「そういうことであれば、ユーリ軍佐の護送は貴方にお願いするしかありませんね、パイヴィッキ」


ウツセミは、残った人選を考えてそう言った。

だがその提案にも、案の定パイヴィッキは首を縦には振らなかったのだった。


「私だって、大事なヴィーゼが残ってるのよ! あの子を護らなきゃ……」


涙交じりに、必死にパイヴィッキは訴える。


パイヴィッキの友人であるヴィーゼも、人工精霊使いの実験に駆り出された。

手に入れた能力は弱い反面、精霊侵食が比較的弱く、自我を保てたパイヴィッキに比べ

強力な風の能力を手に入れた反面、ヴィーゼは精神侵食の影響をまともに受けてしまい、自我や記憶を失ってしまったのだ。

そんな友人を放っておく事は出来ず、ユーリの護送に同行する事を、パイヴィッキは頑なに拒んだのだった。


しかし、そんなパイヴィッキを、ウツセミは先程の人工精霊使いの青年たちと同等には見なかった。


「大事な友人を放っておけない貴方の事情は察します……しかし、マーキスやウォルターと違い、貴方は女子なのですよ。

 帝国軍の兵士への扱いは、貴方も分かっているでしょう。女子ならば尚の事。

 貴方を残す事には、賛成し兼ねます。」


「だな。帝国軍を一度裏切るんだ。反乱を起こした兵への扱いなんざ、酷ぇもんさ。

 もし残るとしても、相当な覚悟とハッタリが出来なきゃ、お前は残らねぇ方が身のためだ」


ウツセミの意見に、ウォルターも同調する。


「でも……」


それでも食い下がるパイヴィッキに、マーキスが肩に手を置き、真っ直ぐ彼女の目を見て頼み込んだ。


「大丈夫だ。ヴィーゼも博士と一緒に、俺たちが必ず目を覚まさせてやる。

 俺たちの代わりにユーリおじさんを護れるのはヴィッキー、お前しかいないんだ。

 これは、俺たちだけでなく、マロンの願いでもあるんだ……頼む」


マーキスの最後の一言は、切実さを含んでいた。

ユーリ軍佐を無事に逃がす事……それは、あの光を受け取った者ならば痛い程に分かる、彼女の願いでもあった。




3人の説得に、暫く黙り込んでいたパイヴィッキだったが、ぐいと涙を拭ってから、漸くその首を縦に振った。


「……うん、分かったわ……必ず、ユーリ軍佐を、安全な所に連れていくわ。マロンちゃんとの約束だもんね……!」


まだ涙を滲ませていたが、パイヴィッキは胆の据わった、覚悟を決めた眼差しだった。


「決まったみたいだね。じゃあ、ボクと一緒にこっちに来てもらおうか」


彼らのやりとりを見て、ジーナがウランツィスカを率いて、竜舎の一角へと皆を誘導する。

気絶したユーリを、ウツセミと一緒にフランツィスカに乗せて、その首とユーリの胴体に革のベルトをしっかりと取りつける。

その後ろに、マーキスに手を貸されてパイヴィッキが恐る恐る乗った。


ワイバーンから見上げる景色は、普段より視点が高く、吹き付ける風が冷たく感じる。



「大丈夫。しっかりと彼に掴まっていればいいよ。安全な着陸地点を、彼が探してくれる。

 帝国の外までは行ってくれる筈さ。

 ただ、その制服だ。警戒される事を念頭に置いておくといい。キミの説明次第だよ。」


ジーナの説明に、力強くパイヴィッキは頷く。

国外に逃亡する、という事に大きな不安が無い訳ではないが、彼女はもう涙は見せなかった。


やがて、フランツィスカはその羽根をゆっくりと羽ばたかせ始める。

ふわりとひとつ空気が揺れると、その骨ばった胴体が浮き上がる。

慣れない飛行に振り落とされまいと、パイヴィッキは手綱を握り、しっかりとフランツィスカにしがみついた。


「ユーリおじさんを、頼んだぞ……!!」

「えぇ! 兄さんたちも、気を付けて……!!」


ヒュウ、と風を切り、大きな翼をはためかせて、フランツィスカはパイヴィッキとユーリを乗せ、上空へと飛んでいく。

あっと言う間に、見送る5人が豆粒のように小さくなっていく。声も次第に耳に届かなくなる。

