リツとパイヴィッキの協力の元、マーキスとウォルターは監獄牢からこっそり忍び出す事が出来た。
監視兵はついていなかったし、鍵が厳重にかかった監獄牢からまさか出る事が出来るとは、誰も思っていなかった。
誰の目にもつかないように注意しながら、4人は慎重に歩みを進めていく。
そして、とある廊下の分岐点に差し掛かると、リツが話しかけた。
「ここから先が、上層部の人間が居るエリアだ。俺はある人物と話をする為、こちらに向かう。
パイヴィッキとマーキスは、追手たちより先にユーリとマロンを助ける為に、この抜け道から第17訓練所へ向かってくれ」
3人よりも長く帝国軍で過ごしていたリツは、3人よりも建物の構造や、軍の上層部の人間も知らない
抜け道に至るまで、熟知していた。それが今回、皆の助けになったのだった。
リツの指示に、パイヴィッキとマーキスは黙って頷く。
そしてリツはウォルターの方に向き直る。
「ウォルター、お前は確か、会いたい人物が居ると言っていたな」
「あぁ。ダメ元ではあるが……もしかしたら、話を聞いてくれるかも知れないと思っている人間が居る。」
「くれぐれも、見つからないように注意するんだぞ! ま、俺もだけど」
「分かっている。無茶はしねぇよ」
マーキスが激励すると、ウォルターはにっと笑って答えた。
「ここで分かれるが、大丈夫だ。すぐに話をつけて、俺たちは必ず追いつく。
ユーリとマロンは、俺たちの手で助け出そう。」
「あぁ!」
「皆、気を付けて行けよ」
「私も、出来る限りの事はするわ! 頑張る!」
先の見えない暗い廊下を見据え互いに励ますように、リツとパイヴィッキ、マーキスとウォルターはそれぞれ拳でサインした。
4人はそれぞれの役目を果たす為に、分岐点のその向こうへと、各自分かれていった。
ウォルターは、無人の廊下を1人進んでいた。
無機質な色、全く飾り気のない壁。 ひっそりと静まり返った上層部の建物は、とても寒々しいものだった。
時折人の気配を感じると、曲がり角に早めに差し掛かったり、来た道を戻り、身を隠してやり過ごす。
あちこちに複雑に分岐点があるのが幸いだった。
なるべく自分の靴音を消して歩いては居るが、誰も居ない分身動き一つでも物音がしないか神経を尖らせた。
広い廊下の中、自分1人だけという孤独感が、やけに意識される。
「……今まで、1人ぼっちなんて、ちっとも平気だったのにな……」
寂しさ、心細さを無意識に感じてしまっている自分に、ウォルターは自虐的に笑う。
いつからだろう。1人を寂しいと思うようになってしまったのは。
第17訓練所で出会った、幼馴染のマーキスとシン、寮父のユーリ、娘のマロン。
ブロンデー博士に、リリアンにジーナ、訓練所の仲間たち。配属された製鉄発電所の同僚たち。
そして今在籍している精霊使い部隊の仲間であるリツやパイヴィッキの顔が、次々と浮かび上がってくる。
今まで出会ってきた人々を思い返して、改めて認識する。孤独から救ってくれたのは、彼らだと。
「あいつらだって、きっとうまくやるさ。 俺も、しっかりしねぇと……」
そう自分を鼓舞し、先の見えない廊下を無言で進んでいく。
リツから教えて貰った通りに進んでいくと、とある部屋に辿り着く。
その部屋の在籍者の立て札に、よく見知った人物の名前を見つけて、ウォルターは少し安堵した。
リリアン軍佐。立て札には、そう書いてあった。
札は表を向いている。在室を示すサインだ。
少し呼吸を整えて、ウォルターは意を決して、ノックをしようとした。
しかし、その直前で、部屋の中に誰か他の気配を感じ取った。
部屋の中から、話し声が聞こえ始める。
ウォルターは周囲に注意しながら、そっとドアに耳を近づけて中の様子を伺った。
「……よくここにやって来れたな。その容姿のおかげか。
