足元の悪い湿った薄暗い山道を長いこと進んだ後、イーグルたちはようやく森の出口に辿り着いた。

そこは森から張り出した岬のような造りになっており、竜が発着するのに好都合な場所だった。


既にいくつものユニットが辿り着き、先の戦いで負傷した人員を、テワランの本拠地であるシャンティエンまで

次々と到着する竜たちを介して運搬して貰っていた。

見ると、何十人もの怪我人がその岩の岬にごった返している。おそらく、あの精霊使いたちの攻撃でやられたのだろう。


あの突然の奇襲で、広場に集まっていたテワラン・コリンドーネ両軍の陣営は、ほぼ壊滅する結果となった。

あれ程広範囲で大規模な魔法攻撃など、想定していなかった……いや、普通の人間ならば、行使可能である筈が無いからだ。

それだけ、精霊魔法というものの苛烈さを、彼らは身をもって思い知ったのだ。


各々反撃など出来る筈もなく味方はそれぞれ散り散りとなり、己や仲間の命を守るだけで精一杯だった。

そしてようやく、この臨時発着場にそれぞれ命からがら辿り着いたのだ。

涙を流して味方の犠牲を厭う者、疲れ切って岩場に黙って座り込む者、はぐれた仲間を必死に探す者など、様々だ。




「イーグル隊長……」


憔悴しきった表情で、頬に涙の筋をいくつも流していたのは、騎兵隊の隊員、カヤだ。

その膝には、後輩の騎兵隊の少女が、焦げ付いた髪で、まるで眠るように横たわっている。



「……ダメだわ。脈が戻らない……」


その隣ではエリナが、壮年のテワラン兵士を介抱していたが、手を止めて呟く。

空虚な表情で空を仰ぐその眼を、隣で黙って座っていたユーディアが、そっと静かに閉じさせた。

ホァホンとリンリーが互いに手を取ってその様子を見守り、眼に大粒の涙を浮かべて耐えている。


「お願い……息はもうないけど、彼は連れて帰ってあげてください…… シャンティエンに、家族が待ってるの……」




岬を吹き抜ける風のうなり声が、ただただ響いていた。



「ひでぇもんだな……」


目の前に広がる惨状に、イーグルはただそう呟くしか出来なかった。






暫く何も言えずに座っていると、乾いた大地に重い足音を引き摺って、ルトガーが黙ってやってくる。


「イーグル…… 無事か……?」


「あぁ、なんとかな。退避の際に一番後方に残り、アイスビュレットによる氷の防御を作ってくれたおかげで

 俺たちも逃げおおせる事が出来たよ。 ……こいつの大火傷と引き換えにな。」


「酷い火傷だな…… 怪我人たちは、すぐにシャンティエンに向かう手筈を整える。戦線も一時撤退だ。

 ……済まない。あれ程の攻撃を事前に予測出来ていれば、被害をもう少し小さく出来たかも知れなかった……」


火傷を負って担架に伏すアルバトロスを見やり、ルトガーは激しい後悔の念に、拳を強く握りしめる。

そんな彼を、イーグルは肩を叩いて励ます。


「いや、お前さんだけのせいじゃない。責任は俺たちにもある。

 それに、あれ程の広範囲の魔法攻撃は、予想を遥かに超えたものだ。誰だってあれは予測できねぇさ。

 ……あれが、帝国の切り札。精霊使い兵士って奴か……。 あそこまでの威力とは、正直俺も予測していなかった……」



帝国が繰り出してきた新手は、想像を大きく超えた攻撃手段を持っていた。

それまで拮抗していた戦線をまるで嘲笑うかのように、やすやすと仲間たちを簡単に焼き払った。



「悪夢だ…… たった一瞬で、森も、仲間たちも、みんな焼け野原だ……」

「しかも、それをやったのが、たった数人の兵士だぞ……あれが噂の、青い炎の使い手か……」



「あれだけの威力を持っているならば、俺たちはもう、どうしようもないんじゃないか……」



その戦力のあまりの差に、仲間たちは皆、絶望の表情を浮かべていたのだった。













「……諦めるにはまだ早いって、貴方なら言うんじゃなくて?」



不意に、鈴の音が転がるような、清らかで澄んだ声がした。


その声にイーグルは、はっと顔を上げる。

それは聞き覚えのある、懐かしい、優しい声だ。



遥か昔、彼がまだ若かりし時、コリンドーネ共和国とカーディレット帝国が領地をかけて争っていた時の事。

戦線で彼が出会った、風に護られし少女。

今は時が過ぎ、あの時お転婆で若かった少女は、趣のある落ち着いた風情の女性へと成長していた。


手にしているのは、かつてイーグルが少女に使い方を教えた、スナイパーライフル。

テワランでは珍しいそれを扱えるのは、この国では1人しか居ない。



目の前に立っていたのは、テワランに住まう風の精霊使い、イェンメイだった。








「イェンメイ!! どうしてここへ?!」



ルトガーが驚いて彼女に問いかける。

精霊使いである彼女は、その身を狙う帝国に捕まらないように、天宮にて厳重に匿っていた。

そんな彼女が、帝国との戦いの最前線であるこの地にやってきた事を、ルトガーは問い詰めたのだ。

しかし、彼女はふわりと風に靡く髪をくすぐったそうに掻き上げ、目を細めて微笑んだのだ。



「テワランに危機が迫っていると聞いては、大人しく待っていられなかったのですよ。

 精霊使いである私を護ってくれたこの国に、恩返しができるのは、今しかないと思って」


「だからと言って、ここは帝国と戦う最前線だ!! 危険すぎる!!

 ……もしかして、先日も戦線にこっそり出ていただろう? 風使いが帝国の将軍を討ち取ったと話題に上がっていたぞ!

