カーディレット帝国の城の最も奥深くに位置する、高い塔のてっぺんの小さな部屋。

深紅のビロードのカーテンがかけられ、床には柔らかな織物の絨毯が敷かれ、金色の装飾が散りばめられた、豪華絢爛な一室。

しかしその部屋は他の場所と隔絶され、高い塔の上故に滅多に小鳥さえ立ち止まらない。


そんな部屋に、カーディレット帝国の現皇帝・ピーテルは座していたのだった。



「ふぅ……今日も、静かですね……」


車椅子に座り、外の気配を感じながら、ピーテルは小さな溜息をつく。

ここは一部の皇族や貴族しか立ち入りを赦されていないので、滅多に人がやってくることはなかった。

生まれつき視力に障害を持っている為、窓の外の空の移り変わりを眺めて、退屈しのぎにすることすら彼には出来なかった。


ピーテルには1日が、途方もなく長く感じられてしまうのだった。



それでも、目と足に障害を持ちながらも、それまでピーテルはなんとか生活出来ていた。

それは、傍に精霊が居てくれたからだ。


ピーテルは、風の精霊・カルマを守護に持つ、精霊使いだった。

厳かで礼儀正しい彼女は、忠実に彼に仕えていた。

幼いころからカルマはピーテルの手足となり、目の見えない彼に代わって

知識と見聞を広める手助けをし、不自由な生活を助け補っていたのだった。




しかし、とある日から、カルマは姿を消してしまう。

それは、父親が突然崩御し、ピーテルが皇帝として即位してからだった。


突如姿を見せなくなったカルマに、ピーテルはとても悲しみ、自室に塞ぎ込むようになってしまったのだった。


「貴方が姿を見せなくなってしまったのは、僕が不甲斐ないせいでしょうか……」


彼女が消えてからも、ピーテルは日々学び続けようと努力し続ける。

盲目でも読めるような点字の本を多く読み、昨今の情勢を臣下の者から細かく聞くように努めていた。


それでも、弱冠12歳であるピーテルに国の舵取りを任せるのはまだ難しい為、

現在は帝国議会と軍部で、国の方針を決定し、ピーテルに承認を貰う形を取っていたのだった。





しかし実際は、ピーテルが皇帝になってから、彼が精霊使いである事を知った軍部が

彼の精霊であるカルマを魔法結界で束縛し、彼に情報をもたらせないようにしたのだった。

そして目も手足も奪った傀儡として、湾曲された一部の情報だけをピーテルに届け、

国の方針を意のままに操っていたのだった。


面会者には厳しい監視を敷き、余計な情報が皇帝の元に届けられないように、軍部は厳しく管理していた。


その為、ピーテルは殆ど他の人と話す事が出来ない、籠の鳥のような状況だったのだ。





そんな中でも、限られた一部の者は、ピーテルとの謁見を赦されていた。

それが、皇帝家に近しい一部の一族だった。




ピーテルの居る部屋をノックする音が聞こえた。

滅多に訪れない訪問者の予感にぱぁっと顔を輝かせ、ピーテルは車椅子を漕ぎ、部屋の前へと赴く。

部屋の前に待機している護衛が来客を告げた。


「ユリコ様が陛下に謁見を願っております。如何されますか?」

「どうぞ。お通しして下さい」


中央大陸の制覇を目論む大国の皇帝とは思えない丁寧な対応で、ピーテルは表の護衛兵に声をかける。


すると、鐘が鳴らされ、部屋の荘厳な装飾の扉が重々しく開いた。



扉が開くと、そこには黒髪を靡かせて嬉しそうに微笑む、ユリコの姿があった。


「ピーテル陛下!」

「ユリコ! 久しぶりですね……! お会いしたかったです……」


ピーテルもまた、久々の再会の嬉しさに、満面の笑みで車椅子を漕いで、入り口へと近づいていく。

急ぐあまり、車椅子を漕ぐ手が滑って片手走行となり、その場で一回転してしまう。

その様子を眺め、思わずユリコは笑ってしまう。


「そんな焦らなくても、すぐお傍に駆けつけますよ。ふふっ」

「寂しかったです、ユリコ……ここには貴方の他、ほんの数人、しかも所用でしか訪れてくれません。

 こんな塔の一室ではなく、もっと色々な方とお話しとうございます……」


寂しそうに下を向くピーテル。よっぽど、1人でいる時間が長いのだろう。

本来なら、これ位の年であれば、他の子供たちと無邪気に遊んでいたいであろう事は、推して分かる。

ユリコは彼の気持ちを慮り、肩に手を添えて優しく声をかける。


「仕方ありません、陛下は尊い身分のお方。

 簡単に外を闊歩されれば、良からぬ輩にそのお命を狙われる可能性だってあるんですよ?」

「そうではございますが……」


事実、皇帝陛下の座を狙う人物は大勢いる。

特に最近、従兄のエドワードを担ぎ上げる風潮が、帝国軍内で高まっているのを、ユリコは幾度も耳にしていた。

エドワードと言えば、諜報部のトップに君臨する、情報と戦略に長けた人物だ。

物腰こそ柔らかいが、何を考えているか分かったものではない。

ユリコは皇帝一家をお助けする家柄を最大限活用し、彼らの一派が極力ピーテルに近づかないように、今まで注意し見張っていたのだった。


しかし……



「陛下、今日は、残念なお知らせをしなければなりません……私がここにやってきたのも、その為なんです。