お前は所詮、兄という存在を笠に着てでないと何もできないのだろう」
リリアンは冷たい声で、目の前に居る人物に向かって言い放つ。
「生憎、ボクはその生まれから、軍隊に所属する事も、議会で何かを言う権利も与えられていないからね。
けれど、おかげでボク本来の立場では見えない事が、兄さんの立場を借りて見る事が出来ているよ。
本当の事を周りにバラさないで居てくれる事に関しては、感謝するよ、リリィ」
棘ある言葉にも全く怯むことなく、かつての友人に話しかけているのは、ジーナだった。
その姿は兄と全く同じで、上級職のみが着用を許される紅のトレンチコートの制服に身に包んでいた。
「勘違いするな。別にお前を助けている訳ではなく、お前がどういう行動をしているのか逐一観察するためだ。
私はブリューゲルとお前を見分ける事が出来るからな。
ネズミと同じだ。一匹を捕まえてしまえばそれで終わりだが、ねぐらを暴くには印をつけて泳がすのが丁度良い」
「ははっ、ボクはおとりという訳か。 鉄面皮の女将軍さんは食えないねぇ」
「何とでも好きに言え。
……こんなところまで何をしに来た。もし見つかったら、ただじゃ済まないのは分かっているのだろう。」
帝国軍内で呼ばれている自分の今の呼び名を、皮肉で言われた事にもリリアンは全く動じず
ジーナがここに来た理由を問い質した。
「キミは、既に分かっていると思うけど?」
「憶測では物は言わない主義だ。答えろ」
ふるふると頭を振り、ジーナはきっとリリアンを鋭く睨み、質問に答える。
「じゃあ答えよう。
マロンが人工精霊使いの実験に召集された。しかも、召集を拒んだ場合、精霊使い部隊による拿捕も許可された。
部隊を動かすには、司令部の将軍たちによる審議の元、許可が必要になる事は知っている。
その拿捕の許可を、キミが出したってのは、どういう事だ……?」
睨みを利かせて、リリアンを見据えるジーナ。
その眼差しは、信じがたい、いや、信じたくない……嘘であって欲しいとでも願っているかのようだった。
しかし、リリアンはその期待を裏切る言葉を吐いた。
「審議に異議を唱えなかったのは事実だ」
「何故だ!! キミはかつて、ユーリとも親しくしていたし、マロンを妹のように可愛がっていたじゃないか!!
彼らを追い詰めるような命令なんて、出す筈が出来ない。違うか!?」
信じまいと叫ぶジーナに対し、目の前に佇むリリアンは眉ひとつ動かさず、微動だにしない。
黙って軍帽を目深に被り、じっと立ちジーナの言葉を聞き続けている。
「本当に、変わってしまったのか……?
ユーリとマロンの事について、キミは本当に同意したのか……?
キミはそんな人間じゃなかった筈だ」
まだ疑うような、信じたくないような眼差しを向け、それまでの感情を抑え、ジーナは静かに尋ねた。
すると、リリアンはジーナから視線を外さず、眉根一つ動かさずに冷たく言い放った。
「今の私は、かつての私とは違う。お前とは立場が違う」
まるで、突き放すような言葉だ。
「お前に、私の何が分かる。
いいか。ここは甘い事は言っていられない世界だという事を、いい加減お前たちは自覚した方がいい。
お前の兄もそうだ。お人好しで、いつも無茶ばかりする。進んで矢面に立とうとする。
周りは敵ばかりだというのに、今も自らの主張を決して下げようとしない。
状況を読んで、それに柔軟に対応する賢さも少しは身に着けたらどうだ」
冷静に淡々と話すリリアンに苛立ちを隠せず、ジーナも言葉を荒げて反論する。
「この帝国の状況に合わせるだって? 敵にまで足並みを合わせてどうするんだ。
ユーリとマロンは、ボクらが幼いころからお世話になった大事な人たちだ。
それを、軍の都合で、あんな非道な実験に差し出すなんて……キミの心は、完全に鉄になってしまったのかい?