曇天の中2人と1匹は、遠い空の彼方に飛び去って行ったのだった。





「さて…… 彼の飛行速度は騎竜部隊のワイバーンの中でも随一だ。恐らく追いつかれるという事はまずないだろう。

 国境警備の部隊に妨害されない限り、そのまま国外へ脱出できると思う。そう願うよ」


ジーナはそう言い、上空を遥か見つめて祈りながら、彼らを見送った。

そしてユーリたちが飛び去った後、残された5人は、現状を踏まえ、己がすべきことを模索する。


「ユーリ軍佐を逃がす事にはおおむね成功した。キミたちの協力のお陰だよ……ありがとう。

 あとは、ボクらの戦いだ。キミたちは、これ以上は手出し無用だ。」


精霊使いたち3人に釘をさすジーナだったが、リツが反論する。


「そういう訳にはいかない。今戦っているブリューゲルは、俺たちを追手から護る為に陽動を起こした。

 ならば、俺も助けにいかなければ……」


食い下がるリツに、ジーナも声を荒げて彼を留めようとする。


「相手は将軍2人だぞ! いくら強力な炎の使い手であるキミでも、彼らは強すぎる。

 2回も命令違反をしたんだ。反乱分子として捕らえられ、処刑されるのがオチだ!」


厳しい眼差しをしていたが、やがてその眼差しは揺らぐ。

ジーナは両手をリツの方に乗せる。そして悲しそうにリツを聡して、頭を下げる。


「ここまで協力してくれただけでも、ほんとうに感謝してもし切れないよ……

 だからお願いだ……今度はボクたちの言う事を聞いてくれ。キミを護らせてくれ……」


彼女の両手は震えていた。涙を浮かべて、ジーナは言葉を紡ぐ。


「もう、誰かが犠牲になるなんて、ゴメンなんだよ……

 大好きな皆を、これ以上死なせたくないんだ……」



すると、ジーナの手をリツが掴む。その手の予想外の力に、ジーナは驚いた。

リツも涙を流していたのだった。


「……それは、俺たちだって同じだ。

 お前たち兄妹は、率先して自分を犠牲にしようとする。その覚悟の上で行動している。

 大事な者を護りたいという思いの強さは、こっちだって同じだ。

 俺は、俺たちは、自分の意志でお前たちと行動を共にし、戦いたいと思っているんだ。

 今苦戦しているブリューゲルを助けに行かないなんて、俺には出来ない。

 例え捕まったとしても、罰を受けてこの命を奪われたとしても、ここで立ち止まっている訳にはいかないんだ」








「ならば、いっその事、皆で捕まるがいい」



冷たい声が響く。


5人が振り返ると、そこにはボロボロになって枷を嵌められたブリューゲルと

部下を引き連れたグスタフ、クレメンスの2人の将軍の姿があった。


「ブリューゲル様!!」


ウツセミが思わず叫ぶ。彼は鎖鞭と剣でつけられたであろう傷を全身に受け、息も絶え絶えに

今にも絶命しそうな程弱っていたのだ。鉄の枷がはめられ、自由に身動きする事も出来ない。

2人の将軍との戦闘の末に敗れ、捕らわれの身となってしまったのだ。



「ようやく目にすることが出来たな……影武者とスパイよ。よくこの帝国内を掻きまわしてくれたものだ。

 貴様らの罪は、死に値する。」


怒りを込めて、グスタフは5人を睨みつける。


「落ち着きなさい、グスタフ。

 ブリューゲル将軍とその手下たちに告げましょう。貴方たちには国家反逆罪がかかっています。

 国家の為の実験に指名されたユーリ軍佐を差し出すどころか、あろうことか

 国の貴重な兵力である精霊使いたちを唆して彼の逃亡に手を貸した。

 その罪が如何程のものか、想像出来ないって事は無いでしょうね。

 皇帝陛下直々の命を、貴方たちは踏みにじったのよ。その罪の重さは万死に値します。」


クレメンス将軍は鎖鞭を手に、絶体絶命の状態に置かれた5人に容赦なく罪状を言い渡す。



「何が国家反逆罪だ……!! 貴様らは皇帝陛下を言いくるめ、軍部や技術研究部も巻き込んで

 非道な実験の末に、この国の礎を築こうとしている。何が皇帝陛下の為の実験だ……!!

