ブリューゲルに介抱して貰って以来、リツは訓練の最中にも無意識に彼を探すようになっていた。
所属部隊が異なっている為、頻繁には見かける事が出来ないが、姿を見つける度に
小鳥が親鳥に懐くように、とてとてと駆け寄っていた。
一方ブリューゲルの方も、リツを見かけるとにっこりと微笑み返していた。
リツがいじめられようものなら、厳しく取り締まっていた。
そのおかげなのか、近頃はあまり他の兵士に絡まれる事が少なくなっていた。
ある日、リツが中庭を歩いていると、図書館に向けて歩くブリューゲルの後ろ姿を見つける。
いつものように、とてとてと駆け寄ろうとする。
しかし、表情が見えるまで近づくと、どこと無く違和感を覚えて、リツは立ち止まった。
歩みを止めて、ブリューゲルが振り返る。
「リツ、どうした?」
問いかけると、リツは静かに答えた。
「……じゃない」
「……?」
「お前は、ブリューゲルじゃない」
睨みこそしないが、真っ直ぐ射抜くような視線を、目の前の人物に注ぐリツ。
すると、ブリューゲルと思しき人物は、さほど動揺する様子も無く、リツに続けて問いかけた。
「何故そう思う?」
「雰囲気が違う。表情も。
……そして、何より胸に厚みがある」
次の瞬間、木陰からくすくす笑い声が聞こえてきた。
「ぷっ…… あははははは……!」
「こら! 笑い過ぎだぞ!!」
憮然とした表情で、正体をばらされた青年将校が何も無い筈の木陰に話しかけると
すうっと、まるでそれまで空気に溶けていたかのように、1人の青年が浮かび上がってきた。
「完敗ですね、ジーナ様」
「フン、初めから知っていたさ、こいつに小細工はきかないって事はな」
腕組みをしてそっぽを向く青年の隣に、もう1人の青年が、すとんと軽く落ち葉を散らせて降り立った。
驚いて目を何度もこすっているリツに、青年が自己紹介する。
「私はブリューゲル様にお仕えする影、ウツセミと申します」
そう自己紹介した青年は隣の青年とは異なり、一般兵の出で立ちをしていた。
ただ一般兵と違っていたのは、諜報兵を意味する金色の片翼を模った
国章のついた、紅いベレー帽を目深に被っていた事である。
表情も、目の色も全く読む事が出来ない。
その隣に腕を組んで構えている、ブリューゲルに良く似た青年が口を開いた。
「私は、ブリューゲルの双子の……妹、ジーナだ」
妹、というくだりをとても言いにくそうに、ジーナと名乗った青年…もとい女性が答える。
「妹? 妹が居たのか……? 知らなかった……」
驚いているリツを横目に、ウツセミがジーナに突っ込みを入れる。
「良かったですねジーナ様、殆ど無いに等しい女性の象徴を、汲み取って頂けて」
「余計なお世話だ!ウツセミ、貴様いつかロクな死に方しないぞ……」
睨みを利かせるジーナをものともせず、いつまでもウツセミは腹を抱えて笑いを堪えていた。
「しかし、無い胸はともかく、ブリューゲル様とジーナ様を見分けたのは流石ですね。
精霊を見分けたのですか?」
「いや……雰囲気が全然違っていたから……
……?」
ウツセミのごく自然な、一見当たり前のようで実はそうでない問いかけに、リツは気付いた。
「精霊の事を知っている……?」
「兄さんから、精霊については良く聞かされていたのでね。
そしてその数少ない使い手であるキミの事もね、リツ」
軍帽をとると、ジーナはリツをもう一度よく見据えて、説明した。
「私たちは、兄のブリューゲルを暗殺の手から護る為に、替え玉とスパイとして密かに働いている」
「今、帝国は岐路に立たされています。
侵略を推進する強硬派と、侵略を中止させようとする我々穏健派と、その他の派閥が
次期の皇帝の助言役となる摂政の地位を争い、内部争いが激化しているのです。」
「兄さんは、これ以上の帝国の無駄な侵略をやめさせる為に、重要な存在なんだ。抹殺される訳にはいかない」
「その為、我々2人がこうして影からブリューゲル様をお支えしているのですよ」
今まで全く知らなかった、裏の世界での諜報活動を初めて知ったリツは、ただただ感嘆するのみだった。
初めて知らされた事ばかりで、鳩が豆鉄砲を喰らっているような顔つきのリツを
眼力鋭く、ジーナは見据えて更に言葉を続けた。
「特に重要となるのが、リツ、キミの存在だ」
「俺が……?」
思わぬ言葉に戸惑い驚くリツに、ウツセミが答える。
「帝国が侵略を続けているのは知っていますね? ただ、ここ最近の帝国軍の侵略は成果が少ない。
