、魔法への研究を進め、国の為になるようにと派遣されました。
しかし、エムロードで学ぶうちに、色々な国や文化、考え方の多様性の素晴らしさを知りました。
戦争は、そういったものを全て壊してしまいます。僕は、それを防ぎたいんです。」
彼の答えに、一同は暫らくの間、沈黙する。
すると、ミランダ理事が、長い髪を揺らして理事たちに向かって振り返り、その表情に笑みを浮かべて語り掛ける。
「彼のような人物がエムロードにやってきてくれた事を、ここに祝おう。
そして、エムロードに所属する学者たち諸君、我々は決断せねばなるまい。
今まで中立を保ち、世界のあらゆる勢力に傾倒しない事こそ平和の証としていたが、
争いを推奨する国にまで中立であるというのは、我らの正義に反する事ではないか。
彼らは知識を得る為に、あらゆる手段を講じてくる心算だ。
我々は、このエムロードを、そしてここに集う探求者たちを、争いから護らねばならない。
今こそ、中立であることから脱却し、知識を護る勇気を!」
彼女の言に、その場に居た理事たち全員は、頷いた。
中立の学問の都・エムロードは、戦う決心を固めたのだった。
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2人が理事たちに謁見した後、エムロード全体に自警団による警戒が強化される。
「これで、エムロードを狙う人たちから、学者たちを護る段取りが出来たね」
「博士も、無事でしょうか……どうやって、助けたらいいのでしょうか……」
メリィはアルテル博士の身を案じ、心配そうに言った。
「アルテル博士に関しては、協力してくれる人がいないか、僕が探ってみるよ。
ただ、あまり大々的には動けないから、慎重に進めていこう。」
心配そうなメリィを、リノが励ます。
すると、2人の傍にミランダがやって来る。
「我々も、彼女を助ける為に協力するよ。
エムロードには、色んな知識に精通した学者が所属している。
研究の為に外国に足をのばしている者、外国からやってきた者が多い。
各国の情勢を知り、協力を得るには彼らから話を聞くといい。 何かと力になってくれるだろう。」
困っている2人に、ミランダはそう助言した。
すると、そこにぱたぱたと足音を響かせて、1人の司書がやってくる。
「ミランダ女史、民俗文化研究室のアートから、報告文が届いています。」
「ふむ、分かった。今そちらへ向かおう。」
「民俗文化研究室……?」
首を傾げるリノに、ミランダが説明する。
「各国の文化・民族伝承……とりわけ、精霊に関する研究に熱心な若者でな。
先日、ある調査の為にこのエムロードを発っていたのだ。どんな報告を届けてくれたのかな……?」
興味の眼差しを浮かべ、司書のあとに続いてミランダは歩いて行った。
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エムロードのお話の続き。 お偉いさんを登場させてみたよ!
知識と世界を護る為の戦いに、中立だったエムロードが、ついにその身を投じる事になるのです。
更に最後、同じ図書館に居る学者同士で繋がれないかな…! と、名前だけ借りちゃいました。
研究室の名前も捏造中…(こら) 研究室って響きが好きです(はいはい)