 大勢の人を犠牲にして作り上げた帝国の栄華など、呪われている!! 絶望の未来しかない!!」



「影武者ごときが偉そうに言わないで頂きたいわね。 この世は所詮力が全てなのよ。

 この実験が非道かどうかなど、勝者から見れば手に取るまでもない、他愛ない事。 弱い者が悪いのよ。

 刈り取られたくなければ、弱者を踏み台にしてものし上がることね。」


怒りをむき出しにして叫ぶジーナに、クレメンスは相手にするのも煩わしいとばかりにそっけなく言葉を返す。




「俺たちは、こんな腐った奴らに従ってたのか……」

「想像以上に腐ってるな、この国の上層部は」


2人のやりとりを聞き、マーキスとウォルターは心底胸糞悪そうに吐き捨てる。







そこに、丁度フォルクマールとリリアン、他何人かの司令部の将軍たちも駆けつけた。


「これは……」


目の前に広がるのは、かつて理想を掲げた青年が、傷だらけになりながら地に頭を付けた姿。

その誇り高き理想は、野蛮な力を前にして、地の底に堕ちてしまったのだ。



彼の到着を待っていましたとばかりに、クレメンス将軍は微笑みながら、フォルクマールにも疑いの切っ先を向ける。


「フォルクマール殿。貴方にも聞きたいことがありましてよ。

 確か、目の前にいるリツという精霊使いは、貴方が手塩にかけて教育したと伺ってるわ。

 彼は今回の反乱に協力し、大事な実験の対象である、ユーリ軍佐の逃亡に手を貸しただけでなく

 私たちに抵抗し、刃向かいました。……これは、貴方が差し向けたものでなくて?

