アクセルの報告によると、前方300メートル先の草むらに、何者かが潜んでいるという。
しかし、その動きは随分と杜撰で、奇襲を狙うような工作兵、諜報兵とは思えない、と。
しかも、その人数はおそらく1〜2人程度だという。
カーディレット軍、テワラン・コリンドーネ合同軍共に、双方先程の戦闘で大分消耗していた。
そんな中、ある一定の休息さえ置かずに相手に踏み込んでくるなど、戦略のセオリーとしては大分粗雑だ。
相手の潜入の目的が、こちらには全く想像がつかない。
報告を受けたローレンツとユリコらは、彼が見張りをしている場所へ赴き、双眼鏡で覗き込む。
「ユリコ、休息をとらなくても大丈夫かい?」
「寝言言ってんじゃないわよ。 目的の分からない敵程、何をしでかすか分からないから怖いでしょ。
指揮官ならばどんな時でも、ちゃんと目の前の状況を確認してから、どう次の一手を打つのか考えなくちゃ。」
殆ど休んでいないユリコを心配してかけた言葉に対して、こんな時に眠ってなんぞいられないと強気に言い返す。
そんな彼女に、ローレンツは思わず笑った。
「流石、指揮官としての心構えは立派なものじゃないか。
だけど、休息をしていない分パフォーマンスは落ちる事を念頭にして、十分注意するんだよ」
なんだかんだといいながらも、ユリコは16歳とまだ若く、体力も成人男子に比べてかなり差がある。
そんな彼女が無理をし過ぎないよう、ローレンツはそっと見守るのだった。
暗闇の中、よく目を凝らして双眼鏡を覗き込むと、草むらの中から背の低い人物の影が現れる。
そしてその後ろに、つかず離れずの距離で近づいている人物が、もう1人。
「あれは……」
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テワラン・コリンドーネ陣営からしばらく草むらを進んで、対峙しているカーディレット軍の陣地に大分近づいた頃。
シャオフーは、後ろから近づいてくる気配に気付いた。
後ろから、という事は、カーディレット軍ではなく、おそらく自分たちの陣営の人物だ。
誰にも何も告げず、こっそりと1人で抜け出し、もう取り返しのつかない所まで大分進んだというのに。
ここで見つかったら、あいつらに一矢報いる事さえできず、全て水の泡だ。
心の奥底に秘めた、あの日からずっと抱いてきた譲れない目的を達成するその前に、
自分の邪魔をするのは、一体誰なのか。
「……さっきから、俺の跡をつけてくるのは、一体誰だ!?」
もどかしさに激しく怒りを感じながら、シャオフーは持っていた両刃刀の切っ先を、後ろから近づいてくる人物に向かって
激しく振り下ろした。
その切っ先の前に、警戒しつつも至極心配そうな表情で自分を見つめていたのは、いつか自分がかつて刃を向けた相手だ。
セルリアン・ブルーの、異国の色の瞳が、眼鏡の奥から自分を真っ直ぐ見つめている。
それは、テワラン天帝国に初めて王太子が迎え入れた、コリンドーネの技師の1人、リックスだった。
「お前は……!!」
激しく嫌悪の表情を浮かべて睨み付けるシャオフーに、リックスは人差し指を自分の唇の前に当てる。
「静かに! 今ここで大きな音を立てると、相手に気付かれてしまうわ」
確かに、彼女の言う通りここで争って大きな物音を立てれば、確実にカーディレットの兵士たちに気付かれ、迎撃されてしまう。
そうすれば、自分が目指していた彼らへの奇襲は失敗に終わる。
罵倒雑言を浴びせ、争ってでも彼女をここから追い払いたい所ではあったが、状況が状況だけに、渋々怒鳴る事を諦めて
シャオフーは刃を構えつつ小声で、とても不貞腐れた声で、リックスにここまでやってきた訳を問いかけた。
「……俺が陣地を抜け出した所を、よく気付いたな。」
「たまたまよ。うちのコたちと見張りしていたら、暗闇に紛れて向こうの陣地へ向かうアナタが見えたの。
……これは、アナタ1人で考えた事なのかしら?」
「そうだ。あの戦いで決着がつかなかったから、夜の闇に紛れて、これからアイツらを殺しにいく。」
眼帯をした片目だけのシャオフーは、残った左の瞳に怒りの焔を宿らせて、言い放つ。
その殺伐とした、まるで見た通りの子供とは思えないような鬼気迫る彼の様子に、リックスは怯えながらも問いかけた。
「たった、1人で? そんなの、無茶よ……」
「お前には関係ない。これは、俺がもう決めたことなんだ。
何を犠牲にしても……この命だって、アイツらを1人でも多く殺せるならばちっとも惜しくない。」
彼の決意は随分と固いようだ。おそらく前々から、心の内で蓄積し続けてきた事なのだろう。
しかし、その割には装備は薄く、武器と言えば手にしている、両側に刃が付いた刀一本のみ。
これでは奇襲はおろか、カーディレット軍から軽く門前払いされてしまいそうだ。
その心許ない装備に、リックスはおそるおそる、これから行うであろう彼の計画に水を差した。
「残念だけど、その両刃刀では、アナタの目論見は無駄に終わってしまうわよ……?