 実は、拡大する戦線に合わせてこの私も、ついに召集がかかってしまったのです……」


「え……?!」


ユリコは先日、総司令官直々に、テワラン天帝国で展開する戦線に、機械部隊の副官として就任を命じられたのだった。

実戦経験は殆どなかったが、士官学校での銃の成績が良かった事を買われたらしい。

しかし実質は、皇帝陛下に近づく輩から護ろうとする彼女の存在が、軍部からは疎ましがられていたのが大きな所のようだ。


ユリコは、軍部が唱える侵略による国家拡大に、前から異を唱え続けていたのだった。

ただ、その身分の高さからあまり周囲もそれを咎められないでいたが、飛び級で士官学校を卒業し、いよいよ仕官する事になった彼女を

辺境の地に左遷させようという策略だった。ようは厄介払いだ。



「嫌です……傍に居てください……! 貴方までも離れてしまったら、僕は心細くて仕方ありません……」

「陛下……」


ピーテルに何と声をかけていいのか、ユリコは迷ってしまう。

一瞬、直ぐに戻りますから、といいかけて、彼女は言葉を飲み込む。

そして、敢えて厳しい口調で彼の幼さ、弱さを糺した。


「陛下。帝国を背負うべき貴方が、そんな弱気でどうなさるのですか! 弱さは、敵につけいる隙を与えますよ!

 貴方は、このカーディレット帝国の頂点に立つ皇帝陛下。もっと、堂々となさってください!」


「ユリコ……」


泣きそうな眼差しで、ピーテルは彼女の言葉を受け止める。

そして、ぐいと目頭を拭い、もう一度顔を上げると、そこには凛とした眼差しがあった。


「はい……! 僕は、もっとしっかりしないといけませんね……」


そんな健気な様子を見て、ふっとユリコは笑う。


「大丈夫です。何かあったら、陛下のお傍に、私はいつでもすぐ駆けつけますから。

 陛下は、この国が誤った方向に行かないように、しっかりと自分を信じて、正しいと思った事をなさってください」


「ユリコは戦いの地に赴かれるのですか……?

 あんなに、他の国を傷つけるのを嫌がっていた貴方が……?」


銃の腕こそ抜群ではあるが、ユリコは戦争で帝国が他国を次々に支配下に治めている事を、好ましく思っていなかった。

戦いによって家族を引き裂かれ、親しい者を失う者たちの悲しみを、誰よりもよく分かっていた。

そしてその事を、常々ピーテルにも話して聞かせていたのだった。


「もちろん、武力で物事を解決しようとする姿勢は、私は反対です。極力、相手だって傷つけたくありません。

 しかし、残念ですが、今の私には、国の方針を変える程の力はありません……

 今回の事も、司令部から下された命令なので、従わない訳には参りません」


だが、ユリコの眼差しは、ただ流されるだけではなく、意志の光が宿っていた。


「……けれど、決して何もできないという訳ではないと思うんです……

 私に何かできることがないか、まず戦線に赴き、探してこようと思います。」



戦場に派遣されるという厳しい現実を前にしても、彼女は決して悲観することなく、己が出来る事を模索しようとしている。

そんな姿勢に、ピーテルは感嘆の声を上げた。


「ユリコは、強いですね」


「ピーテル陛下を、御守りする為ですから」


にっこりと、ユリコは笑った。それにつられて、ピーテルも笑ったのだった。






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謁見を終えて、ユリコは厳しい表情を浮かべていた。

ピーテルに会う事すら、病弱だなんだと理由を付けられ、ユリコ程の身分でありながらも、最近はますます制限されてしまっていた。

この間起こった、クーデターの為だろうか。


皇帝を護る一家のうちの1つ、ローゼンベルガー家のブリューゲルも、時折ピーテルに謁見することを赦されていたが、

彼が謂れもない罪を着せられ、クーデターで処刑されてしまった事は、未だピーテルには報告されないままだった。


少しずつ、ピーテルの周りから、穏健派の人物たちが削がれている。

自分も、時間の問題かもしれない。




ユリコには、遠い昔のとある日の記憶が蘇っていた。

戦争に赴き、部隊を率いていた兄君の戦死を聞かされ、遺骸に縋って咽び泣く、今の皇帝陛下の母親の姿。

しかし一角では、それを陰でほくそ笑んでいる人物がいた。今の皇帝陛下の従兄の両親だ。

青白く血の気を失った兄君の面影は、今のピーテルにそっくりだった。



貴族同士の勢力争いに巻き込まれ、戦争で、愛しいものを失う悲しみの連鎖。


そんなものは、この手でぶち壊してしなければならない。

弟のように大事に想っている、ピーテルをそんなくだらないもので失ってたまるか。




「……いいわ。戦場に送られるなんて、上等じゃない。

 この目で見て、自分の手でいったい何が出来るのか、確かめてやるわ」


手にすっかり馴染んだ愛銃を抱え、ユリコはテワラン天帝国の方角を見据え、

暗雲の下、吹き荒ぶ冷たい風に吹かれて立っていたのだった。





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