分かっているだろう。最近の帝国軍がどんどん無謀な侵略に走っている事を。
これ以上、帝国による犠牲者を増やしちゃいけないんだ。
彼らを助けられるのは、ボクらだけなんだ。 ……大事な人を護れず、何が責任ある立場だ!」
机をダンと叩き、ジーナはリリアンを見つめ、ありったけの感情を込めて叫んだ。
すると、リリアンも次第に声が震え始める。
「私が、その決断を悲しまないとでも思っているのか……? 言いたい事を自由に言えるお前たち一家とは違うんだ。
ここまで来るのに、私がどれだけの思いをしてきたのか分かるか……
私は、責任を果たし続けてきた。家の言う通りに従ってな……軍部に入っても、後ろ盾のない私は
あらゆる事を切り捨てた引き換えに、この地位まで上り詰めた!!」
「大切なものまで捨てて、大事なものを見失う事より、地位の方が大事なのか!!」
「お前のそういう所が、私は本当に大嫌いだ……!!
お前は昔からそうだ……自らの立場も、相手の立場も考えず、好き勝手な事を言う。
それは、責任を放棄した者だから言えることだ。お前は、自らの役割を果たすという責任感を持っていない。
何もかも投げ出して、逃げてばかりいる……
いいか、理想を説くには、その対価が必要だという事を知れ!!
重圧に何一つ耐えず、犠牲を払わず、苦しさから逃げてただ理想ばかり叫ぶだけのお前に
私の気持ちなど分かる筈もない!! 理想を説く資格などない!!」
リリアンは彼女にしては随分珍しく、ジーナと同じくらい感情を込めて叫んだ。
唇は震え、瞳は深い感情の変化に震え、拳は固く握りしめられ、わなわなと震えていた。
しかし、ジーナもリリアンの怒りに屈せず、彼女に訴え続けた。
「……ボクの責任だって? じゃあ、大人しく家のいいなりになって、どこかの誰か貴族なんかと結婚して
大人しく夫の言う事に従い続けるのが、ボクが果たすべき事だって……?
そんな事していたら、ボクが出来る事なんて何一つない!!
相手に従い続けるだけじゃ、何も変えられないんだ!! 自分から流れに逆らい、道を切り拓き、行動しなければ!!
だからボクは自分自身の意志で、今この姿でここにいて、キミと話しているんだ!!」
呆れたように、リリアンはため息をついた。
「まるで平行線だな……私とお前の話は」
「キミが折れるまでボクは説得し続けるよ」
「無駄だ。お前の意志が固いように、私の決意も変わらない。
それに、私1人が反対したところで、どうにもなるような話じゃないんだ。
この件に関しては、複雑な思惑が入り乱れている。一歩読み間違えると、1人の首だけじゃ済まない事態になる」
「複雑な思惑……?」
訝しがるジーナに、リリアンは忠告した。
「お前たちでは対処できない、帝国の闇だ。
悪いが私は、ユーリやマロン、お前たちに手を貸す事は出来ない。
お前も、この件からは手を引くんだ。いいな。
……衛兵!! 侵入者だ!! ただちに駆けつけろ!!」
最後に不可解な謎を残し、話を一方的に切り上げたリリアンは、声を張り上げて衛兵に侵入者の存在を告げる。
「リリィ……!! くそっ……」
そう悔しそうにジーナは呟くが、やってくる衛兵から逃れる為、リリアンを問い質す事も出来ず、
ただその場から立ち去る事しかできなかった。
1人残されたリリアンは、何も言わずに、ジーナが出ていった扉の向こうを見続けていた。
そして、廊下に積み重ねられた書類や資料の束の隅に隠れていたウォルターも、難しい表情を浮かべていたのだった。
一方、リツも、とある人物と対峙していた。
そしてその2人も、先程のジーナとリリアンのように、平行線談義を永遠と繰り返していた。
「……何故だ。理由を答えてくれ!」
「貴方に話す義務もありません。先程言った通りです。
この件に関しては、一切関わってはなりません」
目の前にいる長い紺碧の髪の人物は、弁明の余地も与えずに突き放す。
「この実験に一番関わっているのはお前なんだろう。ならば、中止を進言する事も出来る筈だ!