 帝国が未だに精霊使いを狙っていると知っているのか?!」



前の戦線で、帝国の将官が、風使いと思しき人物に討ち取られたという話題を出し、ルトガーはますます

彼女を問い詰める口調を強めた。そんな彼に、イェンメイはころころと悪戯っぽさそうに笑う。


「あら、ばれちゃったみたいね? こっそりと貴方たちを支援しようと思ったのに。

 ふふ、この年になっても、銃の腕前は衰えていないわよ? ……誰かさんの特訓のおかげでね。」



そう言うと、ようやくイェンメイはイーグルと目を合わせたのだった。

数十年越しに出会った旧友を前にして、イーグルの語尾が思わず震える。



「無事だったのか…… マギー……」


「お久しぶりね、イーグル。

 今ではこの地で私は、イェンメイという名を頂いて生きています。

 あの時の事は、本当に感謝しています。私を助けて下さって、どうもありがとう。」


にこりと微笑む彼女の肩に、一匹の小さな燕が寄り添って留まる。

その燕を愛おしそうに撫でて、イェンメイはここにやってきた顛末を、イーグルたちに説明した。



「この、私を護る風の精霊のチャスキが、故郷であるテワランの地に帰りたがってね。

 貴方たちに助けられてから、随分長い事旅をして、この自然豊かなテワランの地に辿り着いたの。

 ここは良い場所ね。山に、森に、河に……全ての自然に、精霊たちの息吹が満ちているわ。


 ……そんなテワランの地に、帝国がその爪を伸ばそうというのならば、率先して護らなければ。」


そう言うと、凛とした表情で、イェンメイは愛銃を構え直す。

その勇ましさが、かつてお転婆だった、少女の頃の彼女の面影と重なる。




「彼らとは知り合いだったのか?」


2人が知り合いだった事に驚きながら、ルトガーはイェンメイに尋ねた。



「えぇ。随分昔に、この国に逃げてくる時、彼らに助けて貰ったの。

 銃の腕前も、その時彼らに指南して貰ったわ。」


「だから、テワランでは珍しい銃が使えたのか」


「まさか、またこうして出会えるとは思ってもみなかったわ。

 ……ちょっと、タイミングはあまり良くなかったようだけど……」


そう言うと、担架に伏して苦しそうに呻くアルバトロスを見下ろす。

火傷の怪我が随分痛むようだ。火傷の範囲も広いせいか、体力の消費も激しく、呼吸が荒い。


他にも、酷い火傷を負った兵士たちが大勢待機していた。



「随分と見境ない攻撃をされたのね。精霊の力は、こんな事の為に使うものじゃないわ……

 帝国はあの時から、全く変わっていないのね……」


自分と同じ精霊使いが、戦いの為に未だ兵士として使われている事を悲しみ、イェンメイは表情を暗くする。



すると、アルバトロスを前にして、彼女は利き手である右手を差し出して、風を呼び起こした。

深緑の若芽を撫でるような、優しくそよぐ風が、彼を包み込む。

柔らかな空気を含んだ風に包まれ、熱傷を起こした気道への刺激を抑え、荒かった呼吸が少し落ち着いた。



「い、今のは、一体……?!」



何が起こったのか分からず、イーグルはイェンメイに問いかけた。



「彼の周りの空気を、少し優しくしたのですよ。

 テワランで、精霊の事や自然の事、そして魔法の事、色んな方々に教えて頂いたのです。

 戦う力ばかりでなく、人々を助けるような方向へと。 ……少し、貴方たちのお役に立てたかしら?」


にっこりと微笑むイェンメイに、彼にしては珍しく突飛な表情で、イーグルはただ頷くだけだった。





「さて。ルトガー王太子殿下。私がここにやってきたのは他でもありません。

 カーディレット帝国に、今まさにこのテワラン天帝国が併合されようというのをただ黙って、

 指を咥えて見ていられる私ではありません。


 どうやら彼らは、強大な精霊魔法を用いて攻撃を仕掛けてくるようですね。

 あの国が繰り出して来る強力な精霊魔法に対抗するには、同じ精霊使いである私の力は、きっとお役に立てる筈。

