暗く湿った地下牢で、リツ、ユーリ、パイヴィッキ、マーキス、ウォルターの5人は、
絶望的な状況の中、誰も何も物言わず、ただ俯いて顔を伏していた。
そんな中、地上の光さえ届かない筈の地下牢に、ぼうっと淡い若葉色の燐光が浮かぶ。
それは初め、目をよく凝らさないと見えない程の僅かな光だった。
淡い光の球はふわふわと浮かんで、ゆっくり宙を泳ぎ、5人の前にやってきた。
その不思議な光の気配に気付き、パイヴィッキが顔を上げる。
「……? なぁに、これ……?」
パイヴィッキは見た事もない光の球に少し驚いて、隣で不貞腐れていたマーキスに声をかける。
「ね、顔上げて……変なのがいるよ……?」
「なんだよ……ネズミでも居たってのか……?」
「違うの。そんなんじゃないわ……これ、何かしら?」
腕を掴まれ揺さぶられて、少し面倒そうに答えたマーキスだったが、パイヴィッキに言われるまま顔を上げ
目の前にあるふわふわした光の球体に気付くと、目をまん丸に開けて、驚いたのだった。
「な、何だこりゃ!? お、おばけか……?!」
「うるせぇな、黙って捕まっていられねぇのかよ、お前ら……」
「……敵襲か?」
「どうしたのかね、そんなに素っ頓狂な声を上げて」
騒がしくする2人に、壁の端に凭れていたウォルターや、膝を抱えて蹲っていたリツ、ユーリも次々と起き出す。
そして、ふわふわ浮かび続ける謎の光の球を見るなり、誰もがその不思議な様子に言葉を失うのだった。
「なんだこれ……」
5人を淡く照らす、若葉色の光。
彼らはその淡い光の前に立ち尽くし、じっとその場に浮き続ける様子を見つめていた。
5人が見守る中、浮かび続ける光の球から、木の葉が擦れ合う程の、微かな音が聞こえてくる。
最初にそれに気付いたのは、リツだった。
「何か聞こえる……」
「え? 何にも聞こえないよ?」
「静かに……じっと耳を澄ませて……」
リツに言われるまま、4人は目を閉じて耳に神経を集中させる。
光の中から、無邪気で柔らかな、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
かと思えば、水の流れる音が聞こえたかと思うと、次にはパチパチと弾ける焚き火の音もする。
鳥の鳴き声、飛び立つ時の空を切る風切羽の羽音、風が木の葉を揺らす柔らかな音も聞こえる。
移ろいゆく音を奏でるその光は、いつかどこかで聴いたような懐かしさを5人に感じさせていた。
すると、光の球は瞬いたかと思うと、突然5つに分裂したのだった。
驚く間もなく、各々の傍に寄ってきて、周りをくるくると飛び始めた。
パイヴィッキがおそるおそる手を差し出してみると、周りを飛んでいた光が緩やかに降りてきて
ゆっくりと掌の中に納まったのだった。
暖かな光が手に触れたその瞬間、彼女の目から、一筋の涙が零れ落ちた。
「!! 兄さんたち、これ……」
彼女がそう言うや否や、振り返ると、そこには驚くべき光景が広がっていたのだった。
誰もが、涙を流している。
いや、正確に言えば、涙を流していたのは、ユーリを除く4人だった。
リツは、瞳から零れ落ちるままに、淡々と。
マーキスは、震えながら拳を握りしめて。
ウォルターは、目頭を押さえながら、溢れる涙を抑えきれずにいた。
「いい……何も言わなくていい……」
手を挙げ、マーキスはそう言った。
やがて、5つに分かれていた光は再び集まり、ふわふわと浮かび上がって
戸惑っているユーリの前にやって来て、2、3回瞬いたかと思うと、
薄闇の中、静かに消えていったのだった。
再び暗闇となった牢獄の中、静寂が5人を包む。
その静寂を破ったのは、牢獄の上から聞こえてくる、階段を下りる複数の軍靴の音だった。
騒々しい音が近づいてくる中、ゆっくりと口火を切ったのはマーキスだった。
「おいウォルター、お前、走れるか……?」
「分からねぇ……だが、限界までやってみるぜ」
「そうだよなぁ、その腕じゃキツイよな……よし、待ってな」
シャツの袖を破いて、骨折した右腕に巻き付けて動いても支障が無いように応急処置をする。
ウォルターは腕の痛みに堪えながらなんとか起き上がった。
「……これだけでも大分助かる。サンキュー」
「あぁ。リツも、ヴィッキーも、何が言いたいか分かるな……?」
主語が欠落した呼びかけを、先程とは違う意志の灯った眼差しで、2人はしっかりと頷いた。
「道案内なら任せろ。ここから場所も近い。 騎竜部隊……おそらく、あそこに行けば、何匹か居る筈だ。」
「さっすがだな、リツ! 城内が詳しい奴がいて助かるよ」
「まぁ、乗りこなせるどうかは全くもって保証はないがな」
「……? 何の話をしているんだい、4人共?」
さっぱり分からないといった様子のユーリに、パイヴィッキが小さく、しかししっかりとした口調で答える。
「大丈夫です、私たちに任せてください。
ここに制約結界が張っていなかったのが、不幸中の幸いね。」
「怪我人がいるからって油断したんだろ。後悔させてやるぜ」
