帝国が管轄している、古い工場群。ブロンデー博士の研究所もその一角に存在していた。
今でこそ鉄と機械の発展で名を馳せたカーディレット帝国であるが、数年前までは技術開発が思うように進まず
途中で頓挫してしまった研究所や工場の跡地が、あちらこちらに点在していたのであった。
孤児院を飛び出したウォルターも、行く当てもなく、古い工場群の一角でぷらぷらしていた。
赤く錆びついた階段のうちの一段に腰かけ、重く澱んだ灰色の雲に覆われた夕暮れ時の空を眺めて
おおきくため息をついた。
「見捨てる……か…… 俺も、いずれそうなっちまうのかな……」
先程マーキスにああ言われてカッとなって飛び出してきたが、改めて思い返すと
自分とあの冷徹な教官が重なってくるようで、嫌気がさした。
己の意にそぐわなくても、従わざるを得ない状況があるのを、小さい頃からウォルターは熟知して育ってきた。
周囲に合わせて自分をコントロールする。それは生き残るために、無意識に体が覚えた生き方だ。
ある意味姑息で、狡猾と言ってもいいだろう。
だが、馬鹿正直で怖いもの知らずのマーキスは、無鉄砲に相手に臆することなく真正面にぶつかっていく。
それが見ていて、どこか羨ましいと思う気持ちもあった。
思った事をそのまま言える。それが出来たら、どれだけ気持ちが楽になるだろう。
しかし同時に、短絡的で無責任だと思う苛立ちも感じていた。
世の中はそんな単純に生きていけるものではない。
先程の言い合いも、そんな苛立ちから生じてしまったものであった。
放たれた言葉は、気持ちをストレートに表している。
包み隠さない故に、受け取る側の気持ちを時に考慮しきれず、傷つけてしまう事もある。
「あいつ、何にも考えないで好き勝手言いやがって……俺が、そんな奴に見えるのかよ……」
マーキスの言葉を、ウォルターはかなり引きずっていたのだ。
「いつもケンカすると、ここにやってくるよね?」
誰もいない筈の工場跡で、突然の声に驚き、顔を見上げる。
不意に声をかけてきたのは、錆びついた階段の1つ上の踊り場の手すりに突っ伏したジーナだった。
「な、なんだよ……! いつの間にいたんだよ。驚いたじゃねーか!」
「あはは、ゴメンゴメン。 でも、ウォルターがここに来るのもなんとなく分かるな。
1人きりになれる場所っていいよね」
静かに佇む工場跡の群れに吹き抜ける風を、ジーナは遠い目で穏やかに見つめていた。
「……なんだよ、お前も家族とまたケンカしたのかよ」
「まぁね」
突然の不意打ちを喰らってバツが悪そうなウォルターが、ジーナに投げかけたのはいつもの質問だった。
今年で14歳になるジーナは、先日家族と、士官学校に進学することをめぐって言い争いになったのであった。
貴族であるジーナの家は、兄に家督を譲る事が決まっており、
妹のジーナは政略結婚の一計としてどこかに嫁ぐのが生まれた時からの定め。
それに一徹して反する彼女の数々の行動は、家族を困らせていた。
士官学校に進学したいなど、家族にとっては以ての外だった。
孤児院にやって来るのも、手伝いというよりかは、家から逃げてきていると言った方が正しかった。
「こう生きるべき、こういう振る舞いをすれば安泰に生活できる。
そんなのばっかりで、嫌になっちゃうよ。」
「いいのかよ、そんな事言って。逆らったら家族が黙っちゃいないだろ?」
辟易するジーナにウォルターが忠告すると、物怖じせずに彼女は快活に言った。
「私はモルモットじゃない。私の生き方を、家族に決められるのは嫌なんだ。
そりゃ、こういう振る舞いをすれば、苦労なく過ごせるってのは分かるよ。
だけど、そんなの私の人生じゃない。
ウォルターだって思うだろ? 私がふりふりのおドレスを着て、しおらしくスカートをつまんで
お辞儀なんかしたら、滑稽だって」
「はは、そんなの、ジーナじゃないな……」
そう言って笑うウォルターは、ふと黙りこみ、考え込んだ。
先程、マーキスと言い争った時に、自分が放った言葉を反芻していたのだ。
<納得できなくても従うしかない>
孤児院で帝国兵になるべく育てられている自分は、上官の命令に従っている、ただそれだけではないのかと。
生きる為に命令に従い続けるだけの人生、果たしてそれは本当に“自分の人生”と言えるのか。