 だとしたら、貴方への責任を問う必要があるわ。


 貴方は、精霊使いの有用性を説き、人工精霊使いの技術開発に携わっているわね。

 今回の反乱が、やみくもに力をつけた事によるものだとしたら、今後も不要な反乱分子を簡単に生み出す可能性があるわ。

 技術の開発をした貴方にも、その責任を負ってもらう必要があるわね。

 そもそも、彼らの思想を操って、洗脳したのではないかしら?」


「私の責任……ですか……」


クレメンスは、想像通りの台詞を吐いてきた。この展開はフォルクマールは想定済みだった。




一方、ウォルターとマーキスは、目の前にいる紺碧の髪の青年が、自らの力を伸ばす人工精霊使いの実験の提唱者だと聞くと、酷く驚く。


「あの人が……人工精霊使いの実験を始めた……博士と考えを共にする人……だと?」

「俺たちの能力を生み出した人だって……?」


「しっかしよ……洗脳だなんてばかげてる。んなもん受けてるわけが……!」

洗脳というキーワードに反応し、マーキスが反論しようとすると、ウツセミが黙って首を横に振り、それを激しく制する。

「今、貴方がたは、決して何も喋ってはいけません。この大勢の官僚たちを目の前にして、一言が、命取りですよ」





そんな中、クレメンスの問いかけにフォルクマールが答えようとすると、リツの回答がそれを遮る。



「……違う」



対峙するクレメンスとフォルクマール、そして他の者たちも、皆彼に視線を向ける。




「俺は、自分の意志で、ブリューゲルの考えに従った。

 何の罪のない孤児たちや、それまで軍に忠実に従ってきたユーリ軍佐を、命を失うリスクのある実験に晒し

 人間兵器として使い潰し続ける、争いの連鎖を止めたいと思った。

 だから彼の考えに共感し、命令に反して行動を起こした。全ての責任は俺自身にある」



リツ本人の思い。フォルクマールは今まで、こんなにはっきりと自分の考えを話す彼を見たことがなかった。

あの爆発に巻き込まれるまでは、命令に忠実に従うだけのリツしか見たことが無かった。

軍部に入り、様々なものを見て、様々な人と接してきて、彼自身の考えを深めてきたのだろう。


それはフォルクマールにとって、思いもよらない事であった。

しかし、兵士として感情を抑圧され続けてきたリツが、己自身の思いを開花させたのは、どこか感慨深いものがあった。



そんな思いに浸る暇も与えず、グスタフがリツの答えを鼻で笑う。



「ふん。甘い考えだな。帝国軍人としては甘過ぎて失格だ。

 だとしたら、フォルクマール、貴様の教育にも問題があるな。

 捕虜から兵士に転用したのは貴様だ。こうなる前に、思考をコントロールしないからこうなる。

 私のラズィーヤのように、徹底した思想教育をな」




その答えを聞くなり、ジーナは激昂する。

「貴様……!! 人を、何だと思っているんだ……!! 人工精霊使いたちは、彼らはオモチャじゃない!!

 1人の人間なんだぞ!!」


同胞をも躊躇なく簡単に殺そうとしたラズィーヤの様子を思い出して、ウツセミも瞳に怒りの焔が宿る。

「なんて残酷な事を……!」




しかしグスタフはそれを一蹴する。


「黙れ!! この強大なカーディレット帝国を永続させ続けるには、並々ならぬ覚悟と犠牲が必要なのだ!!

 人情や優しさなんて生ぬるい綻びが、盤石なこの国を揺るがせ、崩壊に導くのだ!!

 軍人として生きるには、そんな生易しい感情など、不要なのだ!!」


半ばヒステリックに彼は叫ぶ。




「とにかく、精霊使いたちを唆して反乱に導いた、フォルクマール、貴方の責任は重いわよ。

 私は諜報部から極秘に役目を任されています。つまり、私の言葉は皇帝陛下直々の言葉と思いなさい。

 貴方には厳罰を科さないといけません。もちろん、反乱に自ら加担した、この精霊使いにもね。」





「……違います」


クレメンスが処罰を言いつけると、それまで物言わずに鎖に繋がれていたブリューゲルが答えた。



「精霊使いのリツを唆したのは、私です。私が、彼に協力を依頼したのです」



ブリューゲルが語り始めた言葉を聞き、フォルクマールは目を見はる。

彼がそんなことを画策するはずがないという事は、今までの彼との付き合いからよく分かっていた。

それなのに、己の信条と真逆の事を話し始めるその意図……一体、どうして?