カーディレット軍は、銃をはじめとした様々な機械を使うわ。前の両軍の戦闘を、アナタも見たでしょう……?
アナタの武術は見事なものだけど、相手はさらにその上をいく武力を持っているのよ」
説得は難しいにしても、その投げかけた言葉は、予想通りシャオフーの怒りに火をつけた。
「機械を扱う奴らが上だって……またお前たちはそうやって、俺たちテワランを見下してくる!!
だから俺たちを野猿呼ばわりして、俺たちの国に土足でズカズカ入り込み、故郷の土を機械の廃油や毒で汚して
苦しめるんだ!! 機械が発達しているからって、何だ!! そうやって好き勝手していい訳なんかない……!!
そんなのが進歩した国だって言うんなら、進歩なんてくそくらえだ!!」
テワラン天帝国が、諸外国からやれ土人だ、やれ野蛮人だとけなされたり、田舎者だと散々格下扱いされて
最新の技術と謳われる機械や毒などの野蛮な武力で、自分の大事な故郷を、大事な肉親を奪われてきた事に対して、
シャオフーは腸が煮えくり返るような怒りを溜め続けてきた。
その怒りの叫びを、もはや敵兵に見つかる見つからないなど関係なしに、思い切り大声で目の前のコリンドーネの兵士にぶつける。
「やっぱり、王太子がコリンドーネなんかと手を組んだのは間違いだ。コリンドーネもカーディレットも関係ない。
テワランをよってたかって馬鹿にして、機械で蝕んで、俺たちを皆変えてしまうんだ……
だったら、俺たちの国を奪われる前に、刺し違えてもアイツらを殺すんだ……」
そう捨て鉢に言うシャオフーに、リックスは思わず我慢できなくなって叫ぶ。
「そんな、ワタシたちの事を何も知らないまま、アイツらカーディレットの連中なんかと一緒にしないで……!!」
「だったら、どう違うというんだ!! 俺たちを馬鹿にするなら、アイツらと一緒だ!!」
血走った瞳で睨み付ける、怒りに我を忘れたシャオフーの視線に突き刺されながらも、リックスは懸命に呼びかけた。
「少なくとも、アナタをこのまま放ってなんかおかない!
このままカーディレット軍の所へ行くというのなら、その剣でワタシを刺してからにしなさい!!」
リックスは両手を広げて、シャオフーの往く手を懸命に阻む。
彼女のあまりにも予想外の発言に、シャオフーは驚きの声を上げた。
「な、何だ……って……?!」
「二言は無いわ。どうしてもこの先へ行くというのならば、ワタシを殺していきなさい」
きっと鋭い視線で、リックスはシャオフーを見つめる。
すると、それまで張りつめていたシャオフーの表情に、初めて戸惑いの色が浮かんだのだ。
「どういう事だ……? お前、気は確かか? いきなりそんな突拍子もない事を……」
「えぇ、本気よ。
このままアナタを行かせてしまえば、厳しいけれど、捕虜にされるか、殺されるかのどちらかだわ。
戦線を幾つもかいくぐって、実際にカーディレット軍と何度も戦ったから分かるもの。
そんな事になるのを、ワタシが黙って許せると思って?」
彼女が冗談を言っていないという事は、少なくともシャオフーには分かった。
だが、どうしてこのような血迷い事を。その意図を、シャオフーは理解できなかった。
覚悟を決めて臨んだ、自分の目の前に立ちはだかるリックスがいよいよ煩わしく、シャオフーはぶっきらぼうに叫ぶ。
「こんな俺の事なんか、放っておけ!! 俺は、ねえねえの為に、死んでいった仲間たちの為に、アイツらに一矢報いるんだ!!」
しかし、同じくらいの熱量を以てして、リックスも強く言い放つ。
「放っておけるわけないでしょう!! 大事な友だちになれるかも知れないヒトを、目の前で見捨てる事なんかできないわ!!」
すると、シャオフーの瞳の色ががらりと変わる。
怒りに満ちた色から、驚きの色へ…… そしてその瞳の色は、次第に涙の色へと変わっていった。
「友だちに…………?
お前の事を散々酷く言ったのに…… 傷つけようとしたのに……
どうして、どうしてお前は、こんなに俺の事を心配してくれるんだ…………?」
シャオフーの瞳から、ぽろぽろ、ぽろぽろ、透明で暖かい涙が零れ落ちる。
その優しい涙を見て初めて、リックスはまるで小さな弟を見つめるような眼差しで見つめる。
「あの時、どうしてアナタがワタシたちを襲ったのか。
どうしても知りたくて、アナタの悲しい過去を、王太子様から教えて貰ったの。勝手に、ごめんなさいね……。
でも、そんな悲しい過去を背負ったアナタを、放っておけるわけないじゃない。
おせっかいかも知れないけれど、分かり合えないまま、憎しみ合うのって、ワタシは嫌なの。
コリンドーネのヒトたちはね、みんなおせっかいなのよ。」
そういうと、リックスは微笑んだのだった。
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