黄昏時のような空が、わずかに黒い大地を色づける。

その大地も冷たく凍り付き、草木が生える事を少しでも許さない。

沖に広がる海は琥珀色に染まり、冷たい波飛沫を時折上げるだけ。魚や海鳥の気配すら感じなかった。




「……とても静かだね、先生」


荷物を詰め込んだカバンを両手で持つクラースは、船から降り立ったばかりの港を見て、ぽつりとつぶやいた。



「そうね。人の気配が殆どしないわ……

 街を見て。エムロードの街とは全然違うわ。港町だというのに、船も殆ど停泊していない。

 お店も全然開いていない。通りに人の姿もない。皆、家の扉を固く閉ざしている……

 以前訪れた時よりも、もっと寂しくなってしまったわね……」


冷たい風から身を護る為首に巻いたスカーフをきゅっと掴み、フライはノアプテの港の衰退を肌身で感じとる。



エムロードが、カーディレット帝国やソルシエール王国、ノアプテ王国との共同研究を停止すると、

同時にそれら3ヶ国への定期連絡船も出港停止となってしまう。

そんな中、リトスからわずかな本数のみ出ていたノアプテへの連絡船に乗り、フライとクラースの2人は

民間人として、ノアプテ王国へとやってきたのだ。



まるで物語が今まさにその幕を引こうとするような、そんな悲壮に満ちた港の景色。



その地こそが、フライとクラースが降り立ったノアプテ王国であった。




ノアプテの太陽は顔を覗かせている時間が極端に短い。

国土の殆どが緯度の高い場所に位置しているため、日の出からわずかに太陽が空を横切ると

青空も見せないままにすぐに傾き始め、空を黄昏へと染めていく。


国に住まう人々が活動できるのは、わずかな昼間とも呼べない、この限られた僅かな時間の中だけだった。

あとは宵闇の漆黒が、昼の時間の何倍にも渡って大地を覆いつくす。


旅先からこの国を訪れる人々は、陽が沈まない限られた時間のうちにノアプテに到着する。

暗くなると、船が岸壁へ接岸するのでさえ、困難になるからだ。



黄昏が終わり、太陽が水平線に沈み切ると、辺りは何とも言えない寂しさに包まれる。

周囲はその明度を次第に落としていき、ブルー・モーメントを過ぎると、まるで街一面に墨を流したような夜の暗さがやってくる。



その暗がりの中、ひとつひとつ小さな花が咲くように、色とりどりの灯りが、街に少しずつ浮かび上がってくる。


「うわぁ、綺麗……!!」


ノアプテの伝統的な工芸品、職人の手製によるランプの灯りだ。

蝋燭の明かりによるもの、燐光を放つ鉱石を中に仕込んだもの、胞子やキノコなどの発光植物によるもの、

中には妖精の羽や、ガラスや鉱石に魔法を封じ込めたような、手の込んだ珍しいものもあった。


繊細な細工を施された美しいランプが彩る、ほのかに浮かび上がった石畳と石造りのノアプテの街並みは、

その幻想的な美しさで、世界中でひときわ有名であった。


クラースは初めて目にするその光景のあまりもの美しさに、暫し時を忘れて魅入っていた。



後ろで彼の様子を見守るフライは、美しいながらも、例年に比べるとその灯りが、大分数を減らした事を気にかけていた。


「街に灯る明かりが、随分減ったわね……

 あの角の家には、いつも子供たちが手作りのランプを並べていたのに。今年は1つも灯ってないわ……」


それは、やや傾いた風見鶏が立つ、黄色い屋根の小さな家だった。

玄関の扉は閉ざされただけでなく外側から板と釘が打ち込まれ、灯の気が無く、庭には雑草が伸び放題で

窓ガラスの傍には可愛いくまのぬいぐるみが、埃を被って寂しそうにこちらを眺めていた。


石畳の街道沿いにある家の何軒かは、同じように人の気配がなく、灯りを消してひっそりと佇んでいる。


そんな家々が立ち並ぶ街道を横目で眺めながら、フライは幼いクラースの手をしっかり握って、ゆっくりと歩いていった。






フライたちは、以前ノアプテに医療援助でやって来た際に看た、いくつかの家へ足を向けた。

それは、病弱な子供たちや老人たちが住まう家だった。


この厳しい風土の中、栄養不足の煽りを真っ先に受けるのは、十分に栄養を取れずに発育できない虚弱体質の子供たち、

そして長年過酷な労働に耐え続けた、高齢者の方々だった。


馴染みの住民の家のひとつへ向かうが、先程見た黄色い屋根の家と同じように、人気が全く感じられない。

どうやら、今は誰も住んでいないようだ。


また別の家へと赴くと、そこも空き家であった。

フライは不安で胸がざわつく。


「どういう事……? あれから1,2年しか経っていないのに……」

「先生が見ていた人たち、いなくなっちゃったの?」


クラースも心配そうにフライを見上げる。



声もなく2人が佇んでいると、薪を運びに隣の家から外へ出た住人が2人を見つけ、声をかけた。


「もしかして……フライ先生?! フライ先生じゃないですか!」


くたびれたシャツを着た男性が、嬉しそうに彼女に握手を求めた。


「まぁ、ニコライ。久しぶりですね」

「いやあ、また会えるとは嬉しいなぁ!

