テワランから本国に戻ってきた機械部隊の隊員たちは、その殆どが軽症だった為、簡単な処置を施され
多くがその日のうちに己の宿舎へと帰された。
肩に銃創を負ったヘクターなど一部の重傷の兵士たちのみが、もう少しの間、治療室で過ごす事を義務付けられる。
外傷が化膿して細菌が入り込むと、破傷風や敗血症になり兼ねない。その為、傷が治るまで、抗生剤の点滴を数日間かけて行うのだ。
日が暮れ、軽症者が退所させられた治療室は、しぃんと静まりかえっていた。
時折薬によって眠っている兵士の寝息が聞こえる。呻くほどだった痛みは、鎮痛剤のおかげで抑えられているようだ。
その様子に、ヘクターは安堵する。ずっと同胞が苦痛で呻いているのを聞くのは、仕方がないとはいえ彼には忍びなかった。
「夜の分の点滴ですよ」
白いカーテンで遮られたコンパートメントスペースの病床に、点滴を乗せたトレイを手にしたクリスティーヌがやってくる。
「どうですか? 痛みは落ち着きましたか?」
「はい、おかげさまで。薬は凄いですね。あんなに疼いていた痛みが、あっという間に取れました」
「それは良かったですわ。いいお薬が届いたおかげかしら。痛みで苦しむのは、なにより辛いですからね。」
痛みが落ち着いた事をクリスティーヌに話すと、彼女はにっこり微笑み、慣れた手つきで点滴を繋いでいく。
「今日は夜勤ですか? 昼間も確か働いていませんでしたか?」
「今は負傷される方が多いですからね。皆さんの為にも、一生懸命治療しなければ」
医療部隊は、各地で拡大する戦線に合わせて熟練した隊員たちを送らなければならず、常に人手不足だった。
かといって、アーシャのような若い人員を、不測の事態に備えなければならない夜勤につけるには、彼女らはまだ経験不足だった。
その為、クリスティーヌやエミリカなどの経験年数を重ねた隊員たちが、日勤と夜勤を兼任している現状であった。
なのに、彼女は疲れを一切表情に表さず、笑顔で治療を続けていた。そんなクリスティーヌに、ヘクターは頭が下がる思いだった。
「申し訳ないです……自分たちが不甲斐ないばかりに傷を負い、貴方がたの手をさらに煩わせることになってしまって……」
「そんな謝らないでくださいな。 私たちの国の為に勇敢に戦い、得た勲章のようなものです。
皆さんを治療できるのを、私は誇らしく思いますわ」
流石、医療部隊きっての天使と呼ばれるだけある。気を遣わせまいとする彼女の言葉には、ところどころに優しさが満ちていた。
ゆえに、ヘクターはますます今回の戦いに疑問を持たざるを得なかった。
「国の為に……そんな立派な名目があればいいんですが……」
「気になる事が、おありなのですか?」
ヘクターの表情が翳った様子を見て、クリスティーヌはそっと訊く。
答えるか答えまいか暫く迷ったヘクターだったが、周囲が寝静まっているのを確認して、そっと声を落として言ったのだ。
「俺たちが戦ったのは、テワランの国を侵攻する為。
国を護る、など大義名分があれば、俺たちのモチベーションも上がりますが、何の罪もない国へ、ただ奪う為だけに
武力を以て攻め入るのは、気が引けて……」
積極的に戦う者とは異なり、己の意思でなく、国の命令で他国を侵略するように強制される多くの兵士たちが抱いていた思いとは、
その正当性を最早諦めるか、良心の呵責に悩むかのどちらかが多かった。
そんな兵士たちの思いの多くを、クリスティーヌは受け止めてきた。
「多くの方が悩む問題ですね…… 正直、私もなんとも言えません……
私たちの後輩たちも、治療する事で、貴方たちを再び過酷な戦場へ戻してしまう事を悔いている子たちがいます。
でも貴方は、それを慰めてくれたではありませんか。
大事な人を護る為、再び戦えるように、力をつけるために、と。
多くの兵士たちがそうせざるを得なかったように、正義を諦めてしまうのは簡単ですが、己が戦うのはどうしてか。
貴方の心の底にある、正しさを問い続ける心。それを持ち続けるのは、立派な事だと思いますよ」
クリスティーヌの優しく包み込むような言葉に、ヘクターは再び己の役目を思い出す。
本国に戻って来たのは他でもない。自分たちを護ってくれた人を、再び助ける為なのだ。
それを今一度思い出させてくれたクリスティーヌに、ヘクターは礼を告げた。
「……ありがとうございます。そう仰って頂けると、なんだか、救われる思いがしますよ……」
「幸いなことに、今だけは、ゆっくりできる時間ですわ。
どうぞひとときだけでも、悩みを一度手放して、御自身のお体をゆっくり休めてくださいね。」
そう言ってにこりと微笑むと、クリスティーヌはカーテンを静かに閉めて立ち去って行った。
確かに、何も考えずに休めるのは、ずっと休みなく働き続けていた彼にとって、思えばとても貴重な時間だ。
クリスティーヌの言葉に甘えて、疲れ切っていたヘクターは、とりあえず今はぐっすりと眠る事にした。
やがて消灯時間になり、治療室の明かりが消される。そこで休んでいた者たちは皆、深い眠りについた。
