柔らかな光を纏った月がゆっくり浮かび、草原や山々を優しく照らしている。
静かな夜風の下、澄んだ虫の声が響く。
昼間より少し涼しいためか、中庭に咲いた花はそのつぼみを閉じていた。
誰も居ない中庭に、リックスは1人で出てきて、天山の山々の上に広がる漆黒の夜空を眺めていた。
テワランの自然は本当に美しい。
こうして頭上に広がる星々が散りばめられた夜空も、空気が澄み渡っているおかげで
遠くの細かな星の囁き1つ1つまで、届けて貰う事が出来るのだ。
しかし、昼間ここで起こった事を思い出すと、リックスは心が冷え切ってしまうのを感じた。
自分を襲ってきたのは、まだ年若い隻眼の少年。
彼の、残されたあの眼は、機械を……そしてそれを扱う自分たちを、ほんとうに憎んでいた。
無理もない話だ。大事な家族や友人、隣人たちを奪ったのは、文明が進化した故に開発された毒や機械による暴力だからだ。
彼が叫んだ時、リックスはもう一度、思い出したのだ。
この国に正式に使者として派遣される前に、試験飛行でテワランにやって来た時の事を。
あの時も、カーディレット帝国の侵略から、襲われる住民たちを避難させようとして
臨時に着陸して誘導しようとしたが、その時も、住民たちからは罵声を浴びせられたのだ。
怒りと悲しみと恐怖に満ちたあの眼差しは、そう忘れられるものでなかった。
住民たちにとって、そしてあの少年にとっても、機械はまだ己を傷つける脅威でしかない。
そして、自分たちは、己を傷つける機械を扱う危険な人物、としか、彼らには映らないのであろう。
リックスには、父親に諭された、自分の信念があった。
機械や発明品は、人を傷つけたり、破壊ばかりするものじゃない
常に人の為に役になって欲しいと願いながら、自分たちはものを作り続けている
そう、心にひとつの旗を立てて、ものを作り、国を護る為に軍で働いてきた。
帝国をはじめとする侵略国は、機械を使って人を傷つけたり自然を壊したりしている。
自分たちは、それに異を唱える為に、立ち上がった筈だ。
そして、侵略に苦しむテワランを助け、共に進んでいこうと、あの日結束を誓ったではないか。
だが、共に進もうと手を差し伸べた、テワランの民にとっては、自分たちコリンドーネは、まだ恐れる相手なのだろう。
彼らは機械技術への恐怖が勝り、こちらの話を聞く余地も無いように思えた。
自分たちと同盟を結ぶ事を決断してくれた、多くの国民に慕われていたあの王太子のルトガーでさえ
自国民の怒りを抑えきれない様子だ。
やはりそれだけ、テワランの民たちの機械への憎しみは深いのだろう。
「こんなんで、本当にテワランの人たちと分かり合えるのかしら……」
リックスが気弱に呟くと、後ろから声をかける者がいた。
夜空の下、星を眺めに中庭にやってきたのは、彼女を良く知った人物、アルバトロスだ。
「どうした? 眠れないのか?」
「副隊長……」
隣に立つアルバトロスに、リックスが何も言えずにいると、彼は穏やかに微笑み、リックスの沈黙を守った。
「昼間の一件……悩んでいるようだな」
「はい……」
シャオフー少年から、この世の憎しみの全てを込められたような一撃を喰らった事に、
リックス同様、アルバトロスも複雑な思いを抱えていたのだった。
「テワランの民が受けた仕打ちは、それは酷いものです……村一つが全滅なんて……
彼が、帝国や竜狩りの連中を憎むのは勿論、同じような技術を扱う私たちでさえ目の敵にするのも、頷けます……
私たちは、彼や、彼のような境遇を負ったテワランの人々と、果たして分かり合う事なんて出来るのでしょうか……」
リックスの問いかけに、アルバトロスも答えを探せずにいた。
「それは、分からないな……。もしかしたら、彼の憎しみは解けないままでいるかもしれない。
だがそれは、仕方のない事だ。それは、彼の心次第だからね。
だけど、君はそれでも、帝国の横暴からテワランを護りたい、そう願ったのではないか?」
「はい……
ですが、同じ目的を持つならば、少しでも、相手と分かり合いたいんです……
……これは、ワタシの我儘なんでしょうか……?」
例え機械や自分の国に憎しみを抱かれても構わないと思った上で、テワランへの援助を申し出たリックスだったが
シャオフー少年の憎しみをそのままにしておけない、何か少しでも彼の事を知りたいと、彼女は思っていたのだった。
そんなリックスにアルバトロスは穏やかに微笑んで相槌を打ち、頷いた。
「いや、君の気持ちも十分分かるとも。
人間、誰だって相手に憎まれたままなのは嫌なものだ。
少しでも、事情を汲もうと努力することは、悪い事じゃない」
そして、真っ暗な夜空を見上げ、星をひとつふたつ探し当てながら、己の意見を述べたのだった。
「そうだな……お互い見ず知らずの相手だ。はじめは向こうが不審がるのも仕方がないよ。
友人になるプロセスと一緒だと思っているかな。
互いに少しずつ、話をじっくり聞き、意見を出し合っていけばいい。
違いを分かち合った上で、お互いが何を大事にしているのか理解し、
それを大事にして行けたなら、きっといい関係を築いていける。私はそう信じたいね。」
とてもゆっくりとした調子ではあったが、アルバトロスはやんわりとした雰囲気でそう言ったのだった。
そのスローテンポの心地よさに、何とかしようとはじめは気ばかり焦っていたリックスも、ほんのりと穏やかな心地になる。
大きくひとつ深呼吸をして、アルバトロスに頷いた。
「そうですね…… まだ始まったばかりですよね……」
そう呟いて、夜風が揺れる草原で、果てしない星空を見上げる。
すると、流れ星がひとつ、美しい弧を描きながら、彼方へと流れていった。
リックスは願いを託すように、目を閉じて祈った。
あの少年やテワランの人たちと、もう一度話が出来ますように、と。