幼かったリツ少年は成長し、今や立派な帝国兵となった。
一緒にいるヴァンパータは火の精霊で、リツの扱う火の魔法は強力な威力を持ち
その特異な深く青い色から、若くして帝国兵で知らぬものはいない程の存在となる。
言葉数が少ないのも昔と変わらず、それがかえってミステリアスさと冷徹な雰囲気を醸し出していた。
しかしその実態は……
「……おさしみに、何故花を添えるのだ?」
リツはまじまじと、食卓に出た旬の魚に添えられた、黄色いちんまりとした菊の花を見ていた。
その隣を、もくもくと箸をすすめながらフォルクマールは答えた。
「菊の花による解毒作用を期待する、ワダツミの国の風習です。
そんなに勢い良く魚に醤油をつけては、制服が汚れてしまいますよ、リツ」
何でもかんでも興味を持つ、子供のような好奇心さも昔と変わらないままであった。
そして、強力な火の魔法を用いて進軍にも参加し、数々の武功をあげてきた。
遠征で数多くの村や街を陥落させ、精霊使いの魔法の力の凄まじさを
カーディレットの兵士たちに焼き付けた。
しかし、リツがどんなに武勲を上げても、フォルクマールは静かに微笑むだけで
遥か遠い日にてんとうむしを捕まえた時のように優しく褒めてはくれなかった。
それがリツには、とても寂しかった。
そして、子供の頃はフォルクマールの元で保護され危害を受けることも無かったが
一帝国兵として軍隊の中で働くようになってからは、同じ兵士たちから陰湿で執拗ないじめを受けるようになる。
帝国軍隊は徹底的な縦社会で、身分が全てであり、上の者の命令は絶対であった。
功績をいくら積んでも、身分が低いものが昇格するのはこの時代では稀であった。
その為、まだ軍隊でも入りたてで、おまけに捕虜としてこの国にやってきたリツは
武勲を挙げても同僚や先輩の妬みを買い、いじめの格好の標的となってしまうのであった。
刃向かうものならば、不敬罪として厳格な処罰を受ける為、ただ、耐えるしかなかった。
フォルクマールはそんな状況を分かっていたが、決して己の身分を利用してリツを傘の下に匿うような事はしなかった。
この日も、いつものように数人の兵士たちから暴行を受けていたところであった。
壁に向かって叩きつけられ、リツは顔を除く体中至る所に痣ができ、口元には血が滲んだ。
「ハハ、これがかの有名な青い炎の使い手さん、か!」
「悔しかったら魔法とやらを使ってみろよ。出来るか?出来ねーよな?
俺たちは尉官!てめぇはそれ以下だしなぁ! 手を出したらタダじゃすまねぇからな」
がっと頭を足蹴にされ、何も言わずに一方的に痛めつけられるリツ。
しかし、目つきだけは、決してお前たちには屈さない、と言わんばかりの迫力を秘めていた。
「その目つき! 気にいらねえなぁ!」
兵士の中の1人に再び腹を強く蹴られ、痛みで思わず呻きうずくまるリツ。
周囲に嘲笑う声が響く中、遠くから駆け足でやってくる音がぼんやり聞こえた。
「貴方たち、何をしているのですか?!」
インペリアル・トパーズの髪が、逆光を浴びてまぶしく煌く。
「やべぇ!生真面目上官だ!ずらかれ!!」
ばたばたと、リツを置いて逃げ出す兵士たち。
「何てことを……!!