フォルクマールは、どうしても理解することが出来なかった。



彼を助ける為に反論するべきか、己の立ち位置を護る為にそのまま状況を見守るべきか。

考えあぐねたフォルクマールは何か言葉を発しようとするが、傷だらけのブリューゲルと視線が合った。

彼の目はまるでこう言っているようだった……『何も話すな』と。





「な!! 何を言い出すんだ……?!」


ブリューゲルの言葉に、驚くリツとジーナ。彼らの反論を遮り、ブリューゲルは説明を続けた。



「彼の強力な能力を目の当たりにして、私が味方に引き込めないかと画策したのです。

 フォルクマール殿の居ない時を見計らい、私は何度も彼とコンタクトしました。

 彼は素直な良い子だったので、私の話を簡単に信じ、協力にこぎつけたのです。

 他の人工精霊使いたちは、彼が協力を仰いだだけ。何も事情は知りません。」


「なっ!!?」


自分たちの無罪をも示唆するどころか、その罪をすべて被ろうとするブリューゲルに、人工精霊使いの2人も驚いた。


「ほぅ、それで……?」


予想しなかったブリューゲルの弁明を聞き、興味深そうにグスタフはその先を促す。


「陽動の為、リツに司令部に大規模な爆発を仕掛けるように命じました。その時、フォルクマール殿は司令部にいたので巻き込まれました。

 まさか、自分がいるのに爆発を仕掛けるような真似はしないでしょう?」


その問いかけに同調したのは、意外な人物だった。


「……そうだな。私はずっと彼の近くで仕事をしていたが、誰ともコンタクトを取っていないし、怪しい素振りは見せなかったな」


リリアンが、ブリューゲルの説明を肯定する。

彼女は軍部では冷徹無慈悲で通っている。また、誰ともつるむ様子は見られない事から、その証言の公平さが際立っていた。


その証言を聞き、顔を上げたフォルクマールはリリアンとも視線が合う。

彼女の視線もまた、ブリューゲルと同じ光を宿していた。『お前は何も話すな』と。



「そうだ。それまで司令部では、彼は誰とも接触する様子はなく、ただ淡々と仕事をこなしていたよ。」


司令部にいた他の官僚たちも、彼女の言を肯定した。



「そう……貴方たちがそう言うのなら、きっとそうなのかしらね……」

「うむ……その点に関しては、我々は反論出来ないな」


至極残念そうに、彼女らの言い分を受け入れるクレメンスとグスタフ。



「リリィ!! お前、裏切るのか……!!?」


ジーナは叫んだが、リリアンは彼女を見もしなかった。


「裏切るとはまた見当違いも甚だしい。私は貴様らの味方になどなった覚えはないぞ。」


怒りを顕わにするジーナに、リリアンは冷たく言い放つ。





「そういう事であれば、話は早いわ。つまりは貴方1人で謀反を企んだという事ね。

 無知な精霊使いをも巻き込んで、その罪の重さは言い逃れ出来ないわよ……

 ブリューゲル将軍、貴方を謀反の疑いで処刑します。異論はありませんね?」


クレメンスはそう告げ終えると鎖鞭を取り出し、グスタフは鋼鉄の剣を引き抜き、傷だらけで弱っているブリューゲルに突きつける。



リリアンは頑なな表情で、黙って目を閉じ続けている。フォルクマールもまた黙って眼前の様子を見守っていた。

クレメンスの呼びかけに、官僚たちは誰一人として言葉を発しようとしなかった。


今回の一件の責任を全て、目の前で鎖に繋がれている1人の青年が皆引き受けようとしている事に

皆何も言えず、黙している事しか出来なかったのだ。





「駄目だ!! やらせるか!!」


ようやくジーナとウツセミは駆け出すが、悲しい事にブリューゲルの居る所まではとても届かない。






しかし、刃に貫かれる前に、ブリューゲルはその眼に意志の光を宿らせ続け、彼らに問い質した。



「……ただ、貴方が全権を委任されているという諜報部の命令も、今の皇帝陛下のご意志ではありません。

 諜報部は皇帝陛下の従兄であるエドワード殿下の管理下。彼と皇帝陛下は、意見が一致していない筈です」



「ふふ、安心なさい。今に皇帝陛下の代替わりが行われるわ。

 今の皇帝陛下に近しい、邪魔な貴方を処分するのを、私たちは心待ちにしていたのよ……

 これで皇帝陛下は私たちの管理の元、完全にマリオネットとなるわ」


目的遂行を目の前にして、野心で満ちた眼差しで、彼にしか聞こえない声でクレメンスは呟いた。

暗闇で蠢く怪物たちが、その姿を晒した一瞬だった。



「なるほど……その言葉が聞けただけでも収穫ですよ。貴方たちが秘めている、邪な企みをね……


 ……皆、聞きなさい!! 帝国は今、愚かな野望に自ら滅しようとしています……

 ですが、それを妨げられるのは、貴方たち一人一人の心の中にあるのです!

 人道から外れた事に異を唱え続けなさい! 今の帝国は間違っているのだと!!

 ひとりだけでは何もできないかもしれません。ですが、希望を持ち続ければ、いつか必ず志を同じとする仲間が現れると!」



今まさに命の灯が消えそうな中、ブリューゲルの呼びかけは、妹に、志を同じくした影に、

歩む道を違えた幼馴染の女将校に、己を探し求めた異端の力を持つ兵士に、生き抜くために力を求める若者たちに、

末端の兵士たち1人1人の心の中にまで響いた。


もちろん、己の決めた道で生きようとし、その為には友の犠牲も厭わないと覚悟する、青年の心にも。




それまで何も言えず動けずにいたリツも、ブリューゲルの燃えるような瞳を見つめて、彼と共に共鳴する強い意志を感じた。

この鉄の国で為す術もなく、絶望に黒く塗りつぶされた未来を、打開する光を、確かに感じたのだ。


「無駄口を!!」


しかしその希望を、誰もが止める間もなく、鋭い刃が無残に斬り捨てる。

無抵抗に、ブリューゲルはグスタフに貫かれたのだ。

貫かれたその切っ先から、鮮やかな血が溢れ出す。




「兄さぁぁぁん!!」

ジーナが絶叫した。


リツも、人工精霊使いの若者たちも、声にならない叫びをあげる。



しかし、ブリューゲルの口元には笑みが浮かんでいたのだった。


「何故笑う……?」

訝しがるグスタフに、ブリューゲルは最期の抵抗とばかりに、とんでもない事を言い放った。


「……貴方が貫いたのは、ブリューゲルの影に過ぎない。

 私は彼を護る空蝉。本来のブリューゲル・フォン・ローゼンベルガーは、あちらにおられる方です!!