やがて、地下牢の前に何人かの監視兵がやってくる。
扉を開け、銃剣を構え、5人を前にして大声を張り上げて威嚇する。
「動くな!! 貴様らをこれより、この地下牢から実験棟へ護送する!」
監視兵たちが、彼らに手錠をかけようとしたその時。
「今だ!!」
一斉に、4人は各々に精霊魔法を放つ。
リツは強力な炎で兵士たちを退け、マーキスは眩い光を放って兵士たちの目を眩ませた。
ウォルターは氷の柱で兵士たちの足を地面に縛り付け、パイヴィッキはつむじ風を起こして兵士たちの武器を飛ばし
出口までの道を作る。
「おじさん! みんな、走れ!!」
「えっ、き、君たち?!」
「いいから、一緒に走ってください!!」
兵士たちが怯んだ一瞬の隙をついて、困惑するままのユーリを背中から押し、5人は地下牢から逃げ出した。
・
・
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しとしとと小雨が降り始める中、ブリューゲルは眼前の光景を、まだ現実と受け入れることは出来なかった。
よく見知った、ユーリの娘のマロンの死。
あどけない笑顔が愛らしい少女の、無残な最期。
しかも、それをもたらしたのが、ユーリの友人である筈のブロンデー博士だという現実。
それらの事実は、ブリューゲルにとって簡単に受け入れられるものではなかった。
マロンの躯は、まるで実験に失敗したモルモットを破棄するかのように
麻袋に乱暴に放り込まれた。
帝国の為に殉じたにも関わらず、彼女の命に対して、その扱いは敬意の欠片も感じられなかった。
ブロンデー博士だって、恐らくこの実験は不本意なものだったのであろう。
しかし、強大な権力を前にして、自身の命を脅かされない代償に、有無を言わさず非道な実験に
2つ返事で答えさせられるように仕向けられたのであろう。
それは、何と残酷な現実か。
呆然自失として眼前の状況をただ見つめるだけしかなかったブリューゲルに、
現実はそんな暇さえ一時たりとも与えようとはしなかった。
先程クレメンス将軍が放った言葉を聞き、耳を疑う。
あの実験の失敗の代わりに、彼女の父親を使う……だと?
あれだけ酷な事をしておきながら、帝国は反省をする素振りの欠片もなく
更に帝国によって命を奪われた少女の父親までも、その手にかけようとしている。
今まで、皇帝の為だと信じて、その命を果たしてきた。
例えどんな非道な命令だろうと。
それが、帝国を善い方向へ導くためだと、己の倫理に反する事だとしても
涙をのんでその命に従って生きてきた。
出来るならば、まだ幼い皇帝を、権力争いなどという空しい闘争から遠ざけるべく
大事な人々を護るべく、己の正義を信じ、行動してきた。
しかし、それらは無駄骨に終わる。
護りたかった筈の、大切な友人たちのその命を、帝国は軽々しく奪っていく。
「私は、何の為に戦ってきたのか……」
降りしきる雨の中、ブリューゲルは拳を固く握りしめる。
「さて……ユーリ軍佐の所までご案内頂きましょう。貴方たちも一緒に同行なさい」
そこに、1人の兵士が報告にやってくる。
「報告します! 監獄棟に収容されていたユーリ軍佐はじめ、一緒に捕らえられていた人工精霊使いたちが
共に反乱を起こし、逃げ出した模様!」
兵士の報告に、クレメンス将軍は唇を噛み、こめかみをピクつかせ、青筋を立て感情を顕わにする。
「余計な事をしてくれるわね…… 直ちに収束に向かいなさい。
私も現場へ向かいます。 ユーリ軍佐まで失ってしまっては、この実験は成り立たないのよ……!」
すると、隣で控えていたグスタフ将軍が、苛立つクレメンス将軍の一歩前に進み出る。
「私が向かおう。何、手ぬるい連中だ。もののすぐに始末をつけてくれよう」
「貴方程の手練れならば、簡単に収束出来るんでしょうね?」
「無論だ」
マントを翻し、ブーツの冷たい足音を響かせ、グスタフ将軍は彼らの元に向かっていく。
反乱の意志を示し、ユーリとマロンを密かに逃がしたリツたちを拿捕したのは、グスタフ将軍だと聞いていた。
このまま彼を向かわせてしまえば、またリツたちは志半ばで捕らえられてしまう。
2度に渡り反乱を企てれば、いくら希少な精霊使いと言えども、彼らは反乱分子と見なされ、極刑は免れない。
優しいユーリも、非道な実験や訓練を重ねながらも、未来を信じて力を身につけてきた少年たちも、
このままでは、絶望の中その命を終わらせることとなってしまう。
このままでは、帝国の未来は決して変える事は出来ない。
「……待ちなさい」
先に歩もうとするグスタフ将軍と、その後ろから歩き出したクレメンス将軍が、ふと足を止めて振り返る。
少し離れた場所から、雨に打たれて1人黙して佇んでいたブリューゲルが、静かに呟いた。
懐に下げていた、白銀に光る騎士剣を引き抜き、その切っ先を2人に向ける。
「貴方たち2人を、ユーリ軍佐の元に向かわせるわけには参りません」
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