大丈夫ですか? しっかりして下さい!!」
兵士たちが慌てて走り去った後、地面に転がる傷だらけのリツに駆け寄ったのは。
悲しそうな表情を浮かべた、ブリューゲルだった。
暖かい湯気を感じ、再び目を覚ましたリツは、今自分がどこに居るのか全く分からなかった。
周囲を見渡すと、貴族の家のような雰囲気であるが、内装がフォルクマールの家のものとは全く異なっていた。
ぬくもりのあるオールドローズの色の壁紙、光を通す薄いシルクのカーテン。
気付くと、傷を受けた腹部や胸のあたりには、薬草の湿布が貼られ、包帯が巻かれていた。
汚れは丁寧に拭き取られ、破れた制服は新しく新調されたシャツに変わっていた。
驚いたリツが周囲をきょろきょろと見回していると、扉が静かに開く。
「気付きましたか……! よかった……!」
お湯を注いだ洗面器とタオルを持ったブリューゲルが、少しほっとした表情でやってきた。
「あまりにもひどい傷だったので、貴方を私の一存で連れて来てしまいました。
突然の非礼をお許しください」
リツが寝ているベッドの隣にある椅子に腰掛け、笑いかけた。
「貴方は……確か……」
「ブリューゲル・フォン・ローゼンベルガー。 帝国軍の一将校です」
何度かフォルクマールの話に出てきた人物だという事を、リツは名前を聞いてから思い出した。
議会で持論を熱く展開するというから、どんな生真面目で厳格な人物かと思っていたが、
話で聞いていたよりも、意外と穏やかそうな人物像で、リツは驚いた。
「俺は……」
「名前は聞かなくても存じ上げていますよ。青い炎の使い手、リツといいましたか」
名前を明かさなくても、既に身分が明るみに出ていることに気恥ずかしくなり、リツは口ごもる。
「……ひどい扱いを、受けていたのですね」
「何故助けた」
目を伏せて悲しそうな顔をするブリューゲルに、リツは問いかけた。
「俺は捕虜出身だ。あのような扱いは仕方ない。
逆に俺みたいな者を助ければ、あなたが不利な立場になるのではないか」
「貴方を心配してくれる人は、居ないのですね」
ブリューゲルにそう悲しそうに言われて、リツは思わずフォルクマールの顔を思い浮かべ
すぐに消し去った。
「俺は帝国兵だ。自分の身は自分で護る。」
「貴方が思っているより、周囲の圧力は大きいものなのですよ。
このままでは、貴方が潰されかねない」
「何故だ。何故見ず知らずの他人にそこまで必死になれるんだ」
「今にも倒れそうな目の前の相手を助けようとするのに、理由が要りますか?」
穏やかに、しかしはっきりと、笑顔でブリューゲルは言い切った。
「貴方の背中には、『寂しい』って書いてありますよ。
ずっと、1人で耐えてきたのですね。」
ぽろぽろと、リツの瞳から涙がこぼれた。
こんなに優しくされた事は、今まで無かった。
はじめて優しくされた事への戸惑いと、今まで1人ぼっちだった孤独への寂しさと
気遣ってくれる優しさへの感謝が、一度に溢れて流れてくる。
ブリューゲルは暖かいタオルで、涙で汚れたリツの顔をそっと拭き、肩をぽむぽむと叩く。
本を抱えて渡り廊下を歩くフォルクマールに、駆け足で近づく者がいた。
「フォルクマール!! 貴方、リツに対しての仕打ちを分かっているのですか?!」
いつになく声を荒げて、フォルクマールに掴み掛かるブリューゲル。
そんな様子に、ざわざわと周囲の青年将校たちは遠巻きに眺めて、声を潜めて話し合っている。
「貴方から私に話だなんて、珍しいですね? ブリューゲル」
襟元を正して、静かにフォルクマールは口を開いた。
「場所を移しましょうか」
誰もいない夕暮れの図書館で、2人は話し合っていた。
「話を聞けば、リツの力を利用してのし上がろうだなんて噂が流れていますが
本気だったら、私は貴方に一言言わないと気が済みません」
「まさか、貴方がそんな根も葉もない噂話を信じているとでも言うのですか?」
静かな表情を崩さず、フォルクマールは淡々とブリューゲルの話を聞く。
「だったら、もっとリツに対して優しく接するべきです。
あの子は貴方の駒じゃない」
本棚の壁を思い切り叩き、ブリューゲルは声を荒げないように自分を抑える。
そして、深呼吸して、真っ直ぐにフォルクマールを見つめて言った。
「私は、貴方がそんな非道な人間だとは思えない」
それまで口を閉ざしていたフォルクマールが、ゆっくりと瞳を開いた。
「ただ優しくするだけが、優しさではないのですよ、ブリューゲル。
ここで私がリツを匿えば、一時的にあの子は楽になるでしょう。
しかし、闇で蠢く連中が、私やリツ、貴方を陥れようとしているのに何故気付かないのです?
どんな些細なことでも足がかりにし、口実をつけて死に至らしめようとするでしょう。
今は耐えて、時が来るのを待つのです」
「そうしているうちに、あの子が死んでしまってもいいのですか」
「貴方が思っているより、リツはずっと強い。
1人で、たった1人でですよ…… 孤独の中生きてきたのです」
そう告げるフォルクマールの冷徹な瞳の中に、一瞬青く揺らぐ炎を見たような気がした。
ブリューゲルは、一息ついて再び深呼吸する。
「……わかりました。考えがあっての事なのですね?
しかし、先日皇帝陛下が崩御されたばかり。情勢は不安定です。
足元を掬われないように」
「お互いに、ですね」
そういうと、薄曇りに覆われ消えそうな夕暮れの空を背に、フォルクマールは先に図書館を後にした。
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