 でもよく来れましたね。僕はてっきりもう、エムロードからの医療援助は打ち切られたのかと思っていましたよ」


エムロードから侵略推進国の1つだと断定されたノアプテへの医療援助打ち切りの件は、既に住民たちに広まっているようだ。

申し訳なさそうな表情をしてフライは答える。


「えぇ……本当の所を言うとそうなのだけど…… 皆さんが心配で、つい……」

「で、来てくれたってか! 流石フライ先生! 頼りになるなぁ!」


個人的に来てくれたと聞き、ニコライは嬉しそうににっこりと笑う。

そんな様子の彼に、フライはそっと静かに、遠慮がちに尋ねた。


「あの…… ここのお宅のご家族は……」


すると、嬉しそうに笑っていたその男性は、表情を暗くして呟いた。


「あぁ……、実は半年前にね。皆流行り病にやられてね。」


ニコライが顔を逸らすと、その視線の先には、住民墓地があった。

そこに佇む墓標は、以前より数を増しているようだ。


「ただでさえ実りの少ない年だったってのに、それに輪をかけて伝染病だ。皆バタバタと倒れていったよ。

 俺たちに出来た事は、ただ寝かせて、僅かばかりの雑穀のお粥を食べさせるだけさ……」


悔しそうに呟くニコライに、フライは申し訳なさそうに俯き、頭を下げた。


「ごめんなさい。もう少し帰国を延期して、皆さんをお手伝いできれば良かったですね……」


「いや。あのまま残っていたら、フライ先生まで流行り病にかかっちまう。それでこそ本末転倒だよ。

 でもまたこうして戻ってきてくれて、嬉しいね。

 今度は、可愛い助手さんも連れて。お勉強かい?」


「まぁ、そんなところかしら……」

「はい! フライ先生のお手伝いに来ました!」


今は渡航制限がかかっているノアプテに潜入しやすくするために、敢えて子供連れを装ったという事に気が引け、

フライはやや曖昧な返事になる。

一方クラースはにっこりと微笑み、背筋を伸ばして元気に返事をした。



「でも、どこのお宅を訪ねても、人の気配すら感じられなくて……

 やはり皆さん、その伝染病の煽りを受けて……?」


「まぁ、大体はそうだけどね……

 だけども、どこの家にも人が居ないのは、それだけじゃない理由もあるよ」


フライの疑問に、ニコライは周りの様子をよく見渡して、人の気配が無いのを確認してから、

声を落として、昨今のノアプテの実情をこっそり話して聞かせた。


「本当は外国の人にあんまり聞かせちゃいけない事なんだろうけれど……

 五体満足、あるいは少し動ける余力のあるものは、軍隊への徴兵が進んでいるんだ」


「徴兵に?」


「そう。何せノアプテは、北にある上にこの昼の短い土地柄だ。病弱な住民が多いし、健康な人の方が少ないくらいだ。

 そんな中、国を少しでも豊かにしようと、他国への侵攻に力を入れていてね。

 以前より多くの人たちが、軍隊へ入隊しているんだよ。」


「そうなのね……」



ノアプテ王国が、侵略推進国として名の知られているカーディレット帝国・ソルシエール王国と同盟を組む理由として、

厳しい国の自然環境故に虚弱になってしまう国民たちを、より豊かにしようとして、他の国に手を出さざるを得ない。


そんなこの国の厳しい実情をニコライから聞かされたフライは、ますます複雑な心境になる。


必死に生きたいと願っての末のこの行動は、苦しいノアプテの民たちの暮らしを目の当たりにしたフライには、

彼らを咎める事は出来ない。

しかし、だからと言って、侵略を肯定する気持ちにも決してなれない。



ノアプテが抱えている問題は、それだけ重くて難しいものなのだ。



「ここからちょっと離れた所に建ってた小さな家、あそこに住む姉弟いただろ。あの姉弟も、確かノアプテ軍に入隊したらしいよ」


「えっ?!

 彼女はもともと虚弱だったのに加えて、持病がある筈よ。軍隊勤めだなんてとんでもないわ……!」


看ていた患者のうちの1人が軍隊に入隊したというとんでもない情報を聞き、フライは驚いた。


「なんでも、無理のない範囲で働き口を与えて貰えるってことでさ。健気なものだよな。

 確かに、病弱な人は、働きたくともその体調のせいで、勤め先を見つけられなくて困るからな……

 軍隊はそういう国民を積極的に採用しているそうだよ。これも、新しく即位されたアンジュ陛下の采配みたいだよ」


聞けば病弱な国民の働き口を、軍隊が積極的に援助しているという。

しかしどの程度サポート体制が整っているか、そもそも軍部自体にさえ十分な医療体制が整っているのか、フライは心配だった。

困窮している彼らを援助する取り組みは素晴らしいが、諸共倒れてしまっては意味がない。


「軍に採用するのはいいとして、彼らを支える十分な体制は整っているのかしら?」


「今や侵略国の名前を着せられて、どこの国からも援助はストップしている。

 街中でこんな状況なんだから、軍でさえ、物資や人材はかなり厳しいだろうな」



彼の言葉を聞くとフライは頷き、決心する。


「分かったわ。これから軍隊へ赴き、彼女やそこに勤める病弱な方々を診察に参りましょう。」