 今まで護って頂いた御恩を今こそ返す時。戦線に加わる事を、何卒どうぞお許しください」



そう進言すると、イェンメイは袖に両手を通して揃えて跪き、忠誠を示した。


すると、ルトガーが答える前に、後ろから耳をつんざくほどの大声で怒鳴ったのは、顔を真っ赤にしたイーグルだった。


そのあまりの声の大きさに、リックスも、リーディエも、ルトガーも皆驚く。

彼がここまで怒ったのを、初めて見たからだ。



「駄目だ!!! お前は、類稀なる精霊使いの身だ!!

 帝国に対峙すれば、お前の力を目当てにした帝国軍に再び捕まり、あいつらに酷い扱いを受けるんだぞ!!

 それがお前にとってどれ程の辛い苦しみだったのか、忘れたのか……!?

 あんな思いを再びさせる位なら、俺がお前の目の前に立ち塞がって、妨害してやる!!」



猛烈な勢いで怒声を上げたイーグルに対して、イェンメイは驚く事に、ふわりと嬉しそうに笑ったのだ。



「あの時と、貴方は全く変わっていないのね。でもそれが嬉しいわ……

 私なら大丈夫よ。貴方たちの足手まといには、もうならないわ。

 だって、泣くばかりだった私を、あれだけ厳しく鍛えてくれたんですもの。

 あの頃のお礼をさせて頂戴。」



すると急に真面目で厳格な顔つきになり、1人の精霊使いとして、目の前に立つコリンドーネ軍・銃兵隊長に臨んだ。



「コリンドーネ軍の銃兵隊長さん。帝国が開発した、人工精霊使いの魔法の威力は、貴方たちの銃の威力を

 遥かに上回るものだわ。それは、コリンドーネが誇るリフレクトメタルの防御でも、防ぎ切れないものです。

 今、必要なのは、彼らの大規模な魔法攻撃を防ぎつつ、彼らに確実に反撃を行える手段でしょう。

 その為に、私のこの能力が必要ではないと、言わせませんよ?」


イェンメイの、厳格でありながら、静かで的確な物言いに、イーグルはそれ以上何も答えられなかった。

彼女が言う通り、コリンドーネ軍の臨時ユニットの兵力だけでは、もう彼らに対抗する手段は無かった。

そして、イェンメイはくるりとルトガーの方に向き直り、彼にももう一度訊ねた。



「どうでしょう、王太子殿下。このイェンメイを、皆の戦いに加えて頂けませんか。

 もちろん、私だけではありません。共に、精霊と魔法を学んだ同志が、この戦いの手助けになりましょう。

 精霊使いの彼らとて、無敵ではありません。彼らを撃破する、何かの手がかりを得る為の、お力になれる筈です」



「だが、しかし……」



それでも、イェンメイに返答を出し渋るルトガー。

今までテワランの王宮にて匿ってきたのは、彼女が隣人である大事な自然の声を聴ける、天からの贈り物所以だ。

その彼女を、この戦争での犠牲にしかねない決断を、ルトガーは下せずにいたのだった。


そんなルトガーに、火傷を負って伏していたアルバトロスが、弱々しく声をかけた。



「王……太子…… 殿……」



「アルバ!! 気道をやられてる!! 無理に喋るな!!」


イーグルが止めるのも構わず、アルバトロスは掠れた声で、ルトガーに嘆願した。



「頼む、イェンメイ殿を、共に戦わせてくれないだろうか……

 彼女は……そして彼女だけでなく私たちは皆、この緑豊かなテワランの地を、争いの火から護りたいのだよ……

 その気概を、彼女の決意を、認めてやってはくれないか……

 傷を負い、戦えなくなった、私の代わりに……」



瀕死の重傷でありながらも、懸命に頼み込むアルバトロスの姿を見て、イェンメイの瞳に思わず涙が滲んでくる。

そう、かつてあの日も、同じように、穏やかな彼が自分を庇ってイーグルを説得してくれなかったか。


「貴方はいつも優しいままね……」



イェンメイがそう呟くと、アルバトロスは小さく微笑んだ。



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