いたずらに兵を浪費する一方で、国の利益になる獲得が殆ど無いに等しいのです。
おまけに、あちこちに手を伸ばしすぎた結果、他国から結束され防衛・警戒される有様。」
「そんな中、フォルクマールが見つけて連れてきた逸材がいるというじゃないか。
彼の教育のおかげで、キミは凄まじい力を身につけた。
キミ1人で帝国兵1000人分の力はあると言う者もいる程だ。
色んな派閥が、リツという精霊使いの存在を重要視し始めている。
もうキミは、己の身の振り方を気をつけなければならない存在になってしまったんだ。」
そう警告するジーナに、まだ言葉のひとつひとつを咀嚼し切れないリツが反論した。
「俺はそんな情勢の事なんか分からない…… どうすればいいんだ」
「ここ最近、ブリューゲル様によく付き従っている姿を見かけますよ。
お慕いする我々としては嬉しい限りなのですが。
ただこの国では、他愛も無い貴方の行動や言論ひとつで、貴方を闇に葬る事が簡単に出来るのですよ。
ましてや貴方だけでない、ブリューゲル様を窮地に陥れる存在が居る事を知って貰いたいのです。」
口調こそ柔らかいものの、ウツセミは言葉厳しくリツを諭す。
「要は、余計な事をするな、行動を弁えろ、って事だ」
そこで、一度ジーナは言葉を途切れさせる。
首を傾げるリツを前に、ウツセミと顔を見合わせ、ゆっくりと次の言葉を口にした。
「リツ…… フォルクマールは、信用に足る人物か?」
そう言われた瞬間、ドキッと心臓をわしづかみにされたような感覚を、リツは味わった。
リツの表情の変化を注意深く眺めながら、慎重にジーナは言う。
「キミが一番近い人物は、今のところフォルクマールだ。
彼は兄さんと同じ時期に士官候補生として入隊し、今頭角を現し始めている人物の1人だ。
今のところ、大きな動きはしていないが……
兄さんのような穏健派でもなく、かといって強硬派でもない。」
「何を考えているのか、分からない人物ほど注意すべきものはないのですよ。
先日ブリューゲル様が、酷い仕打ちを受けていた君を介抱した、という話は聞いています。
そのような境遇にあるにも関わらず、彼は君に何も手を差し伸べなかったという事も。
君を彼に預けていていいのか、ブリューゲル様は考えあぐねているのです。
ブリューゲル様自身は、フォルクマール様をまだ信頼しているようですが……」
じっと見つめる2人の視線を感じながら、リツ自身も表情を曇らせる。
「分からない……
俺は、小さい頃フォルクマールに連れてこられた事しか知らない。
しかし、フォルクマールは色々教えてくれたし、俺を今日まで育ててくれた。
ただ、全てを話してくれているとは思っていない。」
リツは、自分自身の気持ちを正直に話した。
これは本当の事だ。
世話にはなっているし、感謝はしている。
ただ、彼自身の気持ちは、自分には全く分からない。
辛い時に労ってくれるような、優しい言葉をかけてくれた記憶も殆ど無く、
自分の事をどう思っているのか、不安に思う日が無いわけでもない。
しかし、記憶の片隅にうっすら残っていた。
共に飛び立つてんとうむしを眺め、耐えていればいつか報われると教わった事を。
自分は、なんて無知なんだろう。
フォルクマールの事を判断するには、リツにはまだ情報が少なすぎた。
そして目の前にいる、今日出会ったばかりの人物たちに、それを答える義理も無かった。
「フォルクマールや、俺自身の事を、お前たちに全て話す理由はない」
先程とは違い、瞳にしっかりとした光を宿らせたリツを見て、ジーナは見透かすようにもう一度じっと見つめる。
そして、不敵に微笑んだ。
「キミがそう考えるようになってくれた事が、今日一番の収穫かな」
そう答えると、マントを翻して背を向け、軍帽を目深に被る。
そして踵を返しながら、再びリツに忠告する。
「今日話した事は、ほんの氷山の一角に過ぎない。良く覚えておくといいよ。
くれぐれも、行動と言動は慎重にね。」
「まだ君の事は味方とは思っていません。しかし、同時に敵でもありません。
困った事があれば、手助け致します。それでは……」
手をひらひらと振り、木立の中へ立ち去っていくジーナ。
それを追うように、再び溶けるようにウツセミは緑の中に姿を消していった。
残されたリツは、葉擦れの音がざわめく木々の通りの下で、2人が残した言葉の意味を反芻していた。
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