彼女は帝国貴族の娘だ。人工精霊使いの実験の対象とするには、相応しくない立場にあるんじゃないのか?!」
リツは怯まず、尚も目の前の人物に問いかける。
「少しは情勢を理解するようになってきましたか。成長しましたね。
ですが、この件に関しては特殊な事情が絡んでいるのです。帝国貴族の娘といえども、これは国の未来を左右する実験です。
被験者となる対象者も、今までのような誰でもいいという訳にはいかない。その素質が必要なのです。」
「それが、あの緑に愛された少女という訳か……」
「貴方も、彼女が精霊たちに囲まれている様子を見たのですね?」
「そうだ。あの孤児院には、暖かい光が満ち、優しい時間が流れていた。
だからこそ、彼女は、そして彼女の居たあの孤児院は、精霊たちが集まっていたのではないのか。
それを、壊すというのか……」
リツはマロンとユーリの穏やかな笑顔を思い出し、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……貴方は、少し彼らに感情移入し過ぎているようですね。
そのような状況であれば、冷静な判断など出来る筈もないでしょう。
もう一度言いましょう。この件に関しては、貴方は一切関与してはなりません」
「……お前は、何の為に戦っているんだ」
ふと、ぽつりとリツが呟く。
「俺は、この国で生きてきて、色んな人間と出会ってきた。
出会ってきた人々は、それぞれ心の中に己の信念を持ち、信念の為に生きていた。
大事な人物の為に戦う人物、己の望みのまま生きる人物、流されまいと今の現状の中懸命に抗う人物……
それぞれ、己の中に大切にしたい想いがあったんだ。
俺は今まで空っぽだった…… ただ言われるがまま、流されて生き続けてきた。
だが、今は違う。 この帝国で行われている事がどんなことなのか、少しずつだが分かり始めた。
人工精霊使いの実験の事、俺のような孤児が実験台として駆り出されている事……
それを引き起こしているのが、帝国による侵略という事。
俺は、あの優しい親子を護りたい。侵略戦争にこの力を使いたくない。それが、今の俺の気持ちなんだ。」
真摯な瞳のリツが、あのインペリアルトパーズのくせっ毛の青年の姿と重なる。
「まるで、どこかの誰かを彷彿とさせるような言葉ですね。
彼も、己が危険に晒される事も厭わず、信じるまま突き進むような人物でした。
……しかし、それでは危ういのです。貴方はもっと慎重になるべきですよ、リツ。
貴方はまだ経験も乏しく、思考も幼い。 貴方は、1人の意志で行動を起こせる権利をまだ持っていない。
一時の感情に流されるまま事を起こせば、簡単に刈り取られてしまう。辛抱するのです。」
しかし、リツは彼の答えに納得しなかった。そして再び問い質す。
「質問に答えていない。お前は何の為に、この国で戦っているんだ。
それは、ユーリやマロン、大勢の孤児、侵攻先の国民をも犠牲にしてまで、果たさなければならない目的なのか?」
その質問に答える目の前の人物は、かつて見たことが無い程に、冷たい眼差しを浮かべていた。
「……そうです。
誰を蹴落としても、犠牲にしようとも、私は自分の願いの為に、前に進む道を選択しました。」
「……!! そんな、誰かを犠牲にしてまで果たさなければ目的なんて、間違っている!!」
「手段を非難される事などは、とうの昔に覚悟がついています。
ここで立ち止まったら、今までしてきたことが、全て無駄になってしまう……」
「だからといって、これ以上犠牲を増やすのか!!
俺は……そんな事の為に、お前に育てられたのか……!!!」
リツはかつてない程に苦悩し、今まで育ててくれた目の前の青年に思いのたけをぶつけた。
「……そうです。 貴方がいてこそ、私は今の地位にいることが出来ているのです」
「……!!! 嘘だ……嘘だ、うそだうそだ嘘だッっ!!!!」
頭をかきむしり、否定の言葉を並べ立て、目の前の残酷な現実をリツは全力で拒む。
自分の存在が、ただ権力を手にする為だけの道具だったのだと、リツは思いたくなかった。
幼い頃にてんとうむしを眺めた日の記憶。言葉少ないが、彼なりの優しさを感じたあの日。
それを壊すような、彼の言葉は、リツには衝撃が大きすぎた。
『!! マスター、いけません!!』
リツの傍で見守っていたヴァンパータの忠告も空しく、膨れ上がった感情は魔力と共に暴発された。
蒼い炎が一瞬にして燃え上がり、彼の目の前半径100メートルを、吹き飛ばした。
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