「なぁ、ジーナ。お前は何で士官学校に行きたいんだ?」
「敷かれたレールから外れたかった事が一番だけど、何より兄さんやみんなを護る為に、強くなりたかったからだよ。
その為には、もっと勉強して、世の中の事を知らなくちゃ。このまま家にいても、誰も何も教えてくれないからね」
「ふぅん……お前、ただやみくもに家に反発してるだけじゃねぇんだな……」
「ふふ、褒めてもいいんだよ?」
いつも考えなしにお転婆ばかりしているジーナの意外な言い分に、珍しくウォルターが感心すると
ジーナはニヤリと笑う。
「俺さ、みんなに上官の言う事には逆らうなって言い続けてきたけど、そればかりじゃダメな気がするんだ」
ウォルターはジーナに、常々疑問に思っていた事を口に出す。
「へぇ……いつもはいい子で優等生なウォルターさんが、どうしてそう思う訳?」
「やめろよ、その言い方。
だってよ。命令の中には、理不尽なものだってある訳じゃないか。さっきの将校にしたってそうだ。
そりゃ、逆らえば罰を受けるけどよ。そんなの、力でねじ伏せているだけじゃないか。」
すると、ジーナは日頃のウォルターの様子を思い出しながら、こう答えた。
「まぁ、言う事を聞いていれば平穏無事に過ごせるよね。上官の仕置きを喰らう事もないし。
キミも言ったじゃないか。感情のまま動くと面倒なことになるって。
いいんだよ。ウォルター、キミはそれで面倒ごとを避け、今まで皆を率先して護って来たんだからさ。
キミみたいな奴だって必要なんだよ。
特にあの馬鹿正直なマーキスは、後先考えずに相手が上官だろうと物申すところがあるから」
「お前も割とそうだけどな……」
「あ、そう?」
悪びれずにジーナは先を続ける。
「時と場合を考えればいいんだよ。あとは、何を大事にしたいか、自分の中にぶれない“軸”を持っている事。
命令なんか、ただ頷いていれば、相手は自分に反乱の意思なしって思って油断するからね。
いざという時の為に、心の中に秘めておけばいいんだよ。
ウォルター、キミは何を大事にしたいんだい?」
そうジーナに問いかけられて、ウォルターは改めて今まで自分が生きてきた時間を振り返る。
決して楽しい事ばかりではなかった。苦しい事、理不尽な事も多々あった。
その度に相手に従い、頭を下げ、過酷な荷を背負ってきた。全ては生きる為だ。
しかし、孤児院にやってきて、暖かい寮父や、世話が焼けるが一緒に馬鹿をして笑いあえる仲間たちが出来た。
心地よい空間。それを護りたい。
いつの間にか、ウォルターはそう思っていたのだった。
「……聞かなくても、キミの行動をみれば、何を大事にしたいのか何となく分かるよ」
ふふっと笑い、ジーナはウォルターを見守る。
「いい子ちゃん、模範生ぶっている、上官の飼い犬……言いたい奴には言わせておけばいいさ。
本当のキミの信念を知らない奴の言葉なんか、手に取るまでもない。
それより仲間から失望される方が、キミにはよっぽど応えたんだろうな」
「……俺の愚痴、聞いてたのかよ」
「あれだけ大きな声で独り言を呟いていれば、気付かない方が無理だよ。
言いたい奴には言わせておけばいいけど、仲間にそう思われるのが嫌だったら、自分から弁解に行くんだね。
仲間には、本音を言ってもばちは当たらないんじゃない?」
全て見透かされ、情けなさのあまり憮然とした表情をしつつも、素直な気持ちを思い出させてくれたジーナに
ウォルターはしぶしぶ感謝を告げる。
「……余計なお世話、ありがとな」
「どういたしまして」
「さて、早とちり思い込みヤローに、殴り込みをかけに行くとするか」
そう言い、ウォルターが立ち上がると。
灰色の空が一瞬ひっくり返った。
驚く間もなく、ウォルターの視界は暗転した。
彼の耳に微かに残ったのは、自分の名を呼ぶジーナの叫び声が遠くなる様子だけだった。
錆び付ききった足元の階段の板が、鈍い音を立てて、崩れ落ちたのだった。
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10歳の割に、大人びてい過ぎかしら?(笑)
んでも、過酷な環境にいれば、きっと考え方が大人びていくと思うのだ。
ケンカの話はもう少し続きます。