カーディレット軍から解放されたシャオフーとリックスは、ふらふらとおぼつかない足取りで彼らの陣地を後にする。



「まさか無傷で帰されるだなんて、夢にも思わなかったわ……」


無謀で危険を伴う行動だったのにも関わらず、相手から一切咎めを受けなかった事に、今でもリックスは驚いていた。


各地で悪名を高めていたカーディレット軍の事、捕獲された時点でシャオフーと自身の安全を絶望視していただけに、

あの将官がかけた、年若すぎる少年の身を案じる言葉を、今でも信じられなかった。



「本当にあのヒト、カーディレット軍のヒトなのかしら……?」


「俺もそう思う……」


シャオフーも未だ信じられないという面持ちで、下を向きながら歩いていた。



今までのテワラン天帝国におけるカーディレット帝国軍のやり口は、非道極まりない手法が数多く取られていた。


大規模な森林の焼却・伐採、機械による罠の設置に、シャオフーの村も被害を受けたような、井戸水への毒物の混入。

直接関係ない地元住民をも、多大に巻き込むような作戦が多く取られてきていた。



それが、捕虜を手にしたというのに、その扱いは至って紳士的な対応であったのだ。

今まで散々無視し続けてきた国際条約まで持ち出して、幼過ぎるという理由だけで彼を手放した。

それどころか、かつて彼らが行ってきた非道の数々をも謝罪する言葉。


カーディレットにあるまじき対応に、2人はどうしてもそれが腑に落ちなかったのだ。






2人が草原を歩いていくと、やがてよく見知った顔が現れる。



迷彩色にカモフラージュされた防弾ジャケットを羽織り、サイレンサーを取り付けたシャドーライフルなど、

隠密行動に秀でた万全の装備で身を包んだ、イーグルたちの姿だった。


シャオフーとリックスの姿を確認すると、イーグルは厳格な面持ちで2人に呼び掛けた。



「2人共、無事だったか?」



すると、イーグルが何か言う前に、リックスはその場に片膝をついて頭を垂れ、謝罪の言葉を口にした。


「急な事態とはいえ、勝手な行動、申し訳ありませんでした。

 同胞も予期していなかった敵陣への特攻、そして迎撃を防ぐ為に向かいましたが、

 ワタシたち2人共、一時的とはいえ、敵軍に捕まってしまいました。」


「あぁ。その様子は双眼鏡で確認した。全く、冷や冷やしたぜ……」


報告を受け、イーグルは溜め息をつく。



「俺の身勝手な行動で、皆を巻き込んでしまった……本当に、申し訳ありませんでした」


リックスの隣に黙って立っていたシャオフーも、彼女と同じく地面に座り込み、頭を下げる。



2人の様子を見て、もうひとつ長い溜息を吐くと、イーグルは防弾ジャケットの詰め襟のボタンを外し

やれやれと首を振った。



「……まぁ、皆まで言わずともお前らは大層反省しているようだから、強くは言わねぇがな。

 お前らの行動は、同盟軍全体の今後の行方を左右する程のものだった事は、改めて自覚しとけよ。

 捕虜にされた事で、お前らをダシに敵方に有利なカードを渡し、勝敗を左右し兼ねない事態を招いたんだからな。」


「はい……」


「太子サンにお前さんの事情は聞いたが、思いあまった行動で、お前さんが望まなくとも、お前さんの身そのものが、

 大事な仲間たちを窮地に陥れてしまう事もあるって、よーく自覚するんだな。

 ……お前さんの仲間たちは、お前さんが思っている以上にお前さんを大事にしている。それを知っとけよ」



てっきり大声で罵倒されるものとばかり思っていた。

それだけに、特に最後の言葉をかけられた時、その声色の暖かさ、肩にぽみぽみと置かれた手の感触の暖かさに、

シャオフーはじわりと涙を浮かべる。



王太子が、コリンドーネ共和国と何故同盟を組もうと思ったのか、シャオフーにも分かるような気がした。

彼らの懐の広さ、仲間を思いやる気持ちが、恐怖と猜疑心で固まったテワランの民の心を温めていく可能性を

彼はいち早く見出したのかもしれない。シャオフーはそう思ったのだ。







テワラン・コリンドーネ同盟軍の本拠地に戻った彼らは、王太子ルトガーの御前に今一度連れ出された。



「うちの一兵士に、多大な労力を割いて救助に向かってくれて、改めて礼を言う。本当に済まなかった。」



公の場で、ルトガーは改まってコリンドーネ側に礼を述べる。

この時も、王太子は自分に対して強く叱咤さえしなかった。それがかえってシャオフーにはいたたまれず辛かった。


「いや、結果としてこうして無事に戻る事が出来たんだからな。幸いだったよ。

 ……だがそれは俺たちの力って訳じゃねえ。敵方の配慮によるもんだ。不思議な事にな。」


「捕虜を手にしたのに、交渉にすら臨んでこなかったというのは腑に落ちんな。」


アルバトロスも、カーディレット軍側が捕虜をそのままこちらに返した事に対して納得がいかないようだった。



「そこなんだがな。 もしかしたら、交渉に失敗した際に反撃する兵力すらアイツらに残っていなかった可能性もある。