 彼が生き残る限り、皇帝陛下を助け、いつかこのカーディレット帝国を正しい方向へと導くでしょう!!」



「な…に……!!?」

「あちらが本物ですって?!」


グスタフとクレメンスは目の前にいる血飛沫を上げた方と、向こう側に居る方を見比べる。

どちらがどちらか、非常によく似た2人に、区別などつかなかった。


「えぇい、小賢しい!! どちらにせよ、どちらも反逆罪である事に変わりはないのだ!!

 どちらとも処刑してしまえ!!」


声を荒げるグスタフ。



「ウツセミ、逃げるんだ!!」

「御意!!」



「逃がさないわよ!! 貴方たちは帝国の情報を持ち過ぎているのよ……!!」


一方、慌てたクレメンスは、隠し持っていた銃でジーナとウツセミを狙う。

銃口がピタリとジーナを捉える。



「待つんだ、兄さん……ボクは貴方を護る為に……!!」


涙目で腕を振り払おうと抵抗するジーナに、ウツセミが怒鳴りかかる。


「兄君の御遺志を無駄になさる心算ですか!? 今は命あってこそです!!」


ウツセミがジーナを庇ったところで、鋭い弾丸の音が響き渡った。





弾丸の薬莢が地面に落ちる甲高い音の後、2人の姿は虚空に消えていた。




「残念、逃がしてしまったか……」

グスタフは歯噛みする。


「問題ないわ。この血の量、御覧なさい。逃げた方など、どこかできっと野垂れ死ぬわ……」


そう満足そうに言い捨てるクレメンスの前には、返り血が、彼らが逃げた後の場所に広がっていたのだ。




彼らが逃げ去ったのを見守ってから、ブリューゲルは微笑みながらその瞼を閉じる。


「無事に逃げてくれると良いのですが……

 そして皆、私に力が及ばない余り、巻き込んでしまって申し訳ありません……

 ですが、希望を失ってはいけない。きっと貴方たちならば……」


尚も自分を慕う者たちの行く手を案じながら、ゆっくりと膝をつき、ブリューゲルは倒れた。






暫くの間、誰も動けずにいた。まるで時が止まったかのようだった。







すると、1人の咆哮が、沈黙を引き裂いた。

蒼い火柱をあげて、リツが叫んだのだった。


「言いがかりだ! 根も葉もないデタラメだ!! 俺は自分の意志で彼に共鳴したんだ!!

 ブリューゲルは俺を護る為、あんな嘘を……!!

 彼を死なせてしまい、こんな所で人間兵器として使われ続けるならば、いっそ俺も一緒に処刑してくれ!!!」


涙を流し叫ぶリツは、誰も手がつけられない程発狂して魔法を乱発していた。

すると、それまで黙していたフォルクマールが前に出て、幻惑魔法の一種、睡眠魔法をかける。


「フォルクマール、何を……?!」


「貴方の証言は、もはや何の役にも立たないのです。

 今、貴方は正気を失っている。暫く眠り、頭を冷やしなさい……」


強烈な眠気に覆われ、ゆっくりと眠りに引き摺られていく中、リツは悔しそうにフォルクマールに向かい尚も訴え続ける。


「どうして……お前は落ち着いて居られるんだ……!!

 彼は、自分を犠牲にして、俺も、お前も、皆護ったんだ……!! どうして涙ひとつ流さないんだ…………!!?」



強制的に眠りに落とされたリツを、兵士たちが運んでいくのを眺めながら、フォルクマールは呟いた。



「人目を憚らず、泣けたらどんなに良かったか……

 涙を流す自由さえ、私は自分から奪ったのですよ……果たすべき目的と引き換えにね」







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