時計の針が、コチコチと音を立てる無機質な音だけが、静まり返った治療室に、やけに響く。
随分経った頃だろうか。
なにやら廊下の方からバタバタと幾人かの足音が聞こえ、懐中電灯の明かりがちらちらと暗闇の中を錯綜する。
何事かとヘクターは目を覚ますが、カーテン越しの向こう側から聴こえてきた声は、クリスティーヌやエミリカだけでなく
厳つい男性の低い声が数人分、それに激しく抵抗する者と思われる声が聞こえてきた。
耳を聳ててみると、話の内容からどうやら、彼らは医療部隊の隊員ではないようだ。
処置室の一部と思われる診察台の周囲に、パッと電球の明かりが点いた。
「鎮静剤を、早く!!」
「くそッ、こんな時間帯に精神侵食が起こるとは……」
「定期的に、安定剤は与えていたのか?」
「はい、先日例のルートから取り寄せた、幻影花の粉を使った、とびきり強いヤツを……」
「それでも随分手古摺っていたって話だ。無理もない。数人がかりの制約結界で押さえ込んだんだろう?」
カーテンの向こう側、カシャカシャと金属やガラスの擦れ合う音がせわしなく、暗闇の中冷たく響く。
「準備出来ました。鎮静剤を注射します。皆さんは出来るだけ、この方の手足をしっかりと押さえていてください」
声の主はクリスティーヌのようだ。緊急事態だというのに、彼女の声は落ち着いていた。
注射を打つと、激しく抵抗していたその兵士は、次第に動きを鈍らせて、やがて眠りについた。
ふぅ、と一息つき、クリスティーヌの隣にいたエミリカが、額に滲んだ汗を袖で拭いながら言う。
「呼吸はとりあえず安定しているようね。だけど注意しなきゃいけないわよ。
定期的に高濃度の安定剤を飲んでいた上に、鎮静剤を通常の3倍の濃度で投与したら、呼吸抑制がいつ出てもおかしくない。
彼の容態は、しばらくうちで看させて貰うわ。いいわね?」
「仕方ない。治療に関しては貴官らが専門だからな。
一応、不測の事態を見越して医療部隊から衛生兵を数人借用していたが、重篤なケースはここで任せるしかない。
だが、これは重要機密事項だ。必要以上の人員との接触は避け、情報漏洩に注意して頂きたい。
彼には制約結界を施した枷をはめているが、いつ破れるかも分からん。状態が安定したら、すぐに引き取りにくる。」
衛生兵ではないと思われる兵士が口にした内容は、些か不穏な空気を感じさせるものだ。
軍内でも情報漏洩を恐れるような機密事項とは、一体何なのだろう?
起きている事を気取られないように、布団をしっかり被り、離れた場所からヘクターは彼らの声に一心に耳を聳てる。
「うちの隊員をそちらに派遣するのは良いけど、戻ってきた子たち皆、随分傷心しているの。
目の前の彼の事にしたってそうよ。一体何やらせてるのか、こちらに少しは聞かせて貰わないと、納得できないわ」
不満と怒りを募らせた口調で、エミリカはその兵士に文句を言う。
「まだ大っぴらには出来ん。実験段階だからな。同じ軍内、医療部隊の貴官らといえども、詳しくは伝えられぬのだ。
我が軍内に、どうやらスパイがいるという情報もあるようだからな。
……近頃、我々の作戦に感づいていると思われるような動きが、敵対国家に少し見られているようなのだ」
その兵士は慎重な口ぶりで、エミリカの疑問に答える。
スパイがいる、というとんでもない情報に、まさか、と、エミリカとクリスティーヌは声を潜めた。
「うちの軍にスパイなんていたら、諜報部が暴いて、真っ先にしょっぴかれるに決まってるじゃないの……」
「それが手を焼いているようなのだ。尻尾を全く掴ませない。全く、どこの手練れが潜り込んだのやら……
故に、ますます軍内の統制に厳しさが増すだろう。貴官らも十分気を付ける事だ……」
「他の連中に気付かれずに、彼をここまで運んでくるのも骨が折れますよ……」
「仕方ないだろう。精神侵食はいつ起きるか分からないからな。
だが、死なせるわけにもいかない。例の実験に繋がる、貴重な被験者なのだからな。」
兵士たちは役目を終えて、大きな欠伸でぶつくさ文句を言いながら、己の部署へと戻っていく。
言葉の端々に、意味深な内容を滲ませて。
あとには、エミリカとクリスティーヌだけが取り残された。
再び静けさを取り戻した治療室に、緊張の糸が切れたのか、震えた声がか細く響く。
「残酷な…… 残酷な事です…… こんな事……」
「一体、何の実験だというの…… こんな非道い事までして、一体何がやりたいのかしら……」
「私も、アーシャの事は言えませんね……
このような事を目の前にしては、彼女の訴える矛盾になんて、到底答えてあげる事が出来ません……」
「仕方ないわ……いや、きっと、この矛盾に答えを見出せる人なんて、この国にはいないのよ……」
2人はただ黙って、取り残された兵士が再び静かに眠る様をじっと見つめていた。
一部始終を彼らに覚られずに聞く事が出来たヘクターは、しっかりとこの夜の出来事を、記憶に焼き付けておくのだった。
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