 あちらさんはずっと連続して戦闘をしてきたし、前の戦闘で向こうにも多くの負傷者が出たしな。」


「なるほど……だから、迎撃さえせず、あっさりとワタシたちを手放したのね」


イーグルの冷静で客観的な指摘に、隣で聞いていたリックスは成程と納得した。



「ただ、これはあくまで可能性だ。可能性で軍を動かす訳にはいかねぇから、まだアイツらの戦力を分析しなきゃならんが。


 だが、敵陣に捕まったとはいえ、一時的に懐に潜り込むことが出来たわけだ。

 敵が今どんな状況で、何を考えているのか知る事は、戦略を予測する上で大きな材料になる。

 リックス、お前が見てきて、話を聞いてきた情報で構わない。何か手がかりはあったか?」



自分たちを無傷で帰してくれたのに、向こうの情報を仲間たちに渡す事にリックスは少し躊躇ったが、

見てきた事を仲間たちに淡々と伝える。



「まず…… 気になったのは、敵方の将官の考え方よ。

 今までのカーディレット帝国軍のやり方とは大きく異なる考え方だわ。

 大規模でない地道な戦略、捕虜の保護を掲げた国際条約を遵守するその公平性、今までの戦い方から根本的に違うわ。

 彼は、前任の将軍が居たと言っていたわ…… その代わりに、新しく上官に赴任されたのかしら。

 だから、戦い方が大きく変わったと思うの。」


「確かに、ここにいる全員が、今までの戦い方と根本的に違うと感じている。なるほど、敵方にもそんな事情があった訳だな。」


リックスの話を聞き、イーグルはカーディレット軍の戦略の変化の理由に納得する。



「そういや、確か以前の戦闘でアルバトロスが仕留めた奴に、将官っぽい奴がいたか?」


「槍を持ち、ワイバーンに跨った将官が居たが、残念ながらあの時は妨害されて撃ち損ねたよ。

 そう言えば、その戦闘付近以降だったかな。彼らの戦略が変わったのは。」


先の戦闘での様子を思い出しながら、イーグルとアルバトロスは何か手がかりがないか、己の記憶を思い巡らせた。



「ただ、彼らの話し合いでは、必ずしもその考え方に共感する兵士ばかりではないようよ。

 ワタシたちを無傷で帰すという意見が出た時も、もちろん反対意見が出たもの。」


「まぁそりゃそうだよな。折角捕えたエサを利用せずに帰しちまうだなんて、勿体ない話だからな」



「それでも、反対する仲間たちを説得して、あの決断に至った……

 イーグル隊長の言う通り、もしかしたら向こうに反撃の余力さえ残っていなかったから、そうした可能性もあるかも知れないけど、

 あの決断を兵士たちに納得させるというのは、並大抵のことでは出来ない筈よ。

 それだけ、その将官の信念は強かったのでしょうし、兵士たちから信頼を置かれているのは間違いないでしょうね……」



同時に、リックスはある事を思い出していた。

もう1人居た将官と思しき、あの黒髪のリボンの少女の事を。


誰にも聞こえない声で、彼女は自分だけに言ったのだ。

あの戦いで、狙える状況にありながらも、自分の命を奪わないでいてくれた理由を。



命を無駄に失わせたくない。



それは、戦争に関わるものとしては、触れてはいけないタブーのような考え方だ。


戦争では、互いの主張を譲らないために、命を賭して互いの信念をぶつけあう。

そこで相手の命を惜しむ行為は、自分の主張を取り下げてしまいかねない事だ。

下手をすれば甘さと捉えられ、相手の命を狙わない事をいいことに、彼女自身の命さえ危険に晒してしまうような発言だ。


それでも彼女は、相手の命を奪う事に躊躇いの心を抱き、それを実行する為に

卓抜したその腕を以て、今まで多くの兵士たちを戦闘不能にしてきた。

それはきっと、並大抵の努力では実行すらできないだろう。




あのローレンツという将官と、黒髪の少女が率いる、あの部隊ならば。

自分たちとわずかながらでも、交渉が出来る可能性があるのではないか。




しかし、同時に彼女の頭の中で、別の声が言う。



あれは、帝国軍の中の、たったひとつの部隊だと。


彼らのような考えがカーディレット帝国の総意とは、まだ決して言えない。




そしてどうやら、その考え方を持っていたのは、リックスだけではなかったようだ。


「今目の前に対峙している連中が、そういう考えを持っているという事は分かった。

 だが、何も相手はアイツらだけじゃないんだ。

 今回の戦闘では現れなかったが、前回共同作戦を仕掛けてきたソルシエールの連中や、ワイバーンを操る部隊だって控えている。

 相手はいくつも戦力を控えた大国だ。次にどんな新手がやってくるかはまだ分からない。

 早い所、態勢を立て直さないとな」



ルトガーはそう言い、この戦いが強大な勢力に囲まれた、苦境の戦いだという事を、改めて皆に思